今日は、この話題を簡単に…

1.台湾の学習指導要領改訂の裏
この程、台湾の裁判所である台北高等行政法院が「日本統治時代(1895~1945年)を過度に美化しないよう」などとして、教育部が昨年、学習指導要領を改訂した際の審議記録公開を同部に命じた。
記録公開は、内容や手続きに反対する人権団体などが求めていたそうなのだけれど、台湾大学歴史学部の周婉窈教授は、昨年行われた改訂は、すべて「密室で決定し、いきなり公表し、強制的に受け入れさせる」ものであり、改正の内容だけでなくその過程も民主主義の原則に背くものだと指摘している。
というのも、元々、台湾の学習指導要領の評価は、宜蘭高等学校の高等学校教育課程研究チームが2013年12月31日にまとめた評価に基づいてなされることになっていたのだけれど、改訂はその検討結果が提出される前の11月23日に行われたそうで、更には、その検討結果では、国語と社会科の学習指導要領については改訂の必要なし、と評価されていたから。
また、日本の国会議員に相当する台湾の立法委員である鄭麗君氏が2013年11月23日に行われた、改訂に関する検討委員会第一回会合の録音を手に入れ、公聴会で報告しているのだけれど、それによると、検討委員会のメンバーを招集し、中国統一連盟第二十一回副主席でもある王曉波氏が、会議中に「憲法を掴めば部長(文部科学大臣)、院長(首相)が(反対の声に)耐えられるはずだ」と発言。
更に、他のメンバーからは「台湾大学、師範大学、政治大学の歴史の学者とも(反対の勢力に)吸収されたから、若手の歴史学者に参加してもらえなかった。歴史学の分野は全員吸収されているから、参加は見込めない。」との発言があったという。
こうした背景から、今回の教科書改訂メンバーには台湾史を専攻する歴史学者が一人もいない中での検討となった。
そして、肝心の修正内容についても、偏り無しとは言い難い。
今回、修正された語句は、台湾史が占める2013文字中の734文字と、4割近くが修正されたのに対して、世界史部分で修正されたのは5743文字中132字と極僅か。しかも、中国文化史部分に至っては1文字も修正されていないという。
ハーバード大学東アジア学大学院博士課の涂豐恩氏は、旧学習指導要領で17世紀の国際的な勢力地図の変化における台湾の特殊な位置について触れていたのに対し、今回の改訂では、単に漢民族の台湾への移住のみに焦点を当て、台湾へ移民してきた漢民族とその他の東南アジア地域との交流活動について無視する形となってしまっている点や、戦後台湾の経済発展についても、旧学習指導要領では政府、民間、国際の相互影響を分析していたのに、改訂後は政府の役割のみを強調していて、このような歴史教育では、世界的視野を持つ青少年の養成は難しいと述べている。
これらが本当であれば、明らかに所定の手続きを無視するものであり、過程も内容も、民主主義の原則に背くという周婉窈教授の指摘はその通りだと言わざるを得ない。
台湾の教科書改訂については、丁度1年前程まえに「『KANO』と与一が結ぶ日台の絆」で取り上げたことがあるけれど、「日本時代美化するな」とのスローガンの元、"中立"的に改訂するかと思いきや、実体は、多分に政治臭が漂う改訂となっている可能性がある。
それらを解明する意味でも、審議記録の公開に期待したい。
2.KANO ~1931海の向こうの甲子園
さて、件のエントリー「『KANO』と与一が結ぶ日台の絆」で紹介し、台湾で大ヒットとなった映画「KANO」が今、日本で公開されている。
上映時間3時間5分と長い映画にも関わらず、日本でも中々好評で、特に3民族が一つの目的に向かって協力する姿が感動を呼ぶようだ。
台湾では、当初上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」、「あんな映画は見るな」といった声も聞かれたそうなのだけれど、関係者は「見てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気となった。
エンディングロールが出た途端、どんどん帰ってしまうのが普通の台湾の観客が、「KANO」では誰も帰らないどころか、上映終了と同時に場内から拍手が起こったり、感動のあまり涙を流し、目をぬぐいながら映画館を出てくる若者までいるほどで、昨年2月の上映後、9月には台湾史上初となるアンコール公開までされている。
映画「KANO」のプロデューサーは、「海角七号/君想う、国境の南」(2009)や「セデック・バレ」(2013)で日台の歴史的な絆を描いてきた魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督。
魏徳聖氏は、「KANO」について、異民族同士が団結しようとする、あなたらしい作品だと問われ、「僕はそこに感動するのです。野球をただ描いただけの映画はつまらない。現代では野球チームに他民族の選手がいても当たり前だが、あの時代ではあり得ないこと。彼らを束ねた近藤監督は本当に素晴らしいと思います」とコメントしている。
更に、魏徳聖氏は自身の作品について「台湾の歴史に日本が深く関わっているから描くわけで、物事を大局的に見ることが必要です。台湾という国は、中国から見れば南の端、日本から見ればアジアの端にあるという認識。そのため台湾人は自分たちのアイデンティティー(自己同一性)を見失っている。映画はそれを取り戻すための最適なツール(道具)なのです」と語っているけれど、この台湾のアイデンティティー、台湾人の誇りを取り戻させようとしている辺り、筆者には、映画と小説との違いはあれど、司馬遼太郎がその作品を通じて日本人に日本の誇りを取り戻させた事と通じるものを感じる。
司馬遼太郎は、かつて日本人の美的精神についてこう語っている。
「われわれがこれは日本人である。といって外国に誇りうる美的精神像は、いまなお侍と言うものでしかない。…それはたとえばわれわれが英国社会を見てそれが英国人であると、感嘆するとき、彼がたいていサー(貴族)の出身であることを思えばいい。人間、どう振る舞い、どう行動することが最も美しいか、という精神の美意識のありかが、人の最も肝要なものだということは、いつの時代のどの社会も変わらない」パパイヤの木は、自分の根本に打ち込まれた釘によって、危機感を感じて、大きな実をつける。
「戦国から幕末に至るまでの日本人は、人間というのはどう行動すれば美しいのかということばかり考えてきたような感じがありますね。…『人間はどう行動すれば美しいか』であって、『どういうふうに成功するか』ではないんです。…幕末になると、『聖人は成敗利潤を問わず』という行動主義者が現れて、ただ自分の行動を美しくするということだけででてくる人間が現れて、だだ自分の行動を美しくするということだけで出てくる人間が現れてくる。それは日本人の特殊性というよりも、むしろいわゆる江戸教養時代が、三百年続いたとしたら、その三百年の縮図みたいなものが幕末に出てきているんではないか、そういう感じがするんです。」
中国共産党による工作の影が感じられる台湾にあって、魏徳聖氏の"物事を大局的に見る"という視点が、台湾教科書の改訂が齎す視野狭窄を打ち破る力になることを願ってやまない。
この記事へのコメント
白なまず
【台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 】
https://www.youtube.com/watch?v=bgxKmScdT_s
【鄭成功物語 】
https://www.youtube.com/watch?v=u9fTwBnSF-4