自衛隊が国土を護れる条件

 
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4月3日、先日、自衛隊を「我が軍」と表現した安倍総理の発言に関して、政府は「国際法上、一般的には軍隊と取り扱われる」とする答弁書を閣議決定しました。

これは、3月26日に、維新の会の今井議員から提出された、「安倍総理が自衛隊を『わが軍』と呼称したことに関する質問主意書」に対する答弁で、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としつつ「自衛の措置としての『武力の行使』を行う組織」としています。

まぁ、自衛隊の定義については、過去にも質問されたことがあるのですけれども、例えば平成18年11月に鈴木宗男議員から、「軍隊、戦力等の定義に関する質問主意書」として次の質問がされています。
軍隊、戦力等の定義に関する質問主意書
平成十八年十一月二十二日提出 質問第一七二号

軍隊、戦力等の定義に関する質問主意書

提出者  鈴木宗男

一 軍隊の定義如何。
二 戦力の定義如何。
三 憲法第九条第二項における「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」でいうところの陸海空軍の定義如何。
四 自衛隊は軍隊に該当するか。
五 自衛隊は陸海空軍に該当するか。
六 自衛隊は戦力に該当するか。

右質問する。
奇しくも、この時の内閣は第一次安倍内閣だったのですけれども、当時の内閣は次のように答弁しています。
平成十八年十二月一日受領 答弁第一七二号

内閣衆質一六五第一七二号 平成十八年十二月一日

内閣総理大臣 安倍晋三

衆議院議長 河野洋平 殿

衆議院議員鈴木宗男君提出軍隊、戦力等の定義に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。


一及び四について

 軍隊については、その定義が一義的に定まっているわけではないと承知しているが、自衛隊は、外国による侵略に対し、我が国を防衛する任務を有するものの、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと考えている。

二、三、五及び六について

 憲法第九条第二項は「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止しているが、これは、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している。自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから、同項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらない。
と、自衛隊は「通常の観念で考えられる軍隊とは異なるもの」とした上で「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織」としていますから、今回の答弁とほぼ同じです。違うところがあるとすれば、「国際法上、一般的には軍隊と取り扱われる」の部分が付け加わったくらいですね。基本ラインは変わってないとみていい。

変わったのは、寧ろ、世論のほうで、第一次安倍内閣当時にならいざ知らず、今では、「自衛隊が外からは軍隊と扱われる」といわれても、そんなの当然でしょう、という空気ですね。

自衛隊が軍なのかどうかの名分は兎も角、この答弁で重要なのは、やはり「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織」というところですね。まぁ、自衛隊は"専守防衛"と謳っているように、軍としては、防衛にかなりの力点を置いた組織です。

撃たれるまで撃ってはならない、という制限はその象徴だといっていいかもしれません。ただ、いつまでも、それで国土が防衛できるのかという論議が必要だと思うんですね。

兵器の威力が格段に向上した現代戦では、先に攻撃したほうが圧倒的に有利であり、"先手必勝"が常識なのですね。

先日、共産党の穀田議員が、防衛省の内部文書である「対中防衛の考え方」で、「抑止(平時)」と「対処(有事)」の2段階に分けて米軍・自衛隊の行動を明記していることを取り上げ、今月27日に再改定すると見られている日米軍事協力の指針(ガイドライン)でも同様に平時から有事におよぶ対処が検討されているのではないかと述べていますけれども、国土防衛のためには当然検討していなければならないことですね。

くだんの文書では「有事」では沖縄の南西諸島を中心に、本土からの「機動展開」や「対着上陸・奪回作戦」による地上戦や「弾道ミサイル防衛」を想定し、「平時」では、活動範囲を「中国の関心の高い海域での展開」として「南シナ海、グアムまでの西太平洋、インド洋等」での警戒監視活動を明記しているようです。

日米軍事協力の指針の改定については、昨年10月に中間報告が防衛省から出されていますけれども、そこには「日本に対する武力攻撃の場合、日本は、当該攻撃を主体的に排除する。米国は、適切な場合の打撃作戦を含め、協力を行う。見直し後の指針は、日本に対する武力攻撃を伴う状況及び、日本と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生し、日本国憲法の下、2014年7月1日の日本政府の閣議決定の内容に従って日本の武力の行使が許容される場合における日米両政府間の協力について詳述する。」とあるのですね。

要するに、日本が武力攻撃を受けたときは、日本が"主体的"に排除し、アメリカが適切にサポートする。そして集団的自衛権についても、日本が許容される範囲で行う、ということです。

ですから、自衛隊は、それを遂行できるための装備なら法整備を整えておく必要がある。なぜなら、自衛隊は「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織」であるからです。

今、中国は軍拡に次ぐ軍拡をして、日本や周辺国に対する脅威を高めています。そうなれば、中国の脅威から我が国を防衛するための"必要最小限"のレベルは自動的に高くなる筈ですね。

アメリカが唯一絶対の軍事力を誇り、パックスアメリカーナが出来ていた時代は、残念ながら終わりを迎えようとしていることを考えると、それに備える必要がありますし、アメリカが太平洋から引いていく中で、自衛隊が南シナ海を含めて哨戒活動範囲を広げ、それをカバーするというのは、ある意味、当然だと思いますね。

穀田議員は、「自衛隊の活動範囲を南シナ海まで拡大すれば、日中の緊張が激化することは明らかだ。不測の事態が発生することも否定できない」として、ガイドライン再改定作業の中止を主張しているようですけれども、それをいうならば、軍拡によって、自衛隊に対する自衛最小限のレベルをアップさせつづけている中国に向かって軍拡を止めよ、というべきだと思いますね。

この記事へのコメント

  • ちび・むぎ・みみ・はな

    世論の移り変わりで自衛隊への認識も変わる.
    戦闘部隊の戦闘遂行能力, そして対戦側への脅威は
    気持ちの持ち方で変わる. 自衛隊員の気持ちを
    支えるのは国民の眼差しなのだから,
    国民の気持ちの持ちようで自衛隊の戦闘能力は
    大きく変わることになる.

    核ミサイルや兵器や戦闘員の数で計ると
    支那の軍事的脅威には凄まじいものがある.
    しかし, 古来, 支那は囲碁のような戦い方しかしない.
    秀吉の朝鮮役でも記録を読むとそれが良く分かり,
    日本の戦闘部隊に突っ込まれると持ち堪えられない.

    そこで考えるのだが,

    「歩兵はどうして突撃できるのだろうか?」

    不思議ではなかろうか.
    諸々の映画を見ても最初に突撃してくる歩兵は最初にやられる.
    無駄死にしたくないなら, 集団で組織立てて動くのが一番安心.
    そうなると, 雇われ軍隊の場合には部隊の大きさで勝負が決まる.


    国民軍の本当の強さは違うのではないか.
    兵士が命をかける理由が問題となる.
    家族を守ると言うことはあるが,
    若い兵士(若くないと役に立たない)では漠然としてしまう.
    とすれば, 国民が兵士を顕彰するという社会的約束が必要になる.
    米軍が時として勇敢であるのも, 兵器の力に加え, その様な社会的
    仕組みがあるからであり, 支那の軍隊が弱いのはその様な仕組みが
    家族レベルでしか存在しないと言うことにあることに気付く.

    とすれば, 日本軍の強さは天皇と靖國社の存在があったからだと言える.
    GHQが真っ先に考えたのもそれであろうし, いわゆる政教分離令も
    その社会的な仕組みを破壊するためであった訳だ.

    と言う訳で, 自衛隊の装備も重要な問題ではあるが,
    自衛隊の殉職者を靖國社にまつることに対する国民的理解が望まれる.
    2015年04月05日 13:13

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