上求反日 下化堕落

 
今日は軽い話題を極々簡単に…

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3月30日、韓国のソウル市が朝鮮半島光復70周年を迎えたことを記念して、日本式の漢字語や外来語などについて検討し、21の日本式の漢字語と2つの外来語を韓国語表記に修正することを決定しました。

ソウル市のファン・ボヨン市民疎通企画官は「ソウル市はこれまで、公文書などに正しい韓国語を記載し、市民が理解しやすい公文書を作成しようと努力を重ねてきた。今年は日本統治時代から残る言葉を正しく修正する活動に力を入れ、市民とともに光復70周年の意味を深く考えたい」と述べ、行政用語の検討結果をソウル市報(第3286号)を通じて公示し、市民や公務員が正しい韓国語を使用する際に役立てるとしています。

何でも、「始末書」「残飯」「食費」はそれぞれ「経緯書」「残った食べ物」「ごはんの値段」となるようなのですけれども、韓国のネットユーザーからは「外来語を排除するなんて、北朝鮮みたい」とか、「日本式は駄目なのに、中国式の漢字語はいいの?反日感情むき出しの政策はやめて、もっと冷静に賢く暮らそう」とか、「酸素や水素、病院、家族、民族、科学、民主主義、協会などはすべて日本式の漢字語だ。どう変えるつもり?」 とか批判の声もあるようです。

まぁ、ソウル市が"日本式"を韓国語表記にするのは勝手ですけれども、安易な表記の変更はその単語に含まれている微妙なニュアンスを変容または欠落させることがあります。

例えば「残飯」が韓国でどんなニュアンスを持っているか知りませんけれども、日本語で「残飯」というと、「残飯を漁る」という表現があるように、"食べ残し"的な、ややネガティブなニュアンスがあります。それが「残った食べ物」となると、例えば「コンビニ弁当か何かで唐揚げ弁当が売り切れていたけれど、焼き魚弁当が残っていた」という具合に、"食べ残し"的なニュアンスはやや薄まるように感じます。

勿論、韓国の人がそれぞれの言葉に感じるニュアンスは日本人の感じるそれとは違う可能性はありますけれども、表記を変えるということは、本質的に"意味が変容する"危険があることを意味します。

この辺りについては、以前「文化の普及について」のシリーズエントリー(全10回+補追1)で、11回に渡って記事を書いたことがありますけれども、言葉なり、概念なり何某かの文化を一般に広く普及させようとすればするほど、内容を変化・あるいは簡略化して誰にでも分かるようにしたがる傾向があります。

漢字から平仮名やカタカナを作ったのも、その一つですし、ある意味、ハングルだってそうかもしれませんね。

ハングルは1443年に世宗大王により「訓民正音」の28文字が開発されたのですけれども、翌年の1446年9月に「漢語と韓語は違うので一般人には難しいからハングル文字を使用せよ」という政策が公布されています。

日本も明治の文明開化時に、前島密の漢字廃止論、西周のローマ字化論、森有礼の英語公用語化論などが議論されていました。くだんのシリーズエントリーでは、森有礼とホイットニーの往復書簡を取り上げ、この問題は仏教用語でいう「上求菩提 下化衆生」の観点から捉えるべきではないかと述べたことがあります。

森有礼は日本語の「下化衆生」化するために英語の公用語化を主張したのですけれども、ホイットニーは「上求菩提」を理由にそれを否定しました。要するに、母国語に外来語を導入するときには、この両面の兼ね合いという問題があるということです。

韓国でいえば、日本式の漢字や単語表現を導入することは、それに込められた概念を取り入れることを意味します。要するに、その概念そのものを学ぶということですね。ホイットニーはそのためには、「上求菩提」が必要だと指摘しました。

果たして韓国が、ホイットニーのいう「上求菩提」を何処まで持っているのかは分かりせんけれども、少なくとも日本式の漢字表現が普及しているところを見る限り、ある程度の"学び"はしているといえると思われます。

それを今回廃止する。それは即ち、折角学んだ、日本からの"概念"を捨てるということを意味します。もちろん、それが、韓国の母国語を見直し、深く探究していくことで、自国文化の見直しや再発見に繋がっていくのであれば、まだ良いのですけれども、その目的が「反日」の為だけなのであれば、それは、やはり、日本から持ち込んだ概念の否定以上の意味を持たないですね。それはまた、その"概念"を捨てた分、思考力が劣化することにも繋がります。

ですから、今の韓国が日本式の漢字や単語表現を捨てるのは勝手ですけれども、そこに「上求菩提」がないとやはり危ない。

ソウル市は今回の日式表現排除は、朝鮮半島光復70周年を記念して行ったと言っていますから、「上求菩提」というよりは「上求反日」というべきかもしれません。

ですから、今回の日式表現排除は「上求反日 下化堕落」になる結果を招く可能性があると思いますね。

この記事へのコメント

  • >表記を変えるということは、本質的に"意味が変容する"危険があることを意味します。

    まったくそのとおりで、例えば日本固有の園芸種である「ソメイヨシノ」を朝鮮語で表記する際に、済州島に自生する「王桜」と同じ音(私は朝鮮語を全く解さないのですが、両者とも「ワンボッコ」というとか)を当ててしまったために、韓国では両者がまったく同一視されてしまい、本来接ぎ木でしか生成し得ぬソメイヨシノが「済州島起源の種である」などという奇妙奇天烈な論が毎年春には韓国紙を賑わせます。
    そればかりか、済州島では(起源主張のためでしょうか)王桜そっちのけで日本から持ち込んだソメイヨシノを植え増やす運動が行われているとか。ここまで来るともうわけがわかりません。
    --
    また、日本では United Nations に対してはなぜか「国際連合」などという誤訳が定着してしまっていますが、正しくは(枢軸国と敵対した、あの)「連合国」です。
    国際連合などという、どこか「世界連邦」的な公共公正な中立機関を連想させる誤訳語によって、 United Nations が孕む本質的な不合理不条理を意識の底に沈めることあるいは無視することが我々日本人の習性になってしまっているのではないでしょうか。国連中心というお題目を掲げれば、何か反対するのに心苦しさを感じる空気が醸成されてしまっているのではないでしょうか。
    (アジアインフラ投資銀行という、アジア開発銀行に意図的に似せた命名にも、これと同じ匂いを感じます)
    --
    以上二題、表記を変えることが、意味の変容のみならず人々の行動パターンをも著しく変容させてしまう危険性を示唆する具体的なケーススタディでした。
    2015年04月11日 10:18
  • 白なまず

    欧米由来の概念を漢字圏で使える様にした日本の(漢字化)辞書化を使わないなら、カタカナ化も同様に使えなくなります。また最近のカタカナ・ビジネス用語やコンピュータ用語なども知らないうちに韓国でも使っているでしょう。コーヒーをコピと発音していたり韓国式ではありますが、、、つまり、日本経由の外来語を韓国式発音で使っている語彙を別の言葉に入れ替えるのは良いとしても、発音を変えるのは直ぐには難しいでしょうね。何せ話言葉ですから。もし、公文書が普通使わない言い回しの羅列になるならば、まるで専門書の様に益々難解でそれこそ新しい辞書を作る必要がある。現代の叡智を記した専門書もいずれ自分たちが創り出した語彙で編纂した文章を大量に作成しないと活けないし、新しい分野の研究も同時並行で進めないといけない。時間がもったいないですね。限りある時間を有効に使い、是非日本並に成果が出せる国になってほしいですが、、、無理そうですね。
    2015年04月11日 10:39
  • opera

    動機は別にして、今回の韓国語表記への変更は良いことかもしれません。
     漢字を廃止してしまった以上、こうならざるを得ません。
     例えば、「残飯」の場合、日本人は、音だけでなく漢字から残った飯という意味を理解できます。が、韓国語の場合「ザンパン(韓国語の読みは不明)」という音と「残った飯」という意味を繋ぎ合わせて丸暗記するしかなく、知らないとほとんど理解不能です。
     あらゆる漢字語・外来語がそうなのです。しかも、韓国語には、訓読みに相当するものはなく全て音読みで、同音異義語も日本よりも多いと言われています。となると、膨大な用語と(複数の)意味を丸暗記しないと、まともに文章を読むことはできません。随分前ですが、「竪穴式住居」のハングル表記の意味を正しく理解できた人は2,3%しかいなかったという記事を読んだことがあります。しかも、30%以上の人が、何らかの交通標識(意味は知らない)と誤解していたそうです。日本ではあり得ないことですね。さらに、大学を卒業しても、専門外の問題については新聞記事も充分に理解できないのが普通、というのも何となくわかります。うまく想像できませんが、たぶん日本だと、古くからある用語も含め、漢字語の全てがカタカナ外来語表記のような状態でしょうから。

     モンゴル語でも漢字ないし漢字語は使いません。そのため、日本語のように漢字を利用した省略語が無く、例えば「電車」の場合、雷の力で動く鉄の車というような表記になるという話を聞いたことがあります。おそらく韓国語もそうした方向に行くことになるでしょうね。
    2015年04月11日 17:40

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