■ 信じる行為と理性の関係について

  信じるという行為の持つ意味と理性の関係について考えてみたい。 1.目にみえる世界、目に見えない世界 信じるという行為は、信仰でも代表されるように目に見えないものを信じること。もちろん目に見えないだけでなく、五感で検知できないものはその対象となる。抽象概念なんかもそう。 分かっていること、当たり前の常識には信じる行為は入り込む余地はないようにみえるけれど、常識と…

続きを読む

■ 天使のコミュニケーション

  再掲です。 1.コミュニケーションできる条件 コミュニケーションをする意味について考えてみたい。 まず、コミニュケーションを行う意味について考える前に、そもそもコミュニケーションが成立する条件について整理してみると、おそらく次のようになるだろう。 1.外部との通信インターフェースがある 2.入出力された情報を認知または認識するための共通データベ…

続きを読む

日本人のあるべき姿について(正義とは何か 補追2)

読売新聞社が5月17、18日に「宗教観」をテーマに日本人の年間連続調査を面接方式で実施したところ、何かの宗教を信じている人は26%にとどまったものの、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めたという。 この調査から、多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔…

続きを読む

チベット人のあるべき姿について (正義とは何か 補追1)

前回のシリーズエントリー「正義とは何か」に関連して、チベットの人たちの「あるべき姿」を考えていたところ、素晴らしい記事を見つけたので紹介する。  この陳思氏のチベット問題に触れられている記事の中で、チベット人のあるべき姿を考える際に、とても参考になる記述がある。 「大多数のチベット人はまず自分を中国国民だと考え、その次にはじめてチベット人だと考えている。  だから、…

続きを読む

橋下知事にみる節約意識と世間の目

「今のままだったら、知事はただの壊し屋、解体業者だ。府民だましの人件費削減案に断固として反対する。」 「広く薄くみんなで負担してこなかったツケが今、ここできている。府民の皆さんにわかっていただきたいのは、一般会社だったら当然、破産して従業員の給料が半分になる。株主は府民の皆さんなんでね。」 次々と財政再建への改革案を打ち出している橋下大阪府知事。 先日、大阪府職員…

続きを読む

四川大地震についての雑考

天災より人災被害が拡大している感のある四川大地震。これまでの雑考など。 5/24まで動きをIzaWEB版の見出しから振り返ってみる。 44693 44693 44693 44693 44693 44693 44693 44693 44693 44693 44693 44694 44694 44694 44694 44694 44…

続きを読む

理想国家(正義とは何か 最終回)

民族自決権は、1789年のフランス人権宣言において、その思想的根拠を明確に表明しているとされ、第一次世界大戦の際に、アメリカのウィルソン大統領が十四か条の平和原則で提唱したのがその始まり。 第二次世界大戦後には、国連憲章の中で人民自決の尊重が盛り込まれ、今では広く認められている。 この民族自決という問題は、民族としてのあるべき姿に差異があるが故に起こる問題だと捉えることもできる。縁起の縦糸…

続きを読む

あるべき姿と民族自決(正義とは何か その13)

国家としての法律を決める時には、前にも触れたとおり、性悪説的に人間をみればみるほど、罰則規定を強化して、ある意味、恐怖による統制を下敷きにした社会が出来上がるし、性善説的にみればみるほど、罰則はより少なく、規制がより少ない自然に任せるような社会になってゆくもの。 これは、国民からみても同じであって、国家を性悪説でみればみるほど、国は悪いことをしているに違いないから、国のいうこと…

続きを読む

人の世を治めるのは神か人か(正義とは何か その12)

国家体制としての法を考えた場合、その根拠をどこに求めるかによって、体制は当然変わる。ひらたく言えば人の世を治めるのは神か人か、という問い。 人の世を治めるのは神という立場は人間に対して、神の教えという「戒め」と国家法で規定される「律法」という二重の規範を求めることになる。 そのとき、国家法が自然の法、または神の教えが根拠にある場合とない場合とでは、規範に対する尊守意識が異なってくる。…

続きを読む

自力と他力(正義とは何か その11)

あるべき姿である、神の理想、天の掟と、あらしめる力としての地上の正義。その地上の正義はあらしめる力をどのように規定するかと、どうやってそれらを広くあまねく地にいきわたらせるか、という3つの要素のどれを重要視するかで法に対する考え方が変わってくる。 自然法・自然権・人権の差異がそれ。 自然法は、事物の自然本性から導き出される普遍で不変な合理的法。 自然権は、自然法を地に顕すための最低…

続きを読む

分配の論理(正義とは何か その10)

どんな時代でもどんな国でも、すべての国民が貴族やセレブになれるほどの富に満ち満ちた状態であることは稀有なこと。殆ど有り得ない。だから、国家は限りある富をできる限り公平に分配して、健康で文化的な最低限度の生活を保障することしかできない。 そういった分配の論理は過去さまざまな方法が提案されてきた。古くはアリストテレスが提唱したように、個人の徳性や能力に応じて配分されるべきである、とか近年では破…

続きを読む

社会のあるべき姿に必要なもの(正義とは何か その9)

個人があるべき姿に向かわんとするとき、社会もあるべき姿に向かっていくけれど、そのために必要なものもまた設けないといけない。思想表現・選択の自由と集会・結社の自由がそれ。 個人があるべき姿に向かう時、地上に生きている限り、心に持つあるべき姿は現実社会の中で表現され得るもの。自分はこういう理想を持っているとか、こういう風に生きてみたいとか。個々人のポリシーがある。それを公言し、…

続きを読む

自然権と人権(正義とは何か その8)

あるべき姿を有らしめるための法律、ノモスを人間の性質を基準に決めるとすると、最低限必要になるものは、人間ひとりひとりがそれぞれ理想とするなんらかの「あるべき姿」に向かえる環境を保証しないといけない。 ひらたくいえば、精神の自由をどうやって確保していくかということ。 精神が自由であり続けるためには、まず精神の主体が生存できて、他の何者にもその考えが制約されないことが必要…

続きを読む

あらしめる力はどう規定されるか(正義とは何か その7)

なんらかの「あるべき姿」があったとして、具体的に現実社会を治めていくところの法律、ノモスをどう決めればいいかを考えた場合、それは人間が何者にも制約されない「自然状態」において、人はどう行動するのだろうかという見解によって変わってくる。 「自然状態」においても人々は規律正しく、折り目ただしく生活すると思えば、ちまちまと法律を規定する必要はなくなる。逆に欲望に身を任せて好き勝手する…

続きを読む

正義の変転(正義とは何か その6)

地に降りた教えの厳密さ、詳細さは、人間の自由意思と深く関係がある。 たとえば神の教えが賽を穿ち微に渡り、それこそ箸の上げ下ろしまで規定するくらいになったとすると、人間の自由裁量の余地はどんどんなくなってゆく。 人間は神の教えに従いさえすればよいから、ある意味、とても楽ではあるけれど、そこに人間の自由意思が存在する余地はない。 宗教的にそういった規定が最も厳格なのは、…

続きを読む

あるべき姿はいくつあるのか(正義とは何か その5)

今の地球上で「あるべき姿」とされているのは、ひとつというわけじゃない。自由主義、共産主義、イスラム社会など様々な主義主張を「あるべき姿」として、それぞれの国や地域で求め、適用している。 それぞれがそれぞれのあるべき姿を正義としてる。 [Asagi's photo]より あるべき姿として地に現れてくる自然の法(ピュシス)の根源が神にあるのであれば、神の数だけあるべき姿、正…

続きを読む

あるべき姿をどう認識するか(正義とは何か その4)

果たして人間は、自然の法(ピュシス)を認識できるのだろうか。 もしも、人間は自然の法(ピュシス)など絶対に認識することはできない、と考えるのであれば、そこから先は二つの道にわかれることになる。ひとつは人間を半ば超えた存在、最高峰の認識を持った神の代弁者に語ってもらう道。もうひとつは自然の流れに身をゆだねる道。 前者は時に預言者や宗教家と呼ばれ、後者は神の見えざる手と呼ばれる。 …

続きを読む

自然の法(ピュシス)とノモスは別のものか(正義とは何か その3)

ここで、「人間は子孫を残す」という事例を考えてみる。人間のみならず、動植物は子孫を残すのは自然なことであるし、おそらく悠久の昔から変わらぬ事実。自然の法(ピュシス)のひとつといってもいい。 ある国で、国王が全国民の子供ひとりあたり、毎年麦一束を分け与えると約束していたとする。ある年、麦が不作になって、分け与えるほどの麦がとれなくなった。仕方なく国王は「今後ひとりとして子供を作っ…

続きを読む

法に従う理由(正義とは何か その2)

自然の法(ピュシス)は自然の中に流れる掟だから、人間が存在するしない、社会が存在するしないに関わらず、そこにあるもの。不変なもの。自然の法(ピュシス)は何者にも制約されることなく、同時に全ての内にあるもの。 だから、人間や国が存在して、その社会を秩序作る決まり事(ノモス)があったとしても、依然として自然の法(ピュシス)は存在するし、何の制約を受けることもない。 自然の法(…

続きを読む

ピュシスとノモス(正義とは何か その1)

正義・人権について考えてみたい。ただし、正義という概念については、過去様々な諸賢にて議論されているテーマでもあり、正直、筆者には荷が重いことは十分承知している。それでもなお、思索を試みるのは、ひとえにチベット問題を契機として、人権や正義とは何かという疑問が湧いてきたためである。 今回の正義をテーマとするシリーズエントリーは、筆者的には試論の位置づけであり、諸兄の御指摘、御指導を仰ぎながら再…

続きを読む

中国・四川大地震 【5/15追記】

中国四川省で5月12日に起こった、M7.5の大地震、一万二千人を超えるといわれる犠牲者をだし、なおも多数が生き埋めになっているとのこと。心よりお悔やみ申し上げます。一刻も早く救助され、ひとりでも多くの人命が救われることをお祈り申し上げます。 【5/15追記】 震災から丸3日たとうというのに、被災者の救助は遅々として進んでいない。温家宝首相が被災地に飛んではみたものの、各国…

続きを読む

イビツァ・オシムが政治家であったなら

サッカー日本代表の元監督のオシム氏の言葉は、味わい深く、言語録として本にもなっている。 たまたま見つけて保存しておいた、2007年のインタビュー記事があるが、その内容が政治の世界にも通用する内容を秘めているように思うので、ここに紹介する。 元記事はこちら ●融通無碍に攻め「走れ」(中)(2007/01/30)  オシム監督が描く理想の選手像ははっきりしている。…

続きを読む

Yes!プリキュア5 GoGo! 第14話 『ミルキィローズの秘密!』

2008.5.4放送のYes!プリキュア5 GoGo! 第14話「ミルキィローズの秘密!」。 下の娘が見ていたのを横で何気に聞いていたら、こんなセリフがあった。 「渡さないナツ・・」 「ん?」 「奪うことからは悲劇しか生まれないナツ」 「はぁ」 「むかしこの世界であったことナツ。大きな国がコショウやさまざまな資源を奪うために小さな国々を襲ったナ…

続きを読む

影な総理の威力(胡錦濤主席の訪日について 補追1)

胡錦濤主席の訪日についてのシリーズエントリーの補追として、日本側の対応について検討してみたい。 今回の日中首脳会談で、一部からパンダしか成果は無かったとさえ揶揄される福田総理。なにをしたい、というビジョンもないように見え、はっきり語ることもない。どうしようもないようにさえ見えることもある。 だけど、そのキャラが逆に絶大な威力を発揮している面がある。 今回の胡主席の訪…

続きを読む

共同声明に潜む中国の領土的野心(胡錦濤主席の訪日について 後編)

これだけ日本の対中感情が悪化しているときに、胡錦濤主席は、よく日本にこれたものだと思うけれど、もしかしたら、中国はここまで対中感情が悪化しているとは認識できていなかった可能性もある。 記者会見で福田総理が、異例ともいえるマスコミへの、正しい報道をしろ、と注文したのは、日本の大手マスコミによる媚中報道のお陰で、長野聖火事件でも国民感情はたいして悪化していない、と中国は勘違いしたのではないか。…

続きを読む

日中首脳会談引き分けと晒し者になった胡錦濤主席(胡錦濤主席の訪日について 前編)

何しに日本にやってきたのか判らない観のある、胡錦濤主席の訪日。 福田総理に対して、パンダ外交だの、腑抜けだの、色々批判があるけれど、中国サイドからみた、今回の訪日の成否を考えてみたい。全2回シリーズでエントリーする。 『今回の訪日は「暖かい春の旅」だ。両国国民の友情が花開くことを心から望む。訪日は、信頼を増進し、友好を強化、協力を深め、戦略的互恵関係を全面的に推進すること…

続きを読む

5.6 胡錦濤国家主席への抗議デモについて

2008.5.6の東京は、嵐にでもなると思っていたけれど、意に反して快晴だった。嵐は劫火にあわせてチョモランマに出張しているようだ。 胡主席来日にあわせて快晴だったのは、きっと日本側の抗議デモだけが行われたからなのだろう。実に分かりやすい。中国側は例の留学生軍団に動員をかけなかった。友好ムード演出の為かもしれないし、もしかしたら、福田総理から「見せず、聞かせず」の警備で面子を立…

続きを読む

幸福を創る力(コミュニケーションとは何か 最終回)

智慧を沢山持っている人は、それだけ他人に貸し出しできる知識を沢山持っている。その知識は智慧にまで転換しているから、相手の共感も呼ぶし、なにより相手の悩みを解決できる力を持っている。救済力がある。 もしも、いつも智慧の言葉だけを喋るような人がいたとしたら、話すこと話すことが、多くの人の共感を呼び、救い、幸福を作り出してゆくことになる。もはや仏陀の域に達している。 言葉ってそれだけの威力…

続きを読む

智慧を蓄える(コミュニケーションとは何か その7)

自分の感動した体験かなにかを他人に伝えるとき、それを共感してもらえるかどうかは、伝え方にもよるのだけど、一番大きな要素は、伝えた相手も同じような体験をしているかどうか。 似通った経験をしている場合、その話題になると話は盛り上がるもの。だけどそういった似た経験であっても、そのストライクゾーンは案外狭い。 小さな子供を持つ母親同士の井戸端会議なんかでは、子育ての話なんかはよく出る…

続きを読む

学ぶということ(コミュニケーションとは何か その6)

透き通った心で、ありのままの姿を見つめようと努めることで、コミュニケーションにおける情報の減衰や変容は極限にまで減らすことができる。そうして始めて、相手が伝えたかった内容をストレートに心へ送り届けることができる。 そこから先は、己の心の領域。心で受け取ったものを如何に判断していくか。どういう意味づけをしていくか。 そこは完全にスタンドアロンな世界。外部からの何者も侵入できない自分だけ…

続きを読む

ありのままに見る(コミュニケーションとは何か その5)

ごく普通の意見や会話って、世の中に対するもの、いわゆる俗世の話題がほとんど。宗教的信条なんかに基づいた告白とか個人的価値観はそうそう人前でおおっぴらにやるものじゃない。教会とか寺院とかで話すこと。 だから日常会話においては激しい対立はなかなか起こらないのが普通。だけど日本/日本語においては少しナイーブになる。 日本語で、何かの発言に対して、「おめでとう」といわれた場合、主語を…

続きを読む