心の言葉 (思考は言語と言葉によって構成される 最終回)

思想の演算式は実部も虚部もひっくるめて演算式をたてる。目に見える事象を実数項として。心でしか認識できない抽象概念を虚数項として。 それらの項が各々回路接続され、思考の演算式ができあがる。 リアリストは実部演算式が中心で直ぐに役立つ論理演算を好む。役に立つということは目に見える結果が出るということ。論理演算結果としては、実数が答えに欲しい。 それに対して哲学者は虚数部も扱う。見つ…

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実数と虚数 (思考は言語と言葉によって構成される その6)

数には、対象物の数など直接をあらわす、実数と、概念上の存在である虚数が存在する。虚数は1545年にカルダノが3次方程式を解くさいに発見した、自乗して-1になる数のこと。ありえない数。 虚数を発見したカルダノ自身が虚数解について、次の言葉を残している。 「それによって受ける精神的苦痛は忘れ、ただこれらの量を導入せよ」 でも虚数がなければ、現代科学の発展はありえなかった…

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概念のマクロ化 (思考は言語と言葉によって構成される その5)

単語が豊富な言語は、回路化された論理機能ブロックの種類がたくさんあるから、回路が簡単に組める利点があると述べたけれど、では単語レベルといった個別概念じゃなくて、有る程度大きい規模の回路を組んで、エレクトロニクスの世界でいうマクロ化して、用意している言語ってないのかというと、実はある。たとえばすこし昔のインドがそれだった。 インドは掛け算の九九を19×19まで覚えることで知られている…

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単語の回路構成 (思考は言語と言葉によって構成される その4)

単語はそれだけで概念を表すことができる。その種類は、犬猫といった事象から抽象概念まで様々。 思考の論理演算式での概念ブロック(SまたはO)はほとんど単語で表現できるから、単語の数や種類の多さ、端的にいえば単語の豊富な言語って、思考の論理演算で使える概念の論理ブロックが沢山用意されていることになる。いきおいいろんな回路が組める可能性が増えていく。 日本語だと「魚」に関する単語が豊富…

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論理演算式の長さ (思考は言語と言葉によって構成される その3)

互いの概念同士を繋ぐ線(論理)には長さもある。 論理回路設計の世界でも信号送信側の論理ブロックと受信側の論理ブロックの間が一定距離以上離れていると、その途中で中継となるブロックを挿入する。 長距離を線だけでつないでしまうと信号が伝送中に減衰して消えてしまう。そうならないように信号を増幅・成形しなおす中継器をいれる。 論理演算する思考でも同じ。互いの概念同士がかけ離れていて、距離…

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演算式は作り、公式は発見する。 (思考は言語と言葉によって構成される その2)

ある思考をするとき、様々な概念同士を接続して、論理の演算式を構成していくけれど、思考の流れを考える時には、思考している言語の語彙の基本語順も考慮しないといけない。 思考は頭の中でめぐらせるものだから、当然ある語彙の次にくる語彙が一番意識される。いきおい語彙の語順は思考の流れに影響を与える。 言語の語順による分類で有名なのが、主語(S)、目的語(O)、述語(V)に三分類して、そ…

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概念の論理演算 (思考は言語と言葉によって構成される その1)

当日比野庵と相互リンクしていただいている「深森の帝國 」の美月様、深波様から、「思考は言語で構成される」テーマをいただいた(勝手にいただきました^^)ので、考えてみます。 全7回シリーズでエントリーします。 「君の靴のサイズはいくつかね?」 「・・24です。」 「ほぉ、実に潔い数字だ。4の階乗だ。」 2006年に公開されてヒットとなった映画「博士の愛した数式」で…

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世界にとっての日本

日本にとって何が抑止力になりうるのか考えてみる。 世界と密接に繋がる今の時代では、日本の重要度を世界にいかに認知してもらえるかどうかが抑止力の要。 ロシアがデカい顔をしている裏には天然ガスという後ろ盾があるからだし、中東諸国の重要性の認知にいたっては言うまでもない。 それはエネルギー資源が、いま世界各国が享受している文明を支えていると「皆が認知している」から。事実、そ…

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中ほどの道 (進歩と調和について考える 最終回)

発展を極限まで突き詰めると知の神に近づき、調和を極めると美の神に近づく。 どちらの神を求めるのかで文明の色合いが定まるけれど、現代世界の文明だと「知」と「美」の二つの神に近づくアプローチがとれる。 だけど、どちらかだけを求め、もう一方をすっかり忘れるとそれを破壊することにもつながる。 科学技術オンリーだと、環境破壊はもとより、心の調和を忘れてしまう。美の神から見放される。逆…

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調和の先にある存在 (進歩と調和について考える その3)

調和を単に「他を害さない」とだけで捉えると動物の存在自体が悪になってしまう。 道を歩くだけで蟻や虫を踏み潰してしまうかもしれないし、取って食うなどもってのほか。だから「他を害さない」存在をつきつめると植物や鉱物の存在が一番になる。 だけど、自然は動植物を含めて食物連鎖を構成し、それでいて調和を作っている。だから調和とは、特定の存在だけが突出して他の存在を滅ぼすくらいまで害をなすことがなく…

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進歩の極限 (進歩と調和について考える その2)

人間が自分の認識力を拡大するためには、まず認知できる対象を広げないといけない。考えるための材料をまず認識できないと始まらない。真っ暗闇の、無音の部屋で新しい認識を得ることは難しい。外部からの刺激がないから。心の内面から発する着想もあることはあるけれど、そのためには基礎となる情報を予めインプットしておかなくちゃいけない。 だから、認識力の拡大はまず知的アプローチをとることになる。 …

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進歩と調和 (進歩と調和について考える その1)

「日本人は無宗教なのか」のコメント欄にて、江戸屋様から、 「我々の世界観は大よそ受動的でありますね。個として独立し、個としての考えを持ち、主体的に果敢に生きることを尊しとする価値観とは、真っ向から反対する価値観。他人の気持ちをうかがい、社会や自然と一体化し、空気や間から自分の役割を静かに察し、その役割を粛々と果たすことを美徳とする。」 のコメントをいただいたのを契機として、この相反す…

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安倍総理辞任は天意か

総裁選はほぼ福田氏できまりそうな形勢になってきた。 福田氏はバランス感覚に優れているとのもっぱらの評判。総裁選の記者会見でも小泉改革路線を継承すべきとしていたけれど、改革のスピードそのもは遅くなる可能性は高い。外交政策も強硬型から融和型へシフトしてゆくだろう。 アメリカと北朝鮮の融和政策を受けて、対北強硬路線も緩和する。対中国にも融和政策をとるとみられる。 安倍総理の功…

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安倍総理辞任について

恥ずかしながら、このニュースを知ったのは、9/12の深夜で、「コミケと文化について考える」シリーズエントリーの最初の回をアップした直後だったので、辞任についてのエントリーが今日になってしまいました。。 既に辞任についてはいろいろな憶測がされているので、特にコメントすることもないけれど、「途転の力学」さんや「かんべえの不規則発言 9/12付記事以降」あたりが答えなのかなと思ってる…

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文化芸術が世の中に奉仕するとき (コミケと文化について考える 最終回)

作家本人は、自分が表現したいものを描きたい。だけど作品を売って、食べていかなくちゃならないから、出版社の意向に沿うようになるのは仕方がないこと。出版方針には逆らえないし、編集者のいうことも聞かなくちゃいけない時もある。それが嫌ならパトロンを見つけるか、別のバイトをして食いつなぐしかない。 だけど、本人の意図を超えて、作品が世界に広がるときがある。そこまでいくと作品は本人の手を離れ、世界に奉…

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コミケは誰のものか (コミケと文化について考える その3)

コミックマーケット、通称コミケは、夏と冬の年2回行われる日本最大規模の同人誌即売会。昔は晴海でやっていたんだけど、規模が大きくなりすぎて人員収容の問題が出てきて、今は有明の東京ビックサイトで行われている。 コミケの参加者は自分で作った作品を売ったりもするけれど、お目当てのブースでお気に入りの作品を手にいれる楽しみもある。互いに売ったり、買ったり。交流の場。 開催期間は全国から物凄く人…

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アマの土壌とプロの作物 (コミケと文化について考える その2)

世にだせる為の壁というか最低水準というものは確かにあるんだけれど、この水準は、市場動向や対象市場でいくらでも変動するもの。 もし、プロ作家にパトロンがいて、何でも好きなものを描いても世に広く送り出せるとしたら、どんな作品をだすのだろうかと考えると、倫理上の問題を別とすれば、多分描きたいものを描くだろう。 制約がないから、好きなことができる、発想の次元ではプロとアマの垣根がなくなる…

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きちんとしてること (コミケと文化について考える その1)

今日から4回連続シリーズで、「コミケと文化について考える」をエントリーします。 漫画やアニメが日本に広まってから随分になる。いまやドラえもんやポケモンは世界中で受け入れられ、日本のポップカルチャーの代表作にまでなった。 商業誌だけでなく、アマチュア誌の祭典であるコミケも盛ん。 プロとアマの差とは何に現れるのだろうか。 一義的にはその作品が商売になること。そのための…

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対テロ特別措置法

「参院選速報中継をみて」のエントリーでも触れたけれど、特措法での「職を賭す」発言。どうやら安倍総理は正攻法に出たようだ。 メディアは、自爆発言といっているけれど、自爆発言でもなんでもなくて、これははかなり強烈なパンチ。相手は無論民主党。 政府与党として明快に、特別措置法の延長を明言し、それに成否判定のボールを民主党に委ねた。しかも、APEC会議上での発言に加えて、総理辞職をも匂わ…

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地産地消都市モデル (閉鎖空間に生きることを考える 最終回)

年がら年中、好きなものを食べられるのは幸せなことかもしれないけれど。その反面、元々の幸せを捨てている面もある。桜や紅葉を愛でるのだから、食べ物の旬をもっと愛でてもいい筈。 遠くから輸入したり、旬を外して無理に栽培してコストを掛けている今の生活。 食糧自給とか、直ぐにはどうしようもない問題もあるけれど、いまのうちから少しづつでも何かやっておく。ごく一部でもいいから、地産地消のモデル…

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人類にとって地球は狭くなった  (閉鎖空間に生きることを考える その3)

  欧米発の民主主義経済は、自由と民主の鍬で地球を耕した。そして今にも耕しきろうとしている。 もはや開墾する場所はないかもしれないけれど、耕しきる前に、共生システムの端緒は見つけておかないといけない。 親の総取りでは、結局自らも破滅する。子の面倒をみない限りは。 そこそこの儲けで満足し、余力を残す考えが大事。自分だけよければの考えが結局自分も滅ぼす。人にも自然にも、謙虚な態度…

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床の間思考 (閉鎖空間に生きることを考える その2)

争奪しているのはエネルギーだけじゃない。水もそう。エネルギーは多少なくても、原始生活に戻るだけで、生きてはいける。でも水がなかったら一ヶ月と生きていられない。 日本人は水と安全はタダと思ってると言った人がいるように、日本は水にはとても恵まれている。 日本が水に恵まれているのは当然、山林が残されているおかげ。なぜ残ったかというと狭い国土に山があって、そこには大量の人は住めなかったから。…

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エネルギー争奪戦 (閉鎖空間に生きることを考える その1)

今日から4回連続シリーズで、「閉鎖空間に生きることを考える」をエントリーします。 何年か前の新聞に東京湾に海底油田が見つかるというエイプリルフール記事があった。本当であれば、凄いことだけど、そんな事実はもちろんない。 中東の石油算出もピークを過ぎたのではといわれるなか、石油から天然ガスへの転換がどんどん進んでる。 現代文明を支えるエネルギーの供給源は、石油や天然ガスと一…

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日比野庵のコメント欄に関する見解

前回の「日本的価値観の構造」のシリーズエントリーでのコメントについて色々とありましたので、私の現時点でのコメントおよびTBに関する考え方をここで整理しておきたいと思います。 1.日比野庵設置の動機 日々のおもいつきを述べさせていただくと同時に広く皆様から教え伺いながら、新しい考えや発見をしたいというのが主な動機です。今までは単にブログ巡回していただけでしたが、自分でも発信して…

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独立とは何か

国家としての独立とは何かについて考えてみる。 独立をなんと定義するかで勿論議論が変わってくるので、このエントリーでの国家の独立とは、 「他国の影響をうけずに独力で国家意思を決定できること」 と定義した上で話をすすめてみる。 日本は国民主権だから国家意思は国民意思の総体。 そうすると、独立を考えるということは、国民が意思決定をするにおいて、何らかの影響をう…

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日本人は無宗教なのか (日本的価値観の構造 補追 最終回)

長かったこのシリーズも今回が最終回になります。おつきあいくださいましてありがとうございました。 日本人が無宗教といわれることについて。 日本人は無宗教とよくいわれるけれど、日本人の場合は無宗教は無信仰とイコールじゃない。 無宗教だから無信仰と考えるのは西欧の価値観でみているから。彼らは、その国家の社会的価値観と国民の個人的信仰の部分の価値観は全く別のものでそれぞれ不可侵と考…

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文化的受容度の高い国家における価値観の構造差 (日本的価値観の構造 補追3)

文化的受容度の高い国家における、価値観の構造差について。 ローマをはじめとする各帝国の成立時にみられるように、他国の価値観を受容して纏めようとしたのは事実。 国政統治、特に帝国の統治の基本原理としても、そうやって国家維持を考えるのは合理的な判断。 しかし、征服した民族の価値観を認め、ローマ化をすすめていったローマですら、価値原理の衝突は起こっていた。ローマの民の中には経典の民、…

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日本人にとっての神と人との関係 (日本的価値観の構造 補追2)

日本人にとって、宗教思想は原理ではなく道具ではないかといったけれど、なぜそこまで柔軟になれるのかについて。 神と人との関係をどう考えるかに拠るような気がする。 キリスト教やイスラム教での神は絶対者。人は逆立ちしても神にはなれない。仏教は、修行の果てに仏になれると説くから、人が神にもなれるという立場。 日本神道も、祭られることで人が神様扱いになった事例もあるから、仏教に近く、人も…

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カルシファーと天皇の関係について (日本的価値観の構造 補追1)

カルシファーと天皇の関係についての補追。 カルシファー=天皇ではないと思う。どちらかといえば、カルシファーは八百万の神々。その神々を奉り、いつも日本に居ていただくように、薪をくべ、火を絶やさぬようにする防人が天皇にあたると思う。 日本人は八百万の神々を直接見ることはできないけれど、天皇が存在し、毎年宮中祭司を行う姿をみることで、間接的にカルシファーが燃え続けていることを確認する。 …

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日本の建築文化の思想への展開 (日本的価値観の構造 最終回)

宗教に教義という原理がある以上、異なる教え同士がぶつかるのは必然。ぶつからないのはそれぞれの教えで共通の教えの部分だけ。 たとえば、イエスの「自分のして欲しいことを他人に施しなさい」と 孔子の「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」とか、釈迦の戒「不偸盗戒、不邪淫戒」とモーセの戒「姦淫をしてはいけないこと、盗んではいけないこと」 とか。 違う教えであっても、部分でみたら同じ教えもあるから…

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