総理の一字 (福田総理考 その1) 2007年10月31日 時事 政治 福田総理就任からはや1ヶ月過ぎた。給油法でいきなり難しい国会運営を迫られている福田新総理だけど、今回は福田総理考というテーマを考えてみたい。全4回シリーズでエントリーする。 1995年から、その年をイメージする漢字一字の公募を全国より行い、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として、京都・清水寺にて発表する「今年の漢字」という行事がある。 昨年は「命」、一昨…続きを読む
心の言葉は認識力を高める (ブログの記事と知性について 最終回) 2007年10月30日 思索 高い認識力とは、より広く、より多くの対象を的確に捉える力。理解できる力。 高い見識、高度な認識力とは、あらゆる立場からみても、あらゆる条件でみても確かにそのとおりと認められるような見解。文字通り高みに上って始めてみえる情景。中にはなんとも判断できなくて、やってみなくちゃ判らない事象ももちろんあるのだけれど。 知の性能でいえば、方位が広く、奥行きも深く、賞味期限も長いもの。 認識…続きを読む
思索力は記憶力と認識力の和 (ブログの記事と知性について その6) 2007年10月29日 思索 本を読んでその内容を憶えるとき、細部まで、時には一字一句まで記憶してしまう人もいれば、前提と結論だけ憶えてして後は忘れてしまう人とか、中には本の題名すら忘れてしまう人もいるかもしれないけれど、要は読書って、概念をデータにして頭に蓄積していく試み。 思索するには記憶力と認識力が必要。「概念の論理演算」のエントリーで触れたように、思考って互いの概念同士を論理で結んでいって思考の論理演算回路を作…続きを読む
読書の意味 (ブログの記事と知性について その5) 2007年10月28日 思索 知識を増やす一番の方法は読書。読書で得られるのは過去の事例や今まで知らなかった概念。 歴史は繰り返すというけれど、過去の歴史の事例を沢山知っていれば、今の事象にひとつひとつ当てはめてみて何が起こっているか、これから何が起こりそうなのかを類推できる。そんな例は枚挙にいとまがないから、実際これらの知識は凄く役に立つ。 今の時代は人間が扱う知識がすごく多岐にわたって、ひとつひと…続きを読む
不明推測法と知識と認識力(ブログの記事と知性について その4) 2007年10月27日 思索 思考の方法として、演繹法や帰納法と並ぶ第3の方法として、不明推測法というのがある。 不明推測法とは、1890年にチャールズ・サンダース・ピアスが提唱した思考法。 前提から出発して結論に至る演繹法や、個別事例から一般法則を見つけてゆく帰納法とも違って、個別事例を引き起こした原因や法則をうまく説明できそうな仮説をたてて、その仮説が正しければ必然的に観測される筈の別の事象や現象を、調査・検…続きを読む
本質を見抜く力 (ブログの記事と知性について その3) 2007年10月26日 思索 スーパーのレジで、バーコードで商品の値段を自動読み取りするとき、何故そんなことができるかというと、あらかじめバーコードのこの模様がこの値段だというデータがレジのシステムに入っているから。 りんごとappleは同じものを指すけれど、文字記号データとしては異なるもの。日本語と英語という、それぞれの言語に対応するデータベースが必要になる。 「apple=りんご」というデータベースを持ってい…続きを読む
社会・政治系ブログ記事にみられる3つの類型(ブログの記事と知性について その2) 2007年10月25日 思索 世に出回っているブログの多くはごくごく普通の人が書いていることが多い。 だから特に社会ニュースや政治を扱うブログなんかそうだけど、自分で取材して一次情報を入手するのはとても困難。いきおい情報の2次加工が中心になる。 これらの社会系・政治系ブログの記事には型があって、次に示す3類系に分かれると思う。 A)事実・事象に対する原因追求型 B)事実・事象に対する論評…続きを読む
記事を書くことで磨かれるもの (ブログの記事と知性について その1) 2007年10月24日 思索 今回はブログを書くことと、知性の関係について考えてみたい。 連続7回シリーズでエントリーする。 ブログ検索のTechnoratiが発表したレポートによると、2006年第4四半期は、ブログ投稿数の多い言語の第1位に日本語が再びランクインしたそうだ。 現在、Technoratiが追跡しているブログの数は全世界で7000万。そのうち日本語で投稿された記事数は全体の37%に及ぶ。た…続きを読む
日本独自の世界戦略構想による、(世界に通用する)防衛省を作ることについて 2007年10月23日 時事 政治 「独立とは何か」のエントリーで、suzurun様とコメントのやりとりさせていただき、いくつかのテーマをいただいたので、折りに触れ、少しづつ考えてみたい。 日本独自の世界戦略構想による、(世界に通用する)防衛省を作ることについて。 防衛省の目的は、日本の平和と独立および安全を保つこととされている。その任務は陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊を管理・運営し、並びにこれに関する事務…続きを読む
救うということ 2007年10月22日 思索 誰かが誰かを救うなんて、おこがましい。 救いとは自分で自分を救うもの。 かなしみの底にいるひとは、じぶんは世界でいちばん不幸だと思ってる。 どんなに慰めの言葉をかけられても。どんなに励まされても。 やっぱりつらいものはつらい。かなしいものはかなしい。 あなたの悲しみはわからない。あなたの苦しみは理解されない。あなたの苦悩をわかる人など、世界中のどこを探してもひとりも…続きを読む
民主政体とノブレス・オブリージュ (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか 最終回) 2007年10月21日 思索 「美しいことを日常のつとめとすれば、徳を所有するほうへ、醜いことを日常のつとめとすれば、悪徳を所有するほうへと導かれるのではないか」 「国家 巻Ⅳ」より引用したソクラテスの言葉だけど、これも正しい戒が徳を身につける手段であることを示してる。 精神の自由と、正しき戒を自分で決めて守る精神と、それを善しとする伝統。これがノブレス・オブリージュを生みだしてゆくのだと思う。 …続きを読む
戒と律 (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その6) 2007年10月20日 思索 仏教用語で戒律というのがある。 あれもこれも何かかもしてはいけないとか、なにか堅苦しいものを連想するのだけれど、戒と律とでは意味が違う。 「戒」は自分でこれを守ろう、と自分で決めるルール。個人的なもの。 「律」は法律的ニュアンス。破れば罰が与えられる決まり事。 つまり、「戒」は自ら自分の心を正してゆくもので、「律」は社会生活を秩序あるものとするための規範。ルール。 …続きを読む
フリーターとニートとひきこもり (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その5) 2007年10月19日 思索 Not in Education, Employment or Training。日本語訳は「教育を受けず、労働をおこなわず、職業訓練もしていない人」。通称ニート。 日本のニート人口は2005年時点で約87万人と言われている。 フリーターはニートと混同されこともあるけれど、本来はフリーターはなんらかの仕事をしているのに対し、ニートは仕事をしていないという違いがある。働く意欲のあるなし…続きを読む
より善く生きる (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その4) 2007年10月18日 思索 「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだ。」 ソクラテスが獄中で親友のクリトンに語った有名な言葉。 精神と肉体の鬩ぎあいの中で、肉体煩悩を克服しそれをコントロールする。それは、まさに自分こそが心の主になっている姿。欲望に心を支配されていない自分がある。 自分の精神が心の主になれないと、自在に変化して善く生きることはできない。 …続きを読む
ディオゲネスとボヘミアン (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その3) 2007年10月17日 思索 精神の自由を確保するためには、執着から遠く離れていないといけないと言ったけれど、これは多分に主観的なもの。過去には、お金にまったく心が囚われなかった人々がいたのは事実。 ギリシャの樽の中の哲学者、ディオゲネスはその代名詞。彼は物質的快楽をまったく求めず、粗末な上着のみを着て、樽を住処とし、乞食のような生活をした。 アレキサンダー大王がディオゲネスに会いに行き、日向ぼっこしていたディオ…続きを読む
精神の自由の確保 (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その2) 2007年10月16日 思索 正義もそうだけど、高貴な精神を作るためには、まず精神が変化可能な状態でないといけない。精神状態が固定されて、動くことができなかったら、高貴さには一歩も近づけない。 精神が固定されている状態って何かといえば、たとえば、深い悔恨や悩み事、時には嬉しい思い出に浸っているときのように、心が一点に囚われている状態のこと。執着で一杯のとき。 貴族が高貴であったり、そのように見えたりするのは、…続きを読む
高貴な精神 (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その1) 2007年10月15日 思索 当日比野庵にも、たびたびコメントをいただくsuzuran様のブログ「まじめ人間のつれづれ日記」 にて、日比野庵9/6のエントリー「独立とはなにか」についてのエントリーを挙げられており、これに対して日比野もコメントさせていただいたのですが、そのやりとりの中で、民主主義と名誉・・ノブレス・オブリージュが両立するのだろうかというテーマが浮かんだので、これについて考えてみたい。連続7回シリーズでエントリ…続きを読む
理想と現実 2007年10月14日 時事 政治 いつもお世話になっている「途転の力学」さんの「福田政権誕生は本当に悪夢なのか」のシリーズエントリーで、福田総理は単なる媚中派なのではなく、超現実主義者ではないかとの指摘があった。 これに関連して現実主義の利点について考えてみたい。 民主党の小沢党首はかねてから国連中心主義を打ち出しているけれど、今回のテロ特措法でより明快にそれが国民に知れ渡った。 国連中心主義って、つま…続きを読む
理解するということ 2007年10月13日 思索 他人を理解するのは難しい。本当の意味で理解することはもっと難しい。 どんなに話しこんだとしても、どんなに一緒にすごしたとしても、すべてを知ることはできない。 人のまなこは壁の向こうを見ることはできない。 人のこころも読み取ることはできない。 その人が生まれてこのかた思ったことも、悲しみも、よろこびも、あまたの体験も、自分は体験することはできない。 そのひとの…続きを読む
天照す国 (ソフトパワーは抑止力になり得るか 最終回) 2007年10月12日 思索 「慈悲というものは、強制されるべき性質のものではない。慈悲が空から注いで、この大地を潤すように、まさにそうであるべきなのだ。 ・・・慈悲とはこの権力による支配以上のものであり、王たるものの心の王座に宿るものなのだ。」 シェークスピアの「ヴェニスの商人」の中の有名な一節。 心を潤し、従わしめる存在は、慈悲のごとく、空から注いで、この大地を潤すように、下位レイヤーに浸透してゆくもの。日…続きを読む
日本のユビキタス化(ソフトパワーは抑止力になり得るか その5) 2007年10月11日 思索 下位レイヤーでの権威化したものはなにかというと、人々の生活に密着し、土着化したもの。各国で土着化し、変容した世界宗教もそうだし、服飾文化や食文化や建築文化もそう。文明を下敷きとして、その国の文化を形作るもの。 だから日本のソフトパワーを権威化して抑止力として考えるなら、この下位レイヤーに浸透するものでなくちゃならない。 日本の文化や商品が世界中の人々の生活に密着して、土着化することが…続きを読む
縁起のレイヤーとロビー活動(ソフトパワーは抑止力になり得るか その4) 2007年10月10日 思索 縁起のレイヤー構造の中で、大きく価値観体系を既定するのは思想レイヤーと経済レイヤー。これら上位レイヤーで大まかな国の形を維持してる。その下の下位レイヤーでは、昔ながらの伝統や日々の生活が営まれる。 ロビー活動は主に上位レイヤーで行われる。経済レイヤーで献金をして、自分の息のかかった議員を送りこみ、思想レイヤーで宣伝戦を行う。 だけど、後々の時代まで消えずに残ってゆくような普遍性のある…続きを読む
心と肉体の主従関係(ソフトパワーは抑止力になり得るか その3) 2007年10月09日 思索 権威は心を従わせしめ、権力は肉体を支配する。 もし、心と肉体のどちらが主でどちらが従になるかという主従関係があるのなら、権威を求めるべきか、権力を求めるべきかはっきりする。 平和な世では精神が主で肉体が従。まず生命の安全と将来にわたっての生命財産の保障がなされてようやく、精神活動が主権を握る。身を捨てても精神を取れる人はやはり少数派。 戦乱の世では肉体生命の保持が先になる。精神…続きを読む
権威の源泉(ソフトパワーは抑止力になり得るか その2) 2007年10月08日 思索 権威とは自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる権力とは別のもの。 助言以上命令以下であるけれど、他者に対して権威的であるためには、その両者が同じ価値体系や規範を共有していないといけない。価値体系が異なる存在同士では、権威は発生しないから。 今の世界では、いくつかの価値体系がそれぞれあって、互いに覇を競っている。だけど、表面上は互いの…続きを読む
ソフトがパワーを持つ条件 (ソフトパワーは抑止力になり得るか その1) 2007年10月07日 思索 ソフトパワーは果たして、抑止力になり得るか考えてみたい。全6回シリーズでエントリーする。 ここでは、ソフトパワーをその提唱者であるハーバード大のジョセフ・ナイ教授にしたがって 「その国家の有する文化および国家の国内外における政策」と定義して考えてみる。 ソフトパワーとは端的にいえば、強制させる軍事力とか、取引である経済力とは違って、相手に自発的に自らの思いどうりに行…続きを読む
縁起のレイヤー (日比野庵 本館 7/13~7/20 部分修正) 2007年10月06日 思索 過去エントリーの再掲シリーズもひとまず今日で終わりです。 明日から新シリーズをエントリーの予定です。 1.縁起の織物 場理論というのが注目されている。レヴィンによって提唱された、ある対象を「物体」というよりはむしろ「場所」として捉えることを前提とする理論のこと。集団で考えれば、「部分としての個人の変化が、全体としての集団に及ぶと同時に、集団の変化が個人に及ぶ」という力動的…続きを読む
六道輪廻と日本の生き筋 (2007/06/23~27に補追) 2007年10月05日 思索 たびたび申し訳ありません。先週末に今週分のエントリーを書けませんでしたので、再掲をつづけさせていただきます。 1.六道と国の輪廻 仏教思想に六道輪廻というものがある。この世に生を受けた迷いのある生命は死後、生前の罪により、地獄道(じごくどう)、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、修羅道(しゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう)の六つの世界のいずれ…続きを読む
知の性能 (2007/06/01~05) 2007年10月04日 思索 今日も昔のシリーズエントリーの再掲です。 1.知の価値 ネットも光通信になってから、伝送速度が飛躍的に向上した。ブロードバンドが情報の高速道路だとすると、サーバやハブはサービスエリアやインターチェンジ、料金所なんかのインフラ。走る車は、ネット内の情報。車の種類や性能はいろいろあるはずだけど、どれがどれくらいの性能かなんて分からない。 新聞はもはや斜陽産業。契約者…続きを読む
コストマイナス社会 (2007/05/12~15) 2007年10月03日 思索 週末から風邪をひいてしまい、エントリーできませんので、昔の連続シリーズエントリーをまとめて再掲します。 1.価値の詰め込み方 製品は固有の機能を持つけれど、どんな機能を持っているかで価値が決まっている。 だから製品は「価値を詰め込んだもの」と定義することができる。日本の製品はひとつの製品にいろんな機能をつける多機能型。無理にでも多機能にして差別化を図る。テレビデオと…続きを読む
日本という天国に生きる 2007年10月02日 思索 「地上天国日本」のエントリーでも触れたけれど、今の時代に日本に生まれるということは、天国に生まれることとほぼ同義。 六道思想で考えてみても、日本は世界の中でも人間道以上を達成している数少ない国。そしてその均一性の高さから、国中満遍なく、人間道以上を達成しているところに最大の特徴がある。 先進国といえども他の国では、天道もあると同時に、教育も満足に受けられない、畜生道や飢えに苦しむ餓鬼…続きを読む
中国の覇権主義と価値を生む力 2007年10月01日 時事 政治 自由主義国の力の源泉を考えてみる。 今の自由主義経済圏、特にアメリカがそうだけど、その力の源泉はいわゆるアメリカンドリームにあると思う。 アメリカは世界中から優秀な人材を集め、常に新しい(商品)価値を創造してる。 なぜ優秀な人材を集められるかといえば、優秀な人材を素直にみとめ、それに見合った処遇をすることができるから。これは優秀な人材だと思えば、大金を積んで、自国に招き、新しい価値…続きを読む