宗教や思想の耐用年数 (日本的価値観の構造 その5)

思想の建て増し構造は時代に即応したフレッシュな思想をいつでも使える利点があると述べた。時代の流れが速くなればなるほど力を発揮する考え。 まるで日本神道というWINDOWSに最新の思想ソフトをインストールして起動するようなもの。 開国して、最新ソフトをダウンロードして、鎖国してネット回線を切断してソフトをインストールする。その繰り返し。 宗教思想が根本にある国では、宗教原理に縛ら…

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宗教原理と時代性 (日本的価値観の構造 その4)

知の性能の観点からみれば、古典や世界宗教の性能は大きい。指向性が全方位におよび、また賞味期限も非常に長いから。 知の専門性の奥行きという点では、厳密性や細分化という意味において、後世のほうが進んでいる場合もあるけれど、古典や宗教は人の心のあり方を説くから、基本的な思想の核の部分は、当時も今もあまり変わらない。 だけど、新しい宗教がおこるときは、その時代の、その場にいる人々を真っ先に救…

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カルシファーと防人 (日本的価値観の構造 その3)

日本的価値観の建物が各種輸入思想の建て増し構造を持っていたとすると、建て増し思想の核の部分はあるのかないのかといった議論が起こってもおかしくない。 「ハウルの動く城」でのラストにそれを示唆するシーンがある。 最初、ハウルの城はいかつい巨大な城だったけれど、ラストには、床板に足が生えただけのものになる。この状態でもハウルの城といえるのかどうか。当初の巨大な城としての機能はもはや失われて…

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建て増し思想の利点 (日本的価値観の構造 その2)

思想の建て増し構造の利点は、おおきく二つある。 ひとつは構造物の素材単位で取替えが利くということ。 伝統的な日本建築は、その構造から、建物の解体が比較的容易になっているから、たとえば、根太が腐るとそこだけ新しいものに取り替えできることができる。それと同じで、建て増し構造の価値観では、古くなって使えなくなった思想も、新しいものに置き換えることができる。 人間も新陳代謝で細胞がどん…

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日本的価値観の構造 (日本的価値観の構造 その1)

今日から6回連続エントリーで、日本的価値観の構造について考えてみたい。 日本的価値観とは何かと問いかけてみたとき、「和の精神」であるとか、「武士道精神」であるとかいろいろな答えが返ってくるだろうけれど、これほど人によって同じ言葉にならない価値感覚も珍しい。日本的価値観ってなかなか一言で言い表せられない。 これについて考えてゆくうちに、日本の価値観も伝統的な日本建築と同じ構造を持っ…

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差分思考

  絶対値ではなくて 差分で考える 幸福って 自己拡大のよろこび 昨日より今日  今日より明日 少しでもよければ 十分しあわせ 最小の努力で得られる 中くらいのよろこびと 中くらいの努力で得られる 大きなよろこびと 幸福の総量は違ったとしても 差分でみたら  多分おなじ こまめに得られる幸福感を大切に 赤…

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坂の上のその先 (学歴について考える 最終回)

学歴に関係なく、知的好奇心が旺盛な人は一杯いる。世の中には学校で習う範囲や受験範囲をはるかに超える知の世界が広がっている。 若いうちにそちらの魅力にとりつかれると、時間の大半をそちらにつかう。必然、学校の勉強はおろそかになる。ひどければ落第してしまう。でも、興味分野では先生を凌ぐぐらい知識を持っていたりする。 ネットで情報が拾えるようになった現在では、専門知識という範囲だけでいえば、…

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学歴というモノサシの意味 (学歴について考える その3)

生まれの身分がモノサシだったものを、学歴に切り替えたのが今の社会。 なぜ切り替えたかというと、知識や知力が富を生む社会だから。 学歴は効率性と相関してる。それが今の社会にマッチしてるから、学歴というモノサシが適用されているだけ。 スポーツや芸術が一番社会に富をもたらす文明であったなら、そういう人を選抜するモノサシが使われる。あやとりが富を生む世界だったら、のび太は世界中から…

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何をモノサシにするか (学歴について考える その2)

もし、今の社会で学歴を否定したとしても、やっぱり会社は優秀な人材が欲しい。学歴が使えないとすると、別のモノサシが必要になる。 運動能力?芸術センス?それともあやとり? 昔は、生まれの身分がその役目をした。身分が高いほうが相対的に学習環境に恵まれ、他の社会の見聞も広められ、人脈もあるだろうとされていたから。 生まれの身分の代わりに、何がしかの能力や知識をモノサシにもってく…

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学歴の効用 (学歴について考える その1)

今日から4回連続で、「学歴について考えるエントリー」をアップします。 ドラえもんで、勉強のできないのび太が、自分の得意なあやとりが流行る世界を、もしもボックスを使って実現する「あやとり世界」という話がある。 学歴社会とかいうけれど、あやとり世界のように価値を相対化してみると、学歴が決して絶対的なものじゃないことが見えてくる。 今の社会で優秀な人材を選抜する方法の…

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利休に思う

偽書とされる『南方録』では、新古今集の家隆の歌 「花をのみ まつらん人に やまざとの ゆきまの草の 春をみせばや」 を利休の茶の心髄としている。 茶の湯のこころのエントリーで、虚飾を去ることで、生きとし生けるもの全ての命を慈しむことが「わびさびの心」ではないか、といった。 利休ならば、一寸の虫が、たとえ足一本がもげてなくなっても生きる姿に、命の輝きと美しさをみるのではない…

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歴史は勝者が綴る2

歴史は勝者が綴るのエントリーでも触れたけれど、核武装を含むリアリズムの論議を日本ができないのは、太平洋戦争の敗戦のトラウマが激しく、心に傷を負ったままの状態であり、それがリアルの世界に目を向けさせないからだと思っている。 今度武器を取ったら、外国に滅ぼされるという深層心理内の恐れ。 これを払拭するには、いわゆる退行催眠療法的に、先の大戦の意味は何であったのかをふりかえり、自らの心…

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日本の精神的独立に必要なこと (人権意識ソフトパワー戦略 後編)

人権意識をソフトパワーにつかう戦略がうまくいった時、現れるのは民主化した中国。 一部の識者は中国の民主化を唱えるけれど、民主化した中国は13億の人口を抱える超大国になっている可能性が高い。 そうなったとき日本はどうなっているか。たぶん中国の冊封体制に飲み込まれるかどうかの岐路に立たされる。 日本も核武装論が出るかもしれない。だけど、日本が核武装の動きをとることは、中国に対して「…

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人権抑止力戦略 追考 (人権意識ソフトパワー戦略 前編)

人権抑止力戦略のエントリーを進めたときにどうなるかを、追加して考察してみる。 人権意識を抑止力に使う戦略は、力の論理ではなく、相手の心を攻める戦略。相手の心を攻むるともって上策とす。兵法の基本。ソフトパワー。 人権意識をソフトパワーに使う戦略は、抑止力のみならず、環境問題の改善に繋がるもの。 しかし、人権意識の向上は、中共政府の最も嫌うところ。まちがいなく思想統制をしてくる…

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美の奥にあるもの (都市化と日本人の美意識は両立するか 最終回)

すべての科学技術の基礎になる学問である数学。おそらく理性の最たるもの。 数学の厳密性ときたら他の学問の追随を許さない。こんな小話がある。 天文学者と物理学者と数学者がスコットランドで休暇を過ごしていたときのこと、列車の窓からふと原っぱを眺めると、一頭の黒い羊が目にとまった。 天文学者がこう言った。「これはおもしろい。スコットランドの羊は黒いのだ。」 物理学者がこう…

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魂をこめる (都市化と日本人の美意識は両立するか その4)

   建築史学者の鈴木博之教授は、その著書で西欧に比べて日本の都市が美的でなく混乱と無秩序に満ちていると指摘されることが多いのは、我々の日常生活に永遠がなく、今しかないからだろうと述べている。 これは、形ではなくて、共に生活する建物・家屋そのものにも命の輝きを見出す日本人が、その命の輝き度合いの感じ方が個々人で違うことによって生まれているのではないだろうか。 まったく同じ形・強度の…

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都市の美と理性の美 (都市化と日本人の美意識は両立するか その3)

都市の美と理性の美は親和性が高い。合理性という共通点でかたく結ばれているから。    住宅や建物が立方体または直方体が多いのは引力のせい。床面はやっぱり平らでないと生活しにくい。壁が曲面や斜めだと、家具は置きにくし、隙間にごみもたまる。養老天命反転地で生活なんかできない。 だから、都市の美って理性の美に傾きがち。都市には狭い範囲にいろんなものが集まるから、無駄を省いて効…

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茶の湯のこころ  (都市化と日本人の美意識は両立するか その2: 8/15 補追)

茶の湯のこころに、利休七則と和敬清寂(わけいせいじゃく)というのがある。 利休七則は「花は野にあるように」で有名な心得。  茶は服のよきように、炭は湯の沸くように、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ。 「茶は服のよきように」とは、お茶は心をこめて、おいしく点てましょうという主客の心の一体感を指す。 「炭は…

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都市化と日本人の美意識  (都市化と日本人の美意識は両立するか その1)

清めの思想のエントリーのコメントで「都市化と日本人が古来持つ美意識は両立するか」というテーマをいただいたので考えてみる。今日から5回連続でエントリーする。 西欧の美の源流としてギリシャまで遡れば、存在そのものに美を内包するという立場と、存在を認識している人が美の価値を認めているという立場があるが、そもそも美の概念の対象そのものが広範で、定義そのものが困難になる。 ここでは、都市化と日…

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従軍慰安婦と赦しの力 補追

メモ代わりで申しわけありません。 以前、「従軍慰安婦と赦しの力」をエントリーしましたが、 やじざむらい的日々雑感様の7/15のエントリーのコメントで、暇人様が、同じ意見でいらっしゃいました。 そのときにいろいろと意見交換させていただいて、非常に勉強になりました。 埋もれさせてしまうのも勿体ないので、抜粋整理・転機させていただきたいと思います。 やじざむらい様へ。…

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海外のチャイナ叩き報道について

オリンピックを控えて、なんだか欧米その他メディアからの中国叩きが加熱している。食品の安全性問題はもとより、ダルフールの人権問題など、ここぞとばかり報道している。 アメリカでもオリンピックのボイコットの声も上がっている。 途転の力学さんのブログでも指摘されているように、なぜ急にいまごろと思っていたけれど、ブログをいろいろ巡回していたら、中国情報部とイスラエルモサドが喧嘩しているという記…

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自由と繁栄の底にあるのは軍事プレゼンス (抑止力について考える 最終回)

六道輪廻と経済活動 再考 ①と ②でも少し触れたけれど、国の発展段階は六道輪廻と相関している。自由と繁栄を国民が享受するためには、少なくとも国が地獄道・餓鬼道・畜生道を通過して、修羅道以上に入らなくちゃいけない。 それに地獄道・餓鬼道・畜生道を通過するためには、治安維持、ライフラインの確保、各種インフラ整備のコストがかかる。簡単な話じゃない。「自由と繁栄の弧」戦略の対象となる東南アジア、イ…

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人権抑止力戦略 (抑止力について考える その5)

戦争をするためには、大義名分と自国民の支持が必要。特に民主国家ではそう。 自国民を納得させられないと、兵役についてくれない。無理やり徴兵しても士気は劣る。 今の戦争は、戦争開始までの前準備が大変。大義名分を国際的に理解されたと思わせないといけないし、自国民を納得させないといけないし、ソロバンも弾かないといけない。 結果として、戦争しにくくなった。昔と比べてマシになったといえ…

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無人兵器は戦争のハードルを下げる (抑止力について考える その4)

命の値段が高い国は、少しの人的被害でも直ぐに戦意喪失する。まず国民から。 人権意識が極度に高くなってしまったアメリカの戦意喪失臨界点は驚くほど低い。 だから、なるべく戦闘による死亡者をださないような戦争のやり方を取らざるを得ない。制空権を確保してひたすら爆撃しまくるとか。 だけど、占領となるとどうしても陸軍が必要になる。自国民を死なせたくなければ、他国民を尖兵として使うことにな…

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命の値段によって抑止効果は変わる (抑止力について考える その3)

核抑止力というけれど、とどのつまり核を打ったら報復核攻撃をうける、その被害が半端じゃないから止めておこう、というもの。 核攻撃によって得られる利益が不利益を上回らないと、攻撃しても割りにあわないからしないだけ。 だから、一概に核抑止力といっても相手が不利益と考える基準を考慮しないといけない。 兵器の抑止力効果が、被害とイコールまたは比例するものだと仮定すると、下記の式のよう…

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核兵器は時間をも破壊する (抑止力について考える その2)

中国は核ミサイルを持っていて、日本に照準を合わせてるのは周知の事実。 日本も北朝鮮の核開発問題を契機として、国防意識が高まってきたのは良いのだけれど、現実には日本人の核アレルギーは相当なもの。核武装はおろか、核武装の論議でさえ大きな声ではいえない。 核兵器が非常に問題となっているのは、核による被害が甚大なことは勿論だけれど、被害の質が通常兵器とは異なる側面もある。放射能汚染の問題がそ…

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自由と繁栄の環 (抑止力について考える その1)

麻生外相が提唱している「自由と繁栄の弧」戦略。いままでの外務省になかった国家戦略の宣言。 この「自由と繁栄の弧」戦略だけど、時間を少しさかのぼると面白い構図がみえる。 自由主義・資本主義的な考えがヨーロッパで国家体制として確立しだしたのは、200年くらい昔から。それがアメリカ大陸に渡り、2度の世界大戦を経て、日本の自由民主国家化と東南アジア諸国の植民地解放。東西冷戦を経て、ソ連崩壊、…

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日本人の深層意識はアメリカを見限るようになる

さんざん他のブログなどで、言われていることだから、改めていうこともないけれど、慰安婦決議について。 本当に本会議で通過させてしまったのか。というのが正直なところ。まったくバカなことをしたもんだ。 これで決定的に日本はアメリカから離れる方向にいく。後付に対日礼賛決議案なんて出したってダメダメ。こんなのフォローでもなんでもない。日本人はそういうのを嫌う。穢れを覆い隠そうという態度は尤…

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ネットの政治への影響力を検討する その4

ネットの政治への影響力を検討するシリーズの最終回として、ネット組織のあり方を検討してみます。 政治に組織と金が必要か否か。絶対必要と考えるのが普通。 有権者、特に政治家本人を知らない層にとっては、マニュフェストでいくら政策を謳ってみても、意識下ではまだまだお上任せ。政党の歴史と実績で判断してる。これまでもそうだったように、悪いようにはしないだろう、という思い込みが幅を利かせる…

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ネットの政治への影響力を検討する その3

昨日のエントリーでは、現実社会でのアプローチについて検討してみましたが、今日のエントリーではネットの世界でのアプローチを検討してみたいと思います。 ネットの世界において、政治系ブログのシェアを拡大するためには、政治系ブログ以外のカテゴリーに飛び出してどんどんコンタクトしていかなくちゃいけない。 ネットは個人の本音をそのまま反映するから、お気に入り、気の合った世界とだけ繋がって…

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ネットの政治への影響力を検討する その2

ネットが現実世界に影響力をほとんど持たない現実に直面すると、ネットではなくて現実世界で影響力をもつ存在をつくるべきという考えになってもおかしくない。6.6%以下のシェアしかない政治系ブログの世界でいくら頑張ってもどうしようもないと思うのは自然。現実社会にアプローチしてゆく方法を検討してみる。 マーケティングの世界に新製品普及過程論というのがある。これはロジャースが類型化した新製品が普及して…

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