朝日の慰安婦報道に対する第三者委員会の報告書について

 
今日はこの話題を極々簡単に…

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12月22日、朝日新聞の従軍慰安婦報道を検証してきた第三者委員会が、その報告書を纏め公表した。

その文書はこちらで確認できるけれど、その内容を一言でいうならば、「読者の信頼を裏切るもので、ジャーナリズムの在り方として非難されるべきだ」というもの。

報告書の目次をみていただれば分かるとおり、第三者委員会は、朝日の一連の慰安婦報道について1980年代、1990~1997年、1997年の特集記事、1997~2014年、2014年の検証記事、と年代ごと、あるいは、特集・検証記事に分けて検証し評価を下している。

それによると、「韓国・済州島で慰安婦を強制連行した」とする故・吉田清治氏の証言について、「インタビュー以外に十分な裏付け調査が行われた事実はうかがえない」とした上で、1992年以降、吉田証言の真偽は不明であるとの認識が、 一定程度、社内の関係部署に共有されていたのに、裏付け取材もせず、吉田証言の記事を減らす消極的な対応に終始したと指摘。「新聞というメディアに対する読者の信頼を裏切るものであり、 ジャーナリズムのあり方として非難されるべきである」と批判している。

また、97年の特集記事についても、次のように断じている。
現時点から評価すれば、1997年特集が、その時点での慰安婦問題を総括してその後の議論の土台とする、という意図のもとに作成されたのであれば、吉田証言に依拠して、徴募の場面において日本軍などが物理的な強制力により直接強制連行をしたといういわゆる「狭義の強制性」があったことを前提に作成された記事について、訂正又は取消しをすべきであった。さらに、必要な謝罪もされるべきであった。1997年特集において、訂正・取消しをせず、謝罪もしなかったことは、致命的な誤りであった。

80年代以降、92年に吉田証言に対する信ぴょう性に疑問が呈されるまで、前記のような意味での「狭義の強制性」を大々的に、かつ率先して報道してきたのは、他ならぬ朝日新聞である。1997年の特集紙面が、「狭義の強制性」を大々的に報じてきたことについて認めることなく、「強制性」について「狭義の強制性」に限定する考え方を他人事のように批判し、河野談話に依拠して「広義の強制性」の存在を強調する論調は、 のちの批判にもあるとおり、「議論のすりかえ」である。
また、第三者委員会は、今年8月の検証記事についても次のように述べている。
吉田証言の取消しなど、過去の記事の誤りを認め謝罪することによって読者の信頼を失い支持を得られなくなることをおそれ、謝罪をしなかったのは、反対世論や朝日新聞に対する他紙の論調を意識する余り、これのみを相手とし、報道機関としての役割や一般読者に向かい合うという視点を欠いたもので、新聞のとるべきものではない。

また、「読者の疑問に答える」として掲げられた事項に対する回答も、個別の事実認定について誤りがあるとは言えないものの、慰安婦に対する賠償問題に関して朝日新聞がどのような立場で臨みその中で朝日新聞自身の主張方針に合致するよう記事の方 向付けを行ってきたのではないかとの指摘に対しては、明確に答えていない。

特に、吉田証言については、関連記事を全て取り消すという重大な決断をしたのであるから、取消し時期が初報から約32年を経た2014年となった理由を検証するとともに、そのことに対する朝日新聞の見解を示すことが読者に対する誠実な態度で あった。 総じて、この検証記事は、朝日新聞の自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度 も示されず、何を言わんとするのか分かりにくいものとなったというべきである。
と、このように、吉田証言の取消しに対する朝日の態度は「新聞のとるべきものではない」と痛烈に批判している。

総じて、第三者委員会の報告は、朝日のが「社を守る」という大義によって、さまざまな編集現場の決定が覆されたことを指摘するもので、朝日上層部の責任が極めて重いことを示唆している。

そして、誤報が国際社会に与えた影響については、4委員の報告を併記するに留め、「影響は限定的だった」「韓国における過激な批判に弾みをつけ、過激化させた」などの意見を掲載しているのだけれど、その内、 岡本行夫氏、北岡伸一氏、波多野澄雄氏の3委員が、国際社会に影響を与えたのは吉田証言ではないと指摘していることは注目していいかもしれない。次に該当部分を引用する。
・岡本委員、北岡委員

…日本軍が、直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にした、というイメージが相当に定着している。このイメージの定着に、吉田証言が大きな役割を果たしたとは言えないだろうし、朝日新聞がこうしたイメージの形成に大きな影響を及ぼした証拠も決定的ではない。

しかし、韓国における慰安婦問題に対する過激な言説を、朝日新聞その他の日本メディアはいわばエンドース(裏書き)してきた。その中で指導的な位置にあったのが朝日新聞である。それは、韓国における過激な慰安婦問題批判に弾みをつけ、さらに過激化させた。

第三国からみれば、韓国におけるメディアが日本を批判し、日本の有力メディアがそれと同調していれば、日本が間違っていると思うのも無理はない。朝日新聞が慰安婦問題の誇張されたイメージ形成に力を持ったと考えるのは、その意味においてである。 海外が慰安婦問題について持っている誤ったイメージに対しては当然に反論すべきではある。

…しかし、いかに日本として対応するかは、必ずしも簡単ではない。日本側が反論すれば、多くの場合、いっそう火に油を注ぐ結果になるからだ。吉田証言を報じた記事の取消しにしても、吉田証言は問題のほんの一部に過ぎないと海外の有識者は反論し、海外の一般市民は「日本にはそのような制度があったのか」と改めて好奇心を示すという展開になる。


・波多野委員

…吉田氏はほんの一時期、日本のマスメディアにしばしば登場したが、むろん、加藤談話や河野談話を支える証拠として採用されたわけではない。では、このような認識がどのように形成されたのであろうか。それは、安倍氏自身が述べているように、問題が多いとされた従軍慰安婦の教科書記述について、「自民党議員だけで60 名近い議員が勉強会を重ねてきた」結果であったことは想像に難くない。

…そこでは、慰安婦の強制連行を告白した貴重な吉田証言は、河野談話の有力な根拠と認識され、談話は「強制連行」を認めたもの、というステレオタイプが形成されていたのであろう。
このように、国際社会に影響を与えたのは、吉田証言そのものではなく、それを大々的に報じた朝日の報道姿勢、またはそれについて何度も勉強した結果の刷り込みにあるとしている。

根拠薄弱な報道でも、繰り返すことであたかもそれが事実であったかのように刷り込まれてしまう。この恐ろしさについて、林香里委員が次のように述べている。
エ 報道した記事についての責任の自覚

報道した記事は、それ以降は既成事実となって社会に通用してゆく。報道機関が、虚偽である事実を真実として報道するとは思われないから、一般に、報道された事実は真実であるものとして、以降人の行動や社会の動きの前提となってゆく。記事を報道したということの重みはこのようなものである。

このように重い意味を持つものであるからこそ、報道された記事については、その記事内容の真否や、記事で扱った事象のその後の経過を継続的にフォローし、これらについて何か情報が得られれば、これを報道してゆくのが報道機関の責務である。しかし、朝日新聞社では、一人の記者が突出的な記事を書いた場合でも、その続報が引き続き長期間にわたってその記者に委ねられるということは少なく、今回取り上げたような記事については、引き継ぎの態勢もあいまいである。

こうして、社会的に重要なテーマであっても、継続的にその後の経過や記事の影響をフォローしてゆくような制度も存在しないから、その場限りの記事、あるいは過去の報道を吟味しないままこれを踏襲するような記事が罷り通るということになっている。
と、林氏は、報道機関において、言いっぱなし、やりっぱなしが如何に危険なものなのかを指摘している。

今回の報告を受けて、朝日がいかなる改革案を示すかどうか分からないけれど、報告書の指摘を読む限り、相当な大ナタを振るわないと解決には至らないのではないかと思えてならない。そしてこれは、他の新聞を含めたマスコミ全体の問題として捉えられるべきなのだろうと思う。

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