今日も極々簡単に…
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4月5日、沖縄の米軍普天間基地の辺野古移設計画を巡り、菅官房長官と翁長沖縄知事が会談を行いました。会談は、那覇市内のホテルで行われ、菅官房長官が「日米同盟の抑止力の維持や、危険性除去を考えたときに辺野古移設は唯一の解決策であると政府は考えている」と国の方針を説明したのに対し、翁長知事は「辺野古は建設できないとの確信を持つ。建設は絶対不可能だ。頓挫で起こる事態は全て政府の責任だ」とし、昨年11月の知事選について「争点は(前知事による辺野古の埋め立てに関する)承認への審判だった。圧倒的な考えが示された」と移設反対の考えを訴え、平行線に終わったようです。
翁長知事は1950年、父兄が村長、県副知事・県議を務めた政治一家に生まれました。法政大を卒業したあと、1985年に那覇市議に初当選。県議も務めたあとに、自民党の県連会長から2000年に那覇市長に転じ、昨年知事選に立候補し当選しました。
翁長知事は、もともと辺野古移設を容認していたのですけれども、どうやら、2009年に鳩山政権が「県外移設」を言い出して迷走した顛末を機に、移設反対を鮮明にしました。
2012年11月に朝日新聞が当時、那覇市長だった翁長氏にインタビューをしています。次にその一部を引用します。
――沖縄の基地問題をどうするのか。衆院選だというのに、本土で争点になっていません。このインタビュー記事を見る限り、鳩山政権時の迷走で、"本土"の態度に愛想が尽きた、という印象ですね。「これほど本土に尽して、日本人(ヤマトンチュ)になろうとしているのに、あんたらが受け付けないのなら、いっその事切り離してくれ」とまぁ、こんな感じ。
「意外ですか? オスプレイ反対で県民が10万人集まったって、本土は一顧だにしないんですよ。基地は、目に見えない遠いところに置けばいい。自分のところに来るのは嫌だ。アメリカには何も言わない。いつも通りだ。沖縄は困難な闘いを戦っているんです」
――普天間問題での鳩山由紀夫内閣の迷走で「あつものに懲りた」というのが永田町の感覚でしょう。
「ぼくは自民党県連の幹事長もやった人間です。沖縄問題の責任は一義的には自民党にある。しかし社会党や共産党に国を任せるわけにもいかない。困ったもんだと、ずっと思ってきた。ただ、自民党でない国民は、沖縄の基地問題に理解があると思っていたんですよ。ところが政権交代して民主党になったら、何のことはない、民主党も全く同じことをする」
「僕らはね、もう折れてしまったんです。何だ、本土の人はみんな一緒じゃないの、と。沖縄の声と合わせるように、鳩山さんが『県外』と言っても一顧だにしない。沖縄で自民党とか民主党とか言っている場合じゃないなという区切りが、鳩山内閣でつきました」
≪中略≫
――でも、利益誘導こそが沖縄保守の役割なのではないですか。
「振興策を利益誘導だというなら、お互い覚悟を決めましょうよ。沖縄に経済援助なんかいらない。税制の優遇措置もなくしてください。そのかわり、基地は返してください。国土の面積0.6%の沖縄で在日米軍基地の74%を引き受ける必要は、さらさらない。いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」
「ぼくは非武装中立では、やっていけないと思っている。集団的自衛権だって認める。しかしそれと、沖縄に過重な基地負担をおわせるのは別の話だ。玄葉光一郎外相にも言ったが、あんた方のつぎはぎだらけの防衛政策を、ぼくらが命をかけて守る必要はない」
「自民党の野中広務先生は、新米の県議だった僕に『いまは沖縄に基地を置くしかない。すまん。許してくれ』と頭を下げた。でも民主党の岡田克也さんなんか、足を組んで、NHKの青年の主張みたいな話をして、愛情もへったくれもない」
――しかし県議時代には辺野古移設推進の旗を振っていましたよね。
「苦渋の選択というのがあんた方にはわからないんだよ。国と交渉するのがいかに難しいか」
「革新勢力は、全身全霊を運動に費やせば満足できる。でも政治は結果だ。嫌だ嫌だで押し切られちゃったではすまない。稲嶺恵一知事はかつて普天間の県内移設を認めたうえで『代替施設の使用は15年間に限る』と知事選の公約に掲げた。あれを入れさせたのは僕だ。防衛省の守屋武昌さんらに『そうでないと選挙に勝てません』と。こちらが食い下がるから、向こうは腹の中は違ったかもしれないけれど承諾した」
――沖縄の保守と本土の保守の論理は違うということですか。
「ちがいますね。本土は、日米安保が大切、日米同盟が大切。それで『尖閣を中国から守るのに、沖縄がオスプレイを配備させない』と言う。沖縄にすべて押しつけておいて、一人前の顔をするなと言いたい。これはもうイデオロギーではなく、民族の問題じゃないかな。元知事の西銘順治さんが、沖縄の心はと問われ、『ヤマトンチュ(本土の人)になりたくて、なり切れない心』と言ったんだけれど、ぼくは分かった。ヤマトンチュになろうとしても、本土が寄せ付けないんだ」
「寄せ付けないのに、自分たちの枠から外れると『中国のスパイだ』とかレッテルを貼る。民主党の前原誠司さんに聞かれたよ。『独立する気持ちはあるんですか』と。ぼくは、なでしこジャパンが優勝した時、あなたよりよっぽど涙を流したと話しました。戦後67年間、いじめられながらも『本家』を思ってきた。なのに基地はいやだといっても、能面みたいな顔で押しつけてくる。他ではありえないでしょう。日本の47分の1として認めないんだったら、日本というくびきから外してちょうだいという気持ちだよね」
その認識の正誤は兎も角として、翁長知事のこのインタビューで注目すべき点が2点あるように思われます。一点目は、「基地を返せるのなら、沖縄に経済援助は不要。税制の優遇措置も不要で構わない」としていること。二点目は、「非武装中立では、沖縄はやっていけない。集団的自衛権だって認める」としている点です。
前者について、翁長知事は、知事当選直後の昨年11月にインタビューで次のように述べています。
「うん。一番日本国民が無関心・無理解ですからね。もう1つ誤解をしているのがね、「沖縄は基地で食べているんでしょ」というね、この認識があるんですね。と、翁長知事は、在沖米軍基地は沖縄の経済発展の阻害要因だと述べています。
戦争が終わってね、よくね、これも皆さん、ご理解頂きたいんですがね、20万人も亡くなってですよ、そして収容所に入れられたんですよ、沖縄県民はね、あちこちの、故郷じゃないよ、収容所にアメリカが入れて、その間に銃剣とブルドーザーで今の基地が作られたんですよね。住宅があるところも、みんなどかされて作られたんですね。そこで、ぼくらどこに帰って住むかというと、故郷には基地があるわけだから、その周辺で生きていくしかない。
そうするとね、その時のね、県民総所得に占める基地の関連収入というのはね、50%なんですよ。だから、戦後の10年くらいはね、それで推移してきているから、あんたがた基地で食べているんでしょと言われたって、農業やられていたところも農業の土地がないわけで、商業やるところも商業の土地がないわけだから、基地の関連で生きていくというのは当たり前の話であったね。
そうこうしている間に、復帰の(戦後)27年にはね、これ50%ぐらい、15%減ったんです。今は5%です。県民総所得は4兆円。そして、基地関連収入が2000億円、観光産業だけで、4500億円ですよ。そして、新都心地区という、近くにぼくが那覇市長になって区画整理をしたところがあるんですが、向こうは軍用地料が52億円入って、大変な収入だと沖縄県民は思っていたけど、完成したら、52億の代わりに、600億円の販売額が出てきている。この上、180名が1万8000名、あそこで働いているの180人しか働いてなかったんですよ。芝生の中の住宅地があるときはね。
そして、税収は6億から97億円。だから、ぼくはね基地は沖縄経済発展の阻害要因だと思っているんですよ。それをまだね、免罪符をもらいたいんでしょうね、本土の人も。沖縄の人に申し訳ないなと思いながらもね、「だって、あれでしょ、基地経済で食べているんでしょ、それはしょうがいないでしょ、それでもって振興策もらったらいいですよ」と。
沖縄は堂々とね、日本の中央も疲弊しているんだから、ぜひ沖縄の基地を持っていてもらってね、振興策がありがたいなら、ぜひ持っていってもらってね、地方再生に使ってくださいと言いたいぐらいです。ここの認識がぜんぜん違うんです。基地はもう阻害要因なんです。
筆者は、以前、「人民日報の沖縄論文と沖縄独立」というエントリーで、、2012年4月に、沖縄の県地域安全政策課が出した「在沖米軍基地に関する誤解」と題した論文を取り上げたことがありますけれども、その論文で、沖縄に関する誤解の一つに「沖縄は、基地経済に大きく依存している」としています。
論文によると、基地関連収入の県内総生産に占める割合は、沖縄返還の1972年の15.6%に比べ、2006年では、5.4%と低く、観光業の収入と単独比較すると、1972年時点では、観光業収入が9千万ドル、基地関連収入が3億1670 万ドルだったのが、2008年では観光業収入が41億ドル、基地関連収入が33億ドルと逆転しているそうです。翁長知事のコメントの裏付けている形ですね。
ただ、その一方で、後者のように、翁長知事は「非武装中立では、沖縄はやっていけない。集団的自衛権だって認める」と述べているんですね。
米軍基地には出て行ってくれ、と言いながら、非武装中立は無理だとの現状認識がある。であるならば、それを両立させる為の案を提示しないと解決には結びつかないのではないかと思います。
まぁ、一見して思い浮かぶのは、米軍に撤退してもらう代わりに、自衛隊に入ってもらって、もっと小さい規模での駐屯地とする、というくらいでしょうけれども、在沖米軍と自衛隊とでは、その軍事的役割も規模も全然違いますから、すんなり代わりが務まるというわけではありません。
在沖米軍は、その海兵隊含めて、東アジア地域全体の安全保障をカバーする能力と役割を持っていますけれども、自衛隊はそうではありませんから。確かに沖縄を護ることだけでいえば、自衛隊を少し拡充するだけでもよいかもしれませんけれども、それで日本が護れるかというと心許ない。
今月見直しが入る、日米軍事協力の指針(ガイドライン)でも、有事の際にはアメリカ軍のバックアップがある項目も盛り込まれているようですから、米軍基地を沖縄から出すとなると、そうしたことから全面的に見直さなくてはならなくなります。
もちろん、自分の国は自分で守るのは基本ですから、将来的に、アメリカの助けがなくとも国土防衛ができるようになっていなければなりませんけれども、今日明日でそうなるか、と言われればそうではないですね。憲法9条改正はおろか、集団的自衛権行使でガタガタいっている状態です。
そう考えると、最低でも憲法改正と、大幅な自衛隊の拡充が為されるまでは、在沖米軍基地を維持するという一択しかないものと思われます。確かに、沖縄を護るだけなら自衛隊だけでも間に合うかもしれない。けれども、世界は沖縄だけではないし、沖縄(の米軍基地)が日本のみならず、東アジア全体の安全保障を担っているという現実は無視できるものではありません。
ただ、翁長知事の主張が、それとは別に「ヤマトンチュに蔑ろにされたウチナンチュの気持ち」を土台にしているものだとするならば、そう簡単に決着がつく話ではないのかもしれませんけれども、最終的には国が国としての権限を行使してでも決着をつけるべき問題ですね。
以前「野田首相訪沖のゆくえ」のエントリーで、かつて、普天間移設を巡って、橋本龍太郎元総理が、何度も沖縄入りして、当時の沖縄知事と会談して、まとめ上げていった経緯を取り上げたことがありますけれども、あれから20年近く経った今、もう一度同じことをしなくてはいけなくなっているのかもしれませんね。
この記事へのコメント
ちび・むぎ・みみ・はな
言っていないことも沢山あると思う.
特に, 沖縄に対する莫大な補助金と米軍に対する「思いやり」予算.
米軍への補助となっているが, 結局は沖縄の収入になる.
それ以外にも, 農業や産業の育成のために本土から
多くの人材が派遣されてきた筈である.
また, 20万人死んだと言うが, 本土も空爆を受けなかった
工業都市はないと言うくらいに徹底的に空爆と艦砲射撃を受けた.
爆撃で知人を失った記憶も結構ある. さらに,
沖縄防衛のために多くの若い学徒が死んでいる.
勿論, 集団自決が起きるくらいに本土より切迫した
状況があったのは確かだが, それは日本の独立心発露としての
日本のマサダの砦であり決して無駄死にと言うべきものではない.
沖縄独立を唱う人達は集団自決を持って日本に対して
貸しがあると言うが, それは「琉球処分(救済)」以前の
沖縄の奴隷支配構造を懐かしみ, 戦前の日本人が持っていた
独立の精神を失ったもの達ではないか. それは
自国の尊厳を唱いながら中華秩序に身を投げだしている
半島の国と同じである.