利休に思う

偽書とされる『南方録』では、新古今集の家隆の歌 「花をのみ まつらん人に やまざとの ゆきまの草の 春をみせばや」 を利休の茶の心髄としている。 茶の湯のこころのエントリーで、虚飾を去ることで、生きとし生けるもの全ての命を慈しむことが「わびさびの心」ではないか、といった。 利休ならば、一寸の虫が、たとえ足一本がもげてなくなっても生きる姿に、命の輝きと美しさをみるのではない…

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