韓国友好勢力TBSと百済
昨日のエントリーの続きを簡単に…
ブログランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
5月8日、韓国外務省は「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に反対している問題について5月22日に日韓当局間の協議を行うと発表しました。
協議は韓国側の要請だそうですけれども、まぁ、世界遺産登録申請を撤回しろ、といってくることは見え見えですね。報道では一部撤回を要請すると言われていますけれども、全部だろうが一部だろうが、日本国民からみれば、いつもの反日行為に見えてしまいますね。
日本は、幕末・明治の「西洋技術が日本文化と融合し、急速に産業国家が形成された過程」を体現した遺産であり、韓国側が異議を唱えている「強制労働」とは時期も背景も違う、そもそも政治的問題ではない、というスタンスであるのに対して、韓国は「登録を強行し、ユネスコを政治化した責任は日本にある」と、勝手に政治問題化しています。ですから、まぁ議論は平行線に終わるでしょうね。
となると、あとは世界遺産委員会での登録否決ということになるのですけれども、登録可否の投票を行った場合、委員会のメンバー国21ヶ国のうち3分の2の「賛成」があれば登録となります。
委員会のメンバー国はアジア・オセアニア、アラブ諸国、アフリカ、欧州・北米、カリブ・ラテンアメリカという5地域のバランスに配慮して選出され、現在の委員国は次の図のとおりです。
韓国は委員会のメンバー国の一つであるのですけれども、それを幸いに他のメンバー国に反対票を投ずるようにロビー活動を繰り広げていると伝えられています。
まぁ、どんなロビー活動をしているのか分からないですけれども、否決の為の反対票はメンバー国の3分の1なければいけませんから、7ヶ国必要になります。うち1ヶ国は韓国の票として、都合6ヶ国を"オト"さなくてはなりません。
既に、イコモスからの登録勧告が出ています。要するに「明治日本の産業革命遺産」の"文化的価値"は少なくとも認められているわけですね。ですから、それに反対することは、イコモスの勧告を否定するか、文化的価値以外の価値、即ち政治的価値を考慮したということになります。昨日のエントリーの最後に筆者は「韓国の工作に屈することがあったとしたら、ユネスコが自ら世界遺産の価値を貶めたと、世界に宣言することになる」と述べましたけれども、まぁそういうことですね。
このように、ここ最近の韓国の反日振りは益々加熱しているように見えます。それも、慰安婦問題の嘘がバレてきたことなど、流れが逆転してきたことに対する"焦り"のようなものを感じます。ちょっとヒステリックな印象ですね。
5月8日、朝鮮日報は「日本と関係が良かった時代、学んだことはあるのか?」という記事を掲載しているのですけれども、そこで、ワルシャワ大のカジミエシュ・ブイチスキー教授は「反省しない加害国からいかに謝罪を引き出せばよいのか」との質問に対し、「日本に韓国友好勢力をつくれ。それを育てて、国が自ら謝罪するように仕向けるべきだ。…内部で合意が形成された謝罪でなければ、いつでも状況によって覆される。今の日本を見れば分かるではないか。…誤った部分をすべて洗い出し、一度に正そうとする焦りを捨てるべきだ」とし、「学校で日本と関係が良かった時代があったことについて学んだことがあるか。…調べていけば、必ずそういう時期や歴史的人物が見つかるはずだ。時間をかけて歴史全体を復元するという姿勢が求められる」とコメントしました。
記者は「こうした和解法はドイツと比べ相対的に弱小な存在であるポーランドの自己合理化ではないか」と食って掛かったのですけれども、教授から「それならば大国になり、加害国に一気に報復することが最善だというのか。そうしてはならないというのが歴史の教訓だ」と窘められています。
要するに、ブイチスキー教授は、内部で合意が形成されなければ、謝罪も状況によって覆されるから、まずは日本に韓国友好勢力を作って育てろ、とアドバイスしているのですけれども、実は韓国はとっくにそれをやってきたのですね。例えば"親韓マスコミ"もその一つですね。
彼等の"韓国押し(宣伝)"については、もう改めて指摘するまでもありませんけれども、彼等が韓国に都合の悪いことを報道しないという"報道の自由"を駆使することも、もうよく知られるようになりました。
以前、「ベトナムの韓国軍慰安婦」のエントリーで、TBSの山口ワシントン支局長が、ベトナム戦争当時、サイゴンに韓国軍の慰安所が存在したことを取り上げましたけれども、このスクープは山口氏が所属するTBSではなくて、週刊文春で発表されたのですね。
これは、山口氏が、TBS本局に何度も報道の打診をしたにもかかわらず無視され、挙げ句の果てに「報道しない」と回答されたためなのですけれども、このように韓国に都合の悪い記事は握り潰していた、というわけです。
TBSは、週刊文春で発表した山口氏を既に帰国させたそうなのですけれども、噂では、左遷されるのではないかと言われています。
その一方で、TBSは最近、韓国で「反日に疲れた」なんてという報道を流しているんですね。恐らく、日本国内の嫌韓感情を何とか宥めすかそうと、火消しを行ってみたのではないかと思われますけれども、いくらそんな報道をしたとしても、国が"反日"をエスカレートさせている現状をみれば、"反日に疲れた"といっても説得力がありません。疲れたのなら、とっとの止めればいいだけですからね。
このように、韓国に都合の悪い報道は握り潰し、日本国内の嫌韓感情を和らげようする報道をするTBSは、ブイチスキー教授のいう日本国内の韓国友好勢力といっていいように思いますね。
けれども、今や、その日本国内"韓国友好勢力"は、疑義の目を向けられるようになっています。それどころかTBSの山口氏のように内部から、叛逆の狼煙が上がるところさえ出てくるようになっています。要するに、韓国友好勢力を育てるどころか、逆に攻撃されるようになっているのですね。
ですから、ブイチスキー教授のアドバイスそのものは正しいのだとしても、既に今の日本は、その段階は過ぎたといっていいでしょう。もう、これまでのように、"韓国アゲ"報道は通用しないと思いますね。
ブイチスキー教授は和解の鍵として「世論に敏感な政界は、歴史問題に関する謝罪問題でも柔軟さで劣る。絶え間ない民間交流で当事国間の共通の利益を探ることが重要だ」と指摘していますけれども、では、実際、民間交流で共通の利益が探れているのかというと、これも怪しい。
古くから韓国との民間交流を続けてきた対馬も、仏像盗難という仇で返されましたし、国内の雰囲気は交流どころか、「もう関わり合いになりたくない」ですからね。
ブイチスキー教授から「学校で日本と関係が良かった時代があったことについて学んだことがあるか」と問われた、朝鮮日報の記者は「三国時代の百済以外には思い浮かばなかった」と記事に書いています。
百済とは4世紀中頃にあったとされる朝鮮半島南西部にあった国ですけれども、当時、百済は、仏教や論語、文字、土木技術などを日本へ伝えました。その後、660年に唐と新羅連合軍によって百済が滅亡するのですけれども、翌年日本は、百済再興の為、当時、人質として日本に来ていた百済の皇子豊璋を兵をつけて送り返し、663年には軍を派遣。唐-新羅連合軍と戦い、百済再興をはかりました。
このように百済は当時の日本(倭)とは親密な関係にあったのですけれども、当時の百済は日本の属国だったという説があります。
これは、中国吉林省集安市で発掘された「広開土王碑」に、「391年、倭国が百済と新羅を破り、属国にした」という意味の文字が書かれていたことが根拠になっているようです。(一部捏造説あり)
これの真偽は兎も角として、百済が日本の属国であったとしたら、日本の朝鮮併合時代とよく似た関係になります。けれども、片や百済の方が日本との関係がよいとされ、もう一方の朝鮮併合時代が諸悪の根源だとされる。もしかしたら、1500年ほどたてば、朝鮮併合時代も日本との関係が良かったと評価されるようになるのかもしれませんけれども、そうだとすると、韓国が何かにつけて口にする"歴史認識"とやらも、時代によって変わることが十分あるということになります。
ですから、やはり、一度国家間で賠償が終わった問題について、今現在の"歴史認識"で過去を糾弾し、謝罪と賠償を求めても、生産的ではありませんし、将来その"歴史認識"が逆に糾弾されるかもしれないことを考えると、やるべきではないと思いますね。
もしも、韓国の大多数の人が百済時代が日本との関係が良かったと考えるのであれば、まさにその時代を掘り起して、なぜそうだったのかを考え、広めるほうがずっといいと思いますね。
この記事へのコメント
ス内パー
総合商社ネットワークと皇室外交が実績面で友好関係築いているとはいえプロパガンタ能力の高いメディアを反日と無知に乗っ取られたまま放置するのは悪手なのですがねぇ。
まぁ我々の知らないところで親日大手メディアが海外にいるのかも知れませんがテキサス親父レベルの個人活動くらいしか耳に入ってこない現状は悲しいなぁと思うわけで。
戦後政権日本国・日本は未だ占領下
これが日韓両国で隠蔽されたのは、戦後教育、WGIPによるものです。
靖国神社に行こう 在日朝鮮人の戯言(志願兵に殺到した朝鮮人など)
http://blog.livedoor.jp/whokilledxxxxx/archives/14331746.html
在日朝鮮人から見た韓国の新聞(日帝時代の天皇を賛美する朝鮮日報など)
http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/28698650.html
こういう歴史上の事実は戦前戦中世代にとっては常識であり、
にもかかわらず私たち自身が知らないことを疑問に思うべきです。
独立を守るために戦ったものをWGIPごときで洗脳されるなどありえず、
そこには台湾の白色テロどころではない透明テロと言うべき形の熾烈な弾圧があったはず。
敵国条項に縛られた日本は事実を語ることができず、語ることのできる韓国では
更なる熾烈な監視弾圧が常時行われている。反日工作はこの一環です。
独立を守るために戦ったものを、
WGIPごときで事実を知る戦前戦中世代が洗脳されるはずもありません。
事実を語れば敵国条項に抵触し殺される。汚い戦争は今も続いています。
これらの事実を鑑み、事実を見直す必要があるのではないでしょうか。
戦後政権日本国・日本は未だ占領下
イングランド<イギリス<大英帝国
日本国憲法99条には天皇憲法遵守義務があり、
ために天皇は日本国の定められた国事行為以外のことはできない、
つまり、大日本帝国の統治権行使が不可能になりました。
講和条約を締結したのは大日本帝国の一領域である日本国であり、
日本国が帝国内他領域への権利を放棄して規定された領域での自治を認められたに過ぎません。
大日本帝国自体は講和条約未締結、戦争は終わっておらず、
全領域は凍結状態のまま、日本国も含め今も占領下にあると言うことです。(停戦状態)
http://nadesiko-action.org/?page_id=5813&cpage=12#comment-12257
(99条のために天皇は講和条約に署名できず、
ために戦争は正式に終わっていない、というのは
高齢者には良く知られた事実。
日本国と大日本帝国の判別如何に関わらず)
戦争を終わらせるには、帝国政府復活の要があり、
そのためには選挙・被選挙権を持つ朝鮮国との連携が不可欠。
逆にこれを妨げるために連合国は熾烈な反日工作を朝鮮で繰り広げてきました。
日米はこれを終わらせることを先の歴史的会談で宣言し、
だからこそ米国は何一つ糾弾せずに和解した日本に感謝するわけです。
(こんな事実を公になれば米国の評価はがた落ち)
今後、日韓関係の修復に全力を尽くすはずです。
戦後政権日本国・日本は未だ占領下
だからこそ米国は何一つ糾弾せずに和解した日本に感謝するわけです。
(こんな事実を公になれば米国の評価はがた落ち)今後、日韓関係の修復に全力を尽くすはずです。
日米合同記者会見要旨
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS28H5G_Y5A420C1I00000/
法律上は今も敵国なので、希望の同盟「へ」。
正式に同盟国になるのは講和条約締結後になります。
リンカーン記念館ツアーはまさに和解の象徴。
奴隷解放を成し遂げたリンカーン。キング牧師の有名な演説がなされた場所でもあります。
自身、黒人白人の和解の象徴であるオバマ大統領が、自ら、
かつて人種差別撤廃を求めて戦った日本の首相をそこに案内した。
WE HAVE A DREAM。
リンカーンは政府紙幣を発行したために暗殺されたとも言われています。
戦争や諸問題は国家間の争いではなく、国際金融によって引き起こされている、
との認識は世界各国が共有しているはずで、
日米は和解し、共に、国際金融と戦う、との決意表明だったはずです。
韓国と争うのは、敵前で同士討ちをやってるようなものです。
日韓が争うように仕向ける工作は今後、熾烈さを増すはずです。
しかし、今はネットがあります。
国連は戦後70周年記念で、一本の、しだれ桜、を植樹したそうです。
植樹したのは国連の潘基文事務総長。韓国人。マスコミは報道しませんね。
http://jp.xinhuanet.com/2015-05/07/c_134216967.htm
バチカンのミレニアムの音楽も日本の「サクラ」でした。
白なまず
新羅の建国の王は倭人瓠公(瓢公)と三国遺事に記されていますが、この古文書は13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書で新羅時代の物ではないので、実際の所真実かどうかは不明です。しかし、大秦帝国滅亡後の支那と朝鮮半島の勢力変化により馬韓、辰韓(秦韓)、弁韓が新羅や伽耶、百済に国の統率を変化させて行った時期に、日本でも倭国大乱の時期(弥生時代後期の2世紀後半に倭国で起こったとされる争乱)で九州中心の古代倭国勢力と大和勢力の主導権が代わり、新羅建国の倭人金氏が唐と手を結び大和と戦った理由を九州倭国人である金氏が大和への挑戦だったと考えれば理解できないでもない。この大秦帝国滅亡の時期に物部氏が徐福と共に渡来している事が八咫烏から情報開示されて、その八咫烏の始まりが宗像三女神の姫君と大国主の婚姻で生まれたと現在の竹内宿禰により示された。宗像三女神はスサノオとアマテラスの契約(うけひ)により婚姻で誕生し、出雲族と日向族の和合の象徴で、この宗像三女神が作った国が九州倭国。九州の北にある新羅、伽耶、任那は倭人の国で日本式の前方後円墳もある。万葉集の歌の解釈で奈良の地形では説明できない記述が九州吉野ケ里近辺の筑紫平野で方位や山の方向がピッタリと一致するし、有名な柿本人麻呂も実は吉野ケ里近辺の人で、私と縁あって柿本さんとは過去に出会った事もあり、その時、柿本人麻呂の末裔と知り、出身地を奈良だと思い込み話していると、もともとは吉野ケ里で、、、となり、同時期に吉野ケ里遺跡が発見されてビックリし、古代倭国は筑紫にあり、1300年前に奈良へ権力者が移っていったと確信しました。
白なまず
白なまず
ご参考
【ムー度満点!トーク vol5.竹内 睦泰】 竹内宿禰の情報リーク
https://www.youtube.com/watch?v=9uycqoY3WbE
【九州王朝説 wiki】
http://ja.wikipedia.org/wiki/九州王朝説
ここに万葉集に関する見解が記されている。
その他、三国遺事、馬韓、辰韓(秦韓)、弁韓などの説明もwikiで検索すればわかります。
ちび・むぎ・みみ・はな
支那が公開した碑文が日本側の記録と完全に
一致したことから捏造説は消滅した筈なのだが,
「一部捏造説あり」ならせめて誰が文句を付けているか
書いておくべきだと思う.
しかし, この皇子が中臣鎌足だろうと言う説があり,
結構賛成する人が多い. もしそうなら, 彼を初代とする
藤原氏に日本の神世からの貴族がことごとく滅ぼされた
という事実は正に朝鮮に関わるなというのが真実である
事を示している.
もし藤原氏が本当に中臣氏の本流なら,
「かぐや姫」に書かれる程に嫌われることはあるまい.
平安時代の摂政関白政治は天皇圧迫以外の何者でもない.
大東亜戦争前後にも藤原が天皇を軽んじて問題を起こした.
源氏たる岩倉具視は何で藤原の湧き出るのを
押えられなかったのだろうかと残念でならない.
半島について言えば, 日本にとっての最良は,
常にゴタゴタしていてロシアや支那が出張ってこない状況.
決して, 良い国にしてさし上げようとは考えまいぞ.
白なまず
白なまず
白なまず
文章がおかしいので修正後を再度あげます。。
ご縁があって、私の竹馬の友が二人ほど居ます。一人は高木の神の末裔で、その名も高木さんです。元々は熊本ゆかりで、佐賀にも大昔から住んでいます。因みに未確認ながら先祖伝来の古墳があり、お墓は阿蘇の南の方です。この高木の神は九州久留米の高良大社の創建前に鎮座していた高木の神で、竹内宿禰によれば高御産巣日神(たかみむすびのかみ)です。
そして、高木の神を奉ずる人々は球磨国の人たちで、春秋戦国時代の古代支那人である呉人の末裔。河童伝説の泳ぎの得意な海の民で、亡国の呉国の水軍(孫武の作った水軍)の末裔で、これと同族なのが綿津見で、紀元前500年頃に最初に日本へ渡来した古代ユダヤ人(ベニヤミン族?またはゼブルン族?)でエフライム族(古代イスラエル王族)に伴って海のシルクロードを通りイラクのペルシャ湾からインド、インドシナ、台湾、沖縄、奄美、鹿児島経由で宮崎(日向)にたどり着いた海洋民族で言わいる龍宮の乙姫さまのご先祖さまで、家来の高木の神(思金神)が呉人で古代ユダヤ人失われた十支族のエフライム族にお供する支族(鹿の印のナフタリ族?)の末裔で、この高木氏は古代支那では高氏と姫氏の連合で、斉の国の王族で彼らを高姫とよび、文字では高貴と印し、日本では高木となり、高木の神と繋がる。高木くん曰く先祖は藤原の祖でもあるそうです。つまり、藤原の祖と言われる中臣は高氏と姫氏である太公望と縁があると思われます。彼らの末裔が広島の呉や越後、越前の地に越国の名残がある。
白なまず
それが徐福率いる物部軍団が筑紫を占領し吉野ケ里に拠点を築き、その時に高良山を占領して、高良大社を創建したと思われます。そして彼の物部氏の頭領をスサノオと称したと観ています。
つまり、スサノオ系です。筑紫の支配者と球磨国の呉人である高木の神、その君主である日向族のアマテラス系=現在の皇室となり、その和合の契約婚姻で生まれた八咫烏=賀茂氏、、、現在の日本の所有者はアマテラス系+思金神系で藤原の末裔、契約結婚を破棄した日向族+藤原氏がニギハヤヒの崩御後に大和を守る長脛彦(日ノ本将軍)を打ち破った後の神武天皇、つまり、長脛彦は出雲の将軍で、ニギハヤヒに代わり大和を守っていたが、内部分裂の陰謀(八咫烏の寝返り)で日向族に大和を渡す事になり、、、もう、ここまで来ると、藤原氏のみに悪名を着せるのはどうかと思います。因みに奈良の三輪山の大物主は蛇神と言ってますが、竹内宿禰情報によれば龍体の龍神でニギハヤヒの事で、和歌で古代の神の枕詞「ひはやふる」はニギハヤヒを思い起こさせる「千速布留」で意味は、千速が超速い高速回転する(回転軸が振れない)布留(フル)で、ニギハヤヒの別名のようです。また、九州王朝説にも記述が有る蘇我氏は九州王朝の皇族ですが、蘇我氏の石川磨呂ゆかりの家系が福岡の大川市(のだめカンタービレで有名になりました)にすんでおられるようです。昭和天皇の最後の行幸地としても有名な九州の有明海周辺のシチメン草をご覧になられた話がありますが、なんでわざわざ何もない佐賀と大川の近くでと思いましたが、、、やはり大和朝廷の成り立ちと九州の有明海の縁が理由かもしれません。
白なまず