コミュニケーションできる条件(コミュニケーションとは何か その1) 2008年04月30日 思索 日比野庵離れにアップした「考えること、伝えること」のエントリーのコメント欄にて、さくよ様から、コミュニケーションをする意味について質問を頂いたので、これについて考えてみたい。全8回シリーズでエントリーする。 [Asagi's photo]より まず、コミニュケーションを行う意味について考える前に、そもそもコミュニケーションが成立する条件について整理してみると、おそらく次のよう…続きを読む
日本とチベット 想いの同盟 2008年04月29日 時事 長かった一連のチベット関連&聖火リレー関連の単発エントリー群も、ひとまず本日のエントリーでひと区切りとさせていただきます。 胡主席来日絡みでなにか感じるものがあれば、都度エントリーさせていただきます。 戦いすんで日が暮れて。YOUTUBEやニコニコへ次々とアップされる動画を見るとチベット支持を叫んだ人たちの奮戦の様がありありと映し出されている。報道でされているほど生易しいもの…続きを読む
日比野庵は創業はや1周年を迎えていました 2008年04月28日 お知らせ 今日は、ちょっと楽して、ぐだぐだと。。。 チベット、聖火リレーと燃えている間に、日比野庵は一周年を迎えていました。 2007年4月18日からスタートして、一日も休むことなく毎日更新を続けることができましたのも、ひとえにこんな思いつきブログを尋ねてくださる皆様のお陰をもちましてのことと、深く感謝しております。 はじめた当初は一日5PV(内3PVは自分)くらいで、細々細…続きを読む
業火は神風に消され、歓迎されない五輪が始まる。 2008年04月27日 時事 大混乱になった、長野聖火リレー。よくぞ表向きにせよ数人の逮捕者で済んだものだと思う。どうみても警察当局の3000人程度で抑えられるものではない。日本人の自制心と徳性が最悪の事態を防いだ。 現地の参加者に敬意を表します。 リレーの感想を一言でいうと、表題のとおり。 「業火は神風に消され、歓迎されない五輪が始まる。」 偶然か必然か、長野だけの雨と風。出発式では、聖火を…続きを読む
業火を聖火に 2008年04月26日 時事 善光寺さんが、追悼法要をリレースタート時刻に合わせることにしたとの報道がありました。 これで完全に追悼法要が中心になりました。 リレースタート地点は、一般客の入場制限がありますし、なにより100名もの機動隊員に囲まれては、炎すら見えますまい。 願わくば、リレー開催中、追悼法要が営まれ続けることを期待します。 追悼法要に集まった人数がリレー応援団のそれを超えたとした…続きを読む
人権vs中華思想 2008年04月25日 時事 今回のチベット騒乱がらみの各国の反応と中国の反発について。 ※ すみません。思索できておらず感想のみです。オチはありません。 CNNを始めとする西欧諸国の中国糾弾は凄まじい。人権をキーワードに対立は激化している。それに対して中国は、西欧諸国による攻撃ととらえ、徹底的に反発している。英字紙チャイナデーリーによると、チベット騒乱に対する見方について、北京市などの905人に電話調査…続きを読む
不敗の地 2008年04月24日 時事 お知らせ 善光寺さんでリレー当日行われる追悼式について。 今のところ、私はこの追悼式に重要な意義を見出しています。なぜかというと追悼式が、聖火リレーの意味合いを変えるからです。すなわち、「聖火」を「追悼の送り火」にもしているからです。 リレー当日の追悼式にどれだけ集まるかで勝利が決するとはいえ、もはや勝利か大勝利かの選択にしか過ぎません。 エントリー当時は、善光寺さんがスタート地…続きを読む
ほんの少しの勇気と行動 2008年04月23日 時事 お知らせ 今回の善光寺でのリレー当日追悼式について、ネット界隈では賛同の声が上がっているようです。 ※某巨大掲示板では、善光寺の株はうなぎのぼり。 超善光寺やら、政府なんかよりずっと外交センスがあるなどと、最大級の賛辞が続いています。 4/17の昼に善光寺事務局に電話して、リレー当日に追悼式をもう一度是非、とお願いしたときには、必ず上に伝えますととても丁寧な対応をしていただいていたもの…続きを読む
事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり 2008年04月22日 時事 お知らせ ビックニュースです。 聖火リレーのスタート地点を辞退した善光寺さんが聖火リレーに合わせチベット動乱犠牲者の追悼法要をされるとのことです。 先日、提案させていただいた読経デモが現実のものとなりました。 聖火リレーに合わせて、追悼式を行う決定をくだされた、善光寺どのに深く感謝を表し、チベットの方々の命と魂が仏の大悲により救われんことを祈念いたします。 この読経…続きを読む
平和の祭典(長野の聖火リレーについて 最終回) 2008年04月21日 時事 読経デモにおいて、読まれるお経としては『延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんぎょう)』がいいのではないか、といったけれど、これはもちろん、これ以上の犠牲者を出さないようにするため。 読経デモは、犠牲者を弔いつつも、新たな犠牲者を増やすなというメッセージ。 それはもともと五輪が「平和の祭典」であったということを思い起こさせるという意味において、とても深い意味を持つ。 …続きを読む
長野の聖火リレーの意味 (長野の聖火リレーについて その3) 2008年04月20日 時事 今回の聖火リレーは、コース変更や短縮と激しい抗議活動があったにも関わらず、中国政府は国外に対しては抗議活動を非難して、国内には聖火リレーそのものは大成功だと喧伝している。 だから、彼らにとっては、形はどうであれ、聖火リレーを実施しさえすればよく、極端な話、聖火が当該国に到着さえすれば、その時点で彼らにとっての聖火リレーは成功したことにできる。 長野の聖火リレーについていえば、スタート…続きを読む
小戦略目標の達成とその意味 (長野の聖火リレーについて その2) 2008年04月19日 時事 聖火リレーへの抗議デモやオリンピックボイコットで、チベット弾圧そのものが終わるかどうかはひとえに中国政府の対応にかかっている。中戦略以上は中国自身がその気にならないとどうにもならない。そしてその可能性は極端に低いであろうことは、これまでの中国の対応と反発をみれば容易に想像がつく。 たとえ、小戦略目標を完全に達成して、北京五輪が中止になったとしても、それでチベット弾圧が止む保障はない。むしろ…続きを読む
デモの効果(長野の聖火リレーについて その1) 2008年04月18日 時事 今回の聖火リレーに対する長野での抗議行動が持つ意味について考えたい。全4回シリーズでエントリーする。 デモとは、ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそれら意思や主張を他に示す行為。それらを行うことで現実社会の変革を期待する行為。 昔だったら一揆や打ちこわしだったものを、平和的にしたもの。当然それらには目的が存在してる。 今回の聖火リレーに対する抗議活動の…続きを読む
【補追】長野聖火リレーでの抗議活動に関する提案 補追 1 2008年04月17日 時事 昨日のエントリーに使った写真に関して気づいたことがありましたので、補追します。 昨日のエントリーに使用した画像は、ネットを徘徊しては、なんの気なしに綺麗そうなのを、ということで選んだものです。 先ほど改めて写真の中身を確認しましたら、偶然かどうか分かりませんが、今回提案させていただいているデモの主旨とぴったり一致していることに気づきました。 最初の写真のお経ですが、…続きを読む
長野聖火リレーでの抗議活動に関する提案 2008年04月16日 時事 長野の聖火リレーでの抗議行動が予想され、警備を含め緊張が走っていますが、ここで平和的かつ効果的な抗議行動の提案をさせていただきたいと思います。 いろいろなブログで様々な案が散見されていますが、その中にリレーコースを読経してまわるというのがありました。 私はこの案を強く支持します。 ただ、私はこの案に若干の修正を加え、 スタート地点である善光寺とゴール地点である…続きを読む
原理の奥に潜むもの(聖火リレーについて 最終回) 2008年04月15日 時事 ダライラマ14世の徹底した非暴力の姿勢は、仏教=平和主義という根本を抑えつつ仏教最高指導者としての権威を揺るがせにしていない。 こうした態度は世界中に平和的メッセージとして発信される。世界も好意的イメージを持ってそれらを受け取っている。 だから、中国がダライラマを口撃すればするほど、どんどん中国のイメージが悪くなるばかり。悪循環に陥っている。 そうであるにも関わらず…続きを読む
ダライラマの権威・オリンピックの権威(聖火リレーについて その2) 2008年04月14日 時事 パリの聖火リレーのランナーの周りには中国から派遣された青白服のSPが護衛についていたという。それだけ面子を気にしての行動なのだろうけれど、パリで火を消され、予定のコースを走れずに終わってしまった。面子は丸つぶれ。 のんびりな日本人の中にも、こんな状況下においてもオリンピックをやろうとしているIOCの姿勢をみるにつけ、オリンピックといってもこの程度か、という落胆が広がっているよう…続きを読む
聖火リレーに対する抗議行動(聖火リレーについて その1) 2008年04月13日 時事 波乱含みの聖火リレーについて。3回シリーズでエントリーする。 今回、聖火リレーに対する各国での激しい抗議活動。パリでは聖火が消され、サンフランシスコではコースの大幅な変更と短縮での対応を余儀なくされた。ブエノスアイレスでは、聖火ランナーであったマラドーナが急遽不参加したとの報道もされている。 IOCはあまりの抗議の激しさに聖火リレーのコース短縮や変更を検討するそうだけれど…続きを読む
真理の大海(信じる行為と理性の関係について 最終回) 2008年04月12日 思索 分からないものがあるとか、信じるしかないものがあるというのは人類の限界を示しているようにも見えるけれど、分からないものであるとか、目に見えないけれどあるものというのは人間の好奇心・探究心を刺激する。 分からないものがあれば、なんとかして分かりたい、知りたいと思う気持ち。その心が人類を進歩させる。 もしも、この世もあの世も全てが分かったとしたら、人間はやることが無く…続きを読む
基礎力と経験(信じる行為と理性の関係について その6) 2008年04月11日 思索 物事を考え見極める基礎となる知識や思考能力は、信じる力を有効なものとするためには重要な力。 将棋の指し手を考える思考プロセスと同じように、基礎力があれば、信じる行為に移る前に、考える必要のないものをあらかじめ捨ててしまえる。 もちろん今までの常識に囚われるあまり、真実として将来証明される事柄を切り捨ててしまうこともあるのだけれど、だいたいにおいては切り捨ててしまってもたいして問題には…続きを読む
ひらめきと感覚(信じる行為と理性の関係について その5) 2008年04月10日 思索 「ハッキリいって、大山先生は盤面を見てない。読んでいないのだ。・・・脇でみていても読んでいないのがわかる。読んではいないが手がいいところにいく。自然に手が伸びている。それがもうピッタリといった感じだ。まさに名人芸そのものであった。」 将棋界最強とも言われた大山康晴十五世名人を評した、羽生善治二冠の言葉。 将棋の指し手を考えるプロセスは、信じた仮説に対して、理性で検証してゆ…続きを読む
理性による検証(信じる行為と理性の関係について その4) 2008年04月09日 思索 分からないことは、何がしかの仮説を立ててそれを証明する証拠を探していくことで明らかにする手法が科学の世界では良く使われるけれど、それとて、まず仮説そのものを信じることができなければ成り立たない。 一人の学者がいくら新しい仮説を立てたところで、周りが誰ひとり信じなければ、本人が証明できない限り仮説はそこで消える。谷村も志村も自分では谷村=志村予想を証明できなかった。 [Asag…続きを読む
予想と証明(信じる行為と理性の関係について その3) 2008年04月08日 思索 「きみの意見では、いくつかの楕円方程式はモジュラー形式に関連づけられるというんだね。」 「いえ、そうではありません。いくつかの楕円方程式ではなく、すべての楕円方程式です。」 フェルマーの最終定理を証明する際に重要な鍵となった谷村=志村予想を発表した志村五郎とある高名な数学者とのやりとり。 谷村=志村予想とは、1955年に発表された理論で、無限の対称性を持つモジュラー形式…続きを読む
仮説と信じる力(信じる行為と理性の関係について その2) 2008年04月07日 思索 「不明推測法と知識と認識力」で不明推測法というものを紹介したけれど、最先端の科学の世界はわからないことだらけ。だからそれらを解明するために科学者達は様々な仮説を立てては、それを証明するための実験と観測を繰り返す。 やがて、仮説を証明するような現象や事実が観測されて、その仮説から「仮」の文字が取り除かれる。さらに時が流れてその「説」が世の中に広く浸透して、多くの人がそれを受けいれるようになっ…続きを読む
目にみえる世界、目に見えない世界(信じる行為と理性の関係について その1) 2008年04月06日 思索 信じるという行為と理性の関係について考えてみたい。全7回シリーズでエントリーする。ただし今回のエントリーでは過去様々な人が言及していった「信仰と理性の両立」というテーマではなく、「信じるという行為の持つ意味と理性の関係」に絞って考えてみたい。 [Asagi's photo]より 信じるという行為は、信仰でも代表されるように目に見えないものを信じること。もちろん目に見え…続きを読む
匠は一日にして成らず 2008年04月05日 時事 すでにいろんなブログで取り上げられているけれど、埼玉の世界一砲丸作り職人の辻谷さんの話。 北京五輪への自身の砲丸の提供を断っていたことはご存知の方も多いと思う。 この辻谷さんの砲丸づくりに掛ける情熱に日本の匠のプライドを感じた。 辻谷さんは13歳で働きはじめ実に60余年のキャリアを持つ超大ベテラン。 だけど、その探究心はもっとすごい。16歳から4年間夜学に通い…続きを読む
【お知らせ】 本日より再開いたします。 2008年04月05日 お知らせ 内観期間中は大変ご迷惑をおかけしましたが、本日より再開させていただきます。 今回の内観にていろいろ発見や気づきがありました。 心の波を静めて沈思黙考することの大切さに改めて気付かされた思いです。 これからもよろしくお願いいたします。 続きを読む
■人として生きるということ 2008年04月04日 再掲 思索 1.人間とロボット 人間の精神と肉体において、精神が肉体を制御しているのか、それとも肉体が精神を規定しているのか、精神と肉体の関係について考えてみたい。 人間を構成する要素を考えてみると、五感という感覚器官を備えた肉体と知・情・意のはたらきを持つ心からなるというのが、おそらく一般的な答え。 身体の中に心がある、魂が肉体に宿る、という言葉からイメージされるように、心の外側に肉…続きを読む
■スポーツと戦争 2008年04月04日 再掲 思索 1.経験の差 先頃、野球の北京五輪のアジア最終予選が行われ、星野ジャパンは見事北京への切符を手にした。 中でも、日韓戦の平均視聴率は23.7%をマークして、今年のプロ野球中継で最高視聴率であった日本シリーズ第1戦の17.6%を大きく上回ったという。 一連の中継・報道・解説をみて強く感じたのは、発展途上のサッカーとは違って、日本国民全体に浸透している野球に対する伝統の厚み、経験…続きを読む
■コミケと文化について考える 2008年04月04日 再掲 思索 1.きちんとしてること 漫画やアニメが日本に広まってから随分になる。いまやドラえもんやポケモンは世界中で受け入れられ、日本のポップカルチャーの代表作にまでなった。 商業誌だけでなく、アマチュア誌の祭典であるコミケも盛ん。 プロとアマの差とは何に現れるのだろうか。 一義的にはその作品が商売になること。そのための必要条件として、作品のレベルが一定水準以上あること。 商売…続きを読む
■利潤について考える 2008年04月03日 再掲 思索 1.新自由主義の是非 最近、日本でも格差社会が叫ばれ、新自由主義というものに疑義が呈されるようになってきた。 新自由主義(ネオリベラリズム)とは、国家による福祉・公共サービスを縮小して小さな政府と民営化を進め、大幅な規制緩和と市場原理主義を重視する経済思想のこと。 要は、勝者は徹底的に勝って稼くべし、勝者の総取りを是とする思想。政府は面倒をみないから、自分の才覚と責任において…続きを読む