古館キャスターが背負ったカルマ

 
今日はこの話題を極々簡単に…

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11月24日、長崎県警対馬南署は、対馬市の梅林寺から市指定有形文化財の仏像「誕生仏」を盗んだとして、自称住職の金相鎬容疑者ら韓国人の男4人を窃盗、建造物侵入容疑で逮捕した。

対馬南署によると、24日午後2時ごろ、梅林寺の住職が仏像がないのに気付き同署に通報。署員が対馬市南部の厳原港で、韓国に出国しようとしていた男4人に職務質問し、持っていた紙袋の中から仏像を見つけたため4人を逮捕。更に、もう1人も一緒に行動していて、事情を聴いた上で、25日に逮捕している。

県警は男らから300冊以上の経典「大般若経」を押収しており、仏像と一緒に盗んだ疑いで捜査しているのだけれど、5人のうち3人は容疑を否認しているものの、残り2人は容疑を認めており、「日本に仏像を盗みに来た」「日本の仏像は金になる」という趣旨の供述をしているという。

対馬といえば、2012年にも神社などから国指定重要文化財「銅造如来立像」と県指定有形文化財の仏像が盗まれたばかり。そのときの犯人も韓国人だった。その仏像も返さぬうちにこの所業。まったく罰当たりにも程がある。「許しがたい」という声が強まるのも当然。

ところが、この事件を報じた「報道ステーション」の古舘キャスターのあるコメントに批判が集まっている

古舘キャスターはニュースの冒頭「これも腹が立つ訳ですけれども、また別の面から考えますと、仏教ってのは、そもそも生きる上で物質世界にとらわれている、その執着をダメだよっていう教えでもあるんですけどね。…そりゃもう対馬の方々、お寺さんも本当にってのは分かるんですけど、その大般若経のことは分かりませんけど、般若心経の有名なお経で言うと、『とらわれることから離れなさい』と『こだわることを忘れなさい』と。こだわらない心、とらわれない心、そういうことを教えてくれるんですよね。…経典が盗まれたということは、あまり執着が薄いんですよ。一番肝心なことはそっちに書いているんですよね。…物に執着する我々みたいなのが浮き彫りになるんです。皮肉にも」と視聴者に向かって持論を述べた。

これを聞いていた視聴者は猛反発。「仏像をくれてやれってこと?」とか「取ったもん勝ちの無罪か?」とか、「報ステは、犯罪推奨する番組?」などなど。批判の声は瞬く間に広がっている。批判の中には、「仏教では盗みを禁じている」と仏教の教えを元に冷静に反論しているのもある。

これは筆者の個人的な解釈(独断)であると先にお断りしておくけれど、古舘キャスターが仏像を"モノ"扱いしたことにとても引っかかるものを筆者は感じている。

果たして仏像は「モノ」なのか。

確かに素材という意味では、仏像とて"モノ"には違いない。だけど、何某かの"物質"を特定の姿形に象ることで、単なる"モノ"ではなくなることなんていくらでもある。

例えば、芸術作品なんかはそう。彫刻や絵画などの芸術作品は、その構成要素だけをみれば"モノ"でしかない。だけど、優れた芸術作品は多くの人々の心を潤し、安らぎを与え、後世に伝えられていく。人々の精神に影響を与えるという意味で、単なる"モノ"ではないといっていいだろう。

仏像は、見てのとおり仏の姿を表現した像。だけど、仏像が作られるようになったのは、釈尊没後何百年も経ってから。そのはっきりとした理由は分からないけれど、当時は悟りを開いた釈尊の姿をそのまま表現することは憚られたのではないかという説がある。

実際、釈尊没後しばらくは、釈尊の象徴するものとしては、釈迦の説法を象徴する"法輪"や"足跡"が使われていた。

仏像が作られるようになったのは紀元後1世紀後半~2世紀頃とみられ、当時、西北インドから中部インドにかけて広大な領土を支配していたクシャーナ王朝の首都プルシャプラ(現パキスタンのペシャワール)を含むガンダーラ地方は、ギリシア文化とも交流があり、この異文化の影響が仏像を作る原動力となったのではないかという見方もされているようだ。

いずれにせよ、歴史的には、仏教徒が崇拝・礼拝・信仰できる対象が必要とされ、それに応じた一つの形として、仏像が作られたと言える。

その意味では、仏像は、少なくとも仏教徒にとっては信仰の対象であり「モノ」では有り得ない。彼らにとって、仏像が盗まれるということは、信仰の対象を奪われたも同じ。

だから、古館キャスターが盗まれた仏像について「こだわることを忘れなさい」と言うのは、仏教徒に対して「仏教を捨てなさい、背教しなさい」と言うことであり、大変な侮辱発言をしているのではないかと思う。

勿論、「日本の仏像は金になる」といって盗みにやってくる輩は言語道断だけれど、仏像を"モノ"扱いして「こだわりを捨てよ」なんて嘯いた古館キャスターも結構危ない。

もしかしたら彼は「コーランを燃やす」に匹敵する"カルマ"を背負ってしまったかもしれない。

この記事へのコメント

  • almanos

    彼にとってキャリアで致命的な事態になり得ますね。政治思想云々よりも遙かにヤバイ。事は年配の方にもある「仏様」への思いを逆撫でしてますから。スポンサーから「あいつを降ろせ。後、アホすぎるのを出すな」と言われて降ろされ、他の所も「あんなのを出すなら降りる」と言われて仕事干されそう。まあ、そうなると自業自得ですが、ああいう御仁は絶対に自分の非を認めませんしねぇ。案外、何年かしたらホームレス化してたりして。
    2014年11月27日 06:31
  • sdi

    私はニュースパラエティ番組のキャスターは、番組制作陣のスピーカー役でしかないと考えています。
    仏教発言も、古舘キャスターのスタンドプレーではなく番組スタッフ全員のチームプレイの結果でしょう。泥のかぶるのは古舘キャスターですけどね。
    報道ステーションという番名組みの制作陣全員が、古舘キャスターにあの台詞を「言わせた」というのが実情ですよ。
    2014年11月27日 22:44
  • 路人甲

    まったくもってそのとおりです。
    同じ仏教徒として許せない。仏教の名を借りて、我々の信仰を踏みにじる言動です。仏教ヅラしているだけに余計タチが悪い。
    仏像はモノじゃないんです。信仰のよりどころです。
    2014年11月29日 18:29

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