今日も簡単に…

3月1日、富山市で「『平和の日』富山の集い」が行われた。これは、日本ペンクラブが1985年から毎年開催しているもの。
今回は「旅」「愛」「命」「平和への祈り」をテーマに、中西進氏・下重暁子氏、新井満氏・太田治子氏、志茂田景樹氏・中島京子氏、浅田次郎氏・落合恵子氏の4組8名の作家らがテーマごとにそれぞれ対談形式でリレートークをしたのだけれど、その中で、高志の国文学館長の中西進氏は「戦争のない世界を望んでいれば、起こらないと信じている」と述べ、平和への希求を訴えた。
これについて、一部ネットでは「世界中の人間全員が同じ思想で動くわけないだろ現実見ろよ」とか「アメリカと支那と韓国に言えよ」とか散々に叩かれているけれど、まぁ、そうだろうなと思う。
彼らの"願い"とやらで、各国の指導者が指一本動かせなくなったりしたり、ミサイルが勝手に自爆したりするのなら、平和になるのかもしれないけれど、それは最早、念力や超能力の世界であって、現実にはちょっと有り得ない。まぁ、遠い将来、物凄く科学が進歩すれば、もしかしたら、そんなことも出来るようになるのかもしれないけれど、今はそんなレベルに達してない。
勿論、平和への希求を訴えること自身は悪いことじゃない。だけど、それで平和にならないのは、それが「貴方任せの平和論」だから。
先程も述べたように「願い」が、敵兵を眠らせたり、銃弾をあさっての方向に飛ばさせたりするくらいの"物理的強制力"を発揮しない限り、その「願い」が実現するかどうかは、自分はもとより、相手もそう思ってそのように行動してくれなくちゃいけない。要するに"貴方任せ"の部分が相当あるということ。
信じるのは自由だけれど、それが叶うためには、相手にも同じように信じて貰わなくちゃいけない。だから、本当に平和の願うのであれば、彼等は現実に戦争をしている国、或はしようとしている国に対して訴えなくちゃいけない。日本よりもそれを先にいうべき国がもっとあるのではないか。
残念なことだけれど、今の世界において、平和を作る力は「願い」ではなくて「意思」。それも、物理的強制力(武力)を背景とした、平和を乱すものは許さないという強い"意思"。これが「均衡の平和」を形作っている。
「手を出したら、やり返す、唯では済まさない」という意思表明と、それを可能にする武力。これらがあって始めて敵は攻めるのを躊躇するようになる。均衡の平和が訪れる。核の傘、相互確証破壊はこれの最たるもの。
これらは、平和のための行動を自分で起こすことができるという意味で「貴方任せの平和論」では決してない。自分でしっかりボール(矛)を握っている。これが大事。その上で、最後の最後まで矛は使わないとギリギリまで自制する。これこそが「平和を希求する心」なのではないかと思う。
独立総合研究所の青山繁晴氏は、先日ラジオ番組で、ハワイのアメリカ軍司令部を訪れ、アメリカ軍幹部と会談したと明かしたのだけれど、その会談の中で、アメリカ軍側は、中国について、尖閣を本気で獲りに来るとまでは決断していないだろうと見ているとしながらも、今後も挑発行為を続けてくるだろうから、尖閣にウェブカメラを設置して常時ネットに流してくれと要望されたのだそうだ。
筆者は1年半程前、「尖閣を24時間監視せよ」のエントリーで、「高性能のカメラを装備した飛行船を尖閣上空に浮かべてやって、尖閣海域と周辺空域を撮影し、その動画をネットに24時間ライブ中継してやればどうか」と述べたことがあるのだけれど、アメリカ軍という軍事のプロからも同じアイデアが出されるということは、抑止力としてみても、相当程度効果がある案だと思われる。
だけど、尖閣を24時間監視して広く世界に公開するだけで、一定程度の抑止力があるということは、世界の目にそれだけの力があるということを意味している。おそらくそれは、その世界の目の"奥"に「無法は許さない」という意思があり、いざとなったら実力行使に出るかもしれないと感じ取るが故に、それが抑止力となって働くのだと思う。
その意味では監視カメラを介した「意思」が「均衡の平和」を作るともいえなくもない。
筆者は先にのべた「尖閣を24時間監視せよ」のエントリーでは、尖閣諸島に監視カメラを設置するよりは、飛行船に載せて空から監視したらどうかと述べたけれど、更に一歩進めるならば、その飛行船を「空中空母」にしてしまうという案もあるかもしれない。
昨年秋、アメリカ国防総省高等研究計画局(DARPA)が、RQ-4グローバルホークやRQ-1プレデターといった無人機を大量に発射、回収できる「空中空母」のアイデアを公募し、話題となったことがあった。
これは、無人機の活動可能範囲を広げることによって、経費の削減とパイロットの飛行事故や被撃墜などのリスクを減らすことを目的としたもので、公募では今後4年間内に開発の具体化が可能な案を募集していたから、今後5年から10年くらいで何らかの形で出てくるかもしれない。
まぁ、アメリカ海軍はその昔、1930年代初頭に、ZRS-4「アクロン」や、ZRS-5「メイコン」といった、内部に複葉機のスパローホークを5機も搭載できる大型の飛行船を開発したことがある。
当時は、複葉機の時代ながら戦闘機の能力が向上していた時で、哨戒任務で飛行船を使うのは段々危なくなっていた。だけど当時の戦闘機は飛行船と比べて航続力が短く、飛行船を護衛させるのは難しかった。そこで、飛行船の中に戦闘機を搭載して、必要な時だけ飛行船から発進させればいいということで生み出されたのが、これらの飛行船。
「アクロン」は、全長240m、巡航速度90km/hで、腹部から出し入れ出来るブランコと呼ばれる係留装置に引っ掛けて着艦していた。「アクロン」や「メイコン」は就航後しばらくは順調に運用していたのだけれど、突風や嵐などで墜落事故をおこし、それ以降、この種の飛行船が建造されることはなくなった。
今回、アメリカ国防総省高等研究計画局が募集した「空中空母」では、飛行船をあまりイメージはしていないようだけれど、ウェブカメラを搭載して尖閣上空に浮かべておくだけなら、そこそこ使えると思うし、小型のリモコン無人機くらいであれば、搭載したってどうということもないのではないかと思う。
将来の可能性を睨み、日本も「空中空母」の研究を考えてもいいかもしれない。
「地球には人類はいるが地球人というまとまった集団はない」『グッドラック 戦闘妖精・雪風』
この記事へのコメント
白なまず
SAKAKI
こんなの出ましたよ。さすが朝日新聞
hara
平和も戦争も人の心から始まる。
平和を希求している人たちの心に湧き出る思いには、本当に平和だけしかないのであろうか?争いはないのだろうか?
心のうちに争いの思いを抱えながら、ときに平和を希求しても、その願いはかなうことはないのではなかろうか。
白なまず
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。(マタイ10章34節)とある。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20131021/p1
これは争う理由が宗教にあると言っているのか?解釈はいろいろあるでしょうが、平和を望む人の立場では大迷惑な話です。争わせて神は何を得るのでしょうか?それとも、イエスは悪魔なのでしょうか?旧約聖書によれば人間を殺す人数は悪魔が殺す人数より神が殺す人数が圧倒的に多いそうです。つまり、神が最後の審判で人間を選別して選んだ人たちを天国へ導き、残りを獣として魂が成長する循環サイクルに放り込み、長い年月をかけてまた最後の審判で選別する。つまり、人間から天国へ行ける天使への道筋だとすれば魂の循環サイクルが観えてきます。
朱鷺池
平和は、まずは買えない。厄介で狂力なパワーを持つた国は、必ず来る。
ひ弱なペンは、脳内変換が出来ない。平和は誰かが作ってくれているんだ。
中共をそのペンで止めてみ。
sdi
私の意見は以前と同じで、電波灯台の設置のほうを推しますけどね。付近で操業している漁船の安全確保という大義名分があります。
ポール