中華帝国が世界を覆ったら
昨日の続きを極々簡単に…
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昨日のエントリーの最後で筆者は、「中華帝国が世界に幸を齎すか、災いとなすか、問われる時が来たのだと」と述べましたけれども、突き詰めてみれば、これは価値観の問題だと思うのですね。要するに、中華思想で世界を幸せにできるかということです。
もう皆さんもご存知のとおり、中華思想とは、中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであるとする考え方です。よくある「わが民族は世界一」というやつですね。まぁ、どの民族も自分が一番というのは、民族や国を束ね、保つには必要なことですし、別にとやかく言う積りはありませんけれども、それと、中華思想が世界を平和にできるかどうかは別の話です。
立命館大学客員教授の宮家邦彦氏は、中華思想なるものは存在せず、アヘン戦争この方、欧米列強の脅威に直面した中国が、新たな中国の国家像・国際秩序モデルを示しえないことへの欧米諸国に対する「劣等意識」だ、と述べていますけれども、「劣等意識」であれば、それを克服したいと思うのが普通です。特に経済的に力をつけている今なら猶更そう思うはずですね。
実際、習近平は「中国の夢」と称して、"中華民族の偉大な復興"を掲げています。復興ということは、逆にいえば、今の中華民族は廃れていることを意味しますから、「中国の夢」とは、今の姿ではない"中華"だということですね。しかも"復興"ですから、かつてあった"姿"に戻るということです。
それがいつ時代の姿なのかはしかとは分かりませんけれども、或は、唐や清の時代のような大帝国を思い描いているのかもしれません。
では、仮に、中華帝国が世界を支配したとしたら、どんな世の中になるのか。
それを考えるためには、一種の閉鎖空間を考えてみればいいと思うのですね。例えば、少々SFチックな例えになりますけれども、中国人だけが住むスペースコロニーがあったとしたら、そのコロニーは時と共にどういう運命を辿るのかを想像すれば、ある程度の答えが見えてくると思います。
恐らくは、一人の皇帝がその他全ての人民を統べるコロニーになるのではないかと思いますね。人民は皇帝に逆らうことは許されず、ただ"天意(共産党)"のみがそれを決める。賢帝がいるうちはまだなんとかなるとしても、暴君が出たらトンデモない世界となる。そんな感じですね。
取り分け、習近平は汚職追放と称して、政敵を次々と追い落としています。傍からは、唯一の絶対皇帝を目指してひた走っているように見えなくもありません。おそらく、中華帝国が世界を支配したとしても同じことをやるでしょう。要するに、習近平以外の政敵は全て粛清されるということです。筆者は、やはりこんな世界は嫌ですね。中華帝国が世界を支配したら、そういう世界がくる可能性があるというわけです。
因みに、アメリカ人だけが住むスペースコロニーがあったとしたら、彼等はコロニーの隅々を探検し尽した後、新天地を求めて、コロニーにエンジンか何かを付けて宇宙船に改造し、移住できる惑星を探す旅に出るような気がしますし、日本人だけのスペースコロニーであれば、多分、超完全な循環型コロニーを作り出し、江戸時代のように、人口が増えも減りもしない、安定したコロニーを作って永く済み続けるのではないかと思いますね。
このように、性格が相当に異なる民族が、地球という一つの惑星の中に住んでいる。そこに意味、あるいは"天意"があるのだとすれば、それは、異なる者同士で磨き合う中で、より良きものを創っていくところにあるのではないかと思いますね。
この記事へのコメント
白なまず
ひふみ神示 第07巻 日の出の巻 第四帖 (二一七) 【http://hifumi.uresi.org/07.html】
旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。十二月二日、ひつくのかみ。
白なまず
誤>フィリピンパイプレート境界
正>フィリピン海プレート境界
almanos
ちび・むぎ・みみ・はな
こんなことは今までの歴史上ではなかったのではないか.
同じ考え方をするもの同士であれば「磨き合う」も
意味があると思うが, 異なる者同士では共存はあり得ない.
米国を見ても, 支配されるのが嫌なら「新天地」に
行くしかなかった. カリフォルニアで行き止まりになった
後は人種差別の社会となった. 現在であっても,
米国は隙さえあれば支配しようとする. 世界の基本的
ビジネスモデルは支配権の確立であり, 切磋琢磨ではない.
日本人の最もいけないところは, 「分かり合える」,
「一緒に協力できる」という考え方を無批判に「異なる者」
に当てはめてしまうことだ. 学校で教えるものだから,
それが何を意味するかも考えない.
日本人と類縁の民族(言語)が世界の辺境にしか残らなかった
事実は何を意味するか. 「世界」などと曖昧なことより,
「自己の社会を守る」ことが如何に切実な問題であるかを
理解しなければならない.