公私混濁からの脱却 (報道と選択について 最終回)

林思雲氏が述べている「避諱」を表しているとされる論語の「子路第十三」のやりとりをもう少し詳細に見ていくとあることに気づく。公(おおやけ)と私(わたくし)の問題がそれ。 葉公と孔子のやりとりは、親と子という肉親の間柄での話。公私でいえば、極めて「私」に近い領分での例。 このやりとりは、親子のような極めて私に近い関係の中で、どこまで厳格に公のルールを適用すべきかどうかの問題…

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