今日はこの話題を簡単に…

1月5日、安倍総理は、三重県伊勢市で年頭にあたって記者会見を行った。
その全文はこちらにあるので、参照いただければと思うけれど、内容そのものは、元旦に年頭所感とほぼ同じであり、多少具体例が出た程度。
ただ、会見での質疑応答で毎日の記者から、村山談話をどう継承するかについて問われ、安倍内閣としては、村山談話を含め、歴代内閣の立場を引き継いでいるとした上で、日本としてアジア太平洋地域や世界のためにどのような貢献を果たしていくのかについて世界に発信できるようなものを、新たな談話に書き込んでいくと述べている。
「世界の中心で輝くために必要なこと」のエントリーで述べたけれど、安倍総理が年頭所感で発言した「新たな国づくり」のための第一歩の談話と位置付けている可能性がある。
去年の10月、安倍総理は、衆院での代表質問に対する答弁で、河野談話について「安倍内閣で見直すことは現在考えておらず、河野談話に関して新たな談話を発表することも現在考えていない」と述べていた。それがここにきて、談話を出すという話が浮上してる。
無論、それは河野談話に関する新たな談話ではないかもしれない。だけど、安倍内閣が、村山談話を含めて歴代内閣の立場を引き継いでいるということは、当然その中に河野談話も含まれていることになる。だから、普通に考えれば、新たな談話から明確に"河野談話"を除外しない限り、その談話は河野談話を含めて"上書き"される性質を帯びることになる。
安倍総理は、記者の質問に対して、従来の談話を"全体として"引き継いでいる、と強調していた。
だから、穿った見方をすれば、新しい談話では、全体のトーンとしては従来の談話を受け継ぐものの、細かいところでは、微修正を掛けた内容になると推測することもできる。
果たして、その新たな談話(安倍談話?)なるものがどういう内容になるのか分からないけれど、質問した記者は「戦後70年の今年、総理は未来志向の談話を出す意向を示してこられましたが…」と前置きしていたことからみて、そうした未来志向的な談話になると、大方は見ているのだろうと思われる。これについては筆者も同意する。
だけど、アジアや世界のために、日本がどのように貢献するのかという未来志向の談話の発表は、同時に、其の為の努力を行うということを意味してる。
その時、世界に貢献する気なら何か寄越せと"タカって"くる存在が出てこないとは言い切れない。実際に口では"未来志向"を叫んでも、過去のことを何度も取り上げては、「誠意を見せろ」と恐喝する国が隣にある。
そうした脅しを排しつつ、世界に貢献する為には、やはり何か"筋"を通すものを掲げ、それに順ずる形での行動が必要になる。例えば、「法の支配」とか、「人権」とか「自由」とか、そうした核となる原則を明示した上での貢献が、無法な"ユスリタカリ"を回避する盾となる。
戦後60年を迎えた2005年に、当時の小泉総理が出した"小泉談話"には「過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。」という一文があるけれど、昨年の河野談話の検証や朝日の誤報認定など、日本から、"過去を直視"する動きが出てきている。
だけど、"歴史の認識"はおろか"過去を直視"することすら認めない国がアジア諸国の中にはある。その中で出される新たな談話。筆者は、文脈や言葉の選び方を含めてどういう談話になるのか、とても注目している。
この記事へのコメント
俊太郎
①シナ大陸を戦場にしたことで無辜の市民に多大な損害を与えた
②朝鮮を日本に併合した事で朝鮮人を日本人として扱ったために朝鮮人に窮屈な思いをさせた部分がある
この事については誰も異論はないでしょう。
①については正直な所日本に正義はなく、南京大虐殺などの個々の事案について是非を論ずる余地はあっても
日本の言い分が正しくなるということはないと思います。
つまり支那大陸に於ける事実については村山談話や河野談話にある「深い反省とお詫び」の気持ちを失うことはない
と言い続けるよりほかはないでしょうね。
ところが②の朝鮮に関しては日本が果たして一方的に悪いのかどうか、当時の国際情勢を鑑みて日本には日本の思惑があり朝鮮人側の希望とたまたま合致した部分があってそうなったのではないかという議論の余地がある以上支那の事案とは根本的に性質が違います。
また直接的な戦争被害を言うならばそもそも朝鮮は戦場にも空襲地にもなっていないわけです。
従って談話上書きするのであれば対中国と対朝鮮に分けて個々に言及するのではないかなと考えます。
雑な言い方をすれば「かけた迷惑の性質が違う」わけでそれを中朝一括りにして一つの談話では語れないということでしょうか。
ddzggcd
正直に言うともう「談話」はやめてほしいところです。「談話」ごときで日本の内政・外交が身動きとれないような状況になることは、河野談話や村山談話でやめにしておいた方がいいのではないでしょうか。
と言っても、安倍総理自身が、出す、と言っている以上、仕方ないのでしょうね。
>"歴史の認識"はおろか"過去を直視"することすら認めない国がアジア諸国の中にはある。
〝現在を直視″することすら出来ないバカでかい国が西の方にありますよ。今年はどうやら東トルキスタンがキリングフィールドになりそうです。悲しいことです。
戦後政権日本国≒ヴィシー政権フランス国
過去の談話は、
「もっと素晴らしい国策をとっていれば、アジアの各国を、
”西洋諸国の植民地支配と侵略”からまもることができたのに」
と言う文脈で読めばいいと思います。
新談話で、英知を結集した文章を作ればそれが可能です。
河野談話についても同様です。
以上