反日国家・韓国の自縄自縛

 
今日は雑談を極々簡単に…

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6月21日、4年振りに韓国外相を日本に迎えた日韓外相会談が行われました。

会談では、韓国側が一転して、日本が進める「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録について協力する方針を示し、安倍総理と朴槿恵大統領との日韓首脳会談の早期開催に向け努力することで一致。また、22日に両国の大使館で行われる国交正常化50年の記念式典に、安倍総理、朴大統領とそれぞれ参加することも決まり、正に急転直下の展開となりました。

もう、何がどうしてこうなったのか良く分からないのですけれども、外務省幹部によると、どうやら政府は、日韓双方の「溝」が埋まらない慰安婦問題は主要議題とせず、19日に、杉山晋輔外務審議官をソウルに派遣して、安保問題や世界遺産登録問題などに力点を置くよう調整を進めたようです。

要するに、今回の日韓外相会談は、対立案件を外して、合意が取り付けられそうな議案をメインにすることで、両国の関係改善の兆しをアピールするものとして位置づけられたというわけです。

まぁ、世界遺産登録問題については、ネットの一部で「何か変な裏取引をしたんじゃないか」とか「どうせ裏切られるに決まってる」とか批判の声も上がっているようなのですけれども、行橋市議会議員の小坪慎也氏は自身のブログで「朴槿恵政権は、不当な要求に対し、 一切譲歩しない安倍政権に対し屈した」と述べています。

まぁ、筆者もそう思いますね。小坪氏も指摘しているとおり、これまで朴槿恵政権の閣僚が訪日した例はありませんし、そもそも、韓国は、慰安婦問題の解決がなんだかんだと、会談を行うことに条件をつけていましたからね。

それに対して、安倍政権は、「会談に前提条件をつけることはしない、対話のドアはオープンだ」として、一切妥協しませんでした。その結果、あちらから、そのドアをくぐってきたのですから、安倍政権の言う通りにしたということです。

会談後、韓国の尹炳世外相は、登録対象の施設の一部について朝鮮人強制徴用の歴史を明示することなど、韓国側の求めを日本側が受け入れのかとの質問には「近く説明する」とだけ答え、慰安婦問題についても「われわれの立場を伝えた。…細部について後に話すときが来る」と言葉を濁しまくっています。

自分の意見が通っているなら、もう少しポジティブな表現になると思うのですけれども、そうしなかったということは、それなりの理由があるということですね。或は、韓国側の要求は殆ど撥ねつけられたのかもしれません。

まぁ、本当のところはどうだったのかについては、"近く説明する"そうですから、じきに明らかになると思いますけれども、仮に、韓国側の要求が殆ど通らなかったのであれば、朴政権に対する韓国国内の批判の声は増々高まるだろうと予想されます。

これは、MERS対策に苦しみ、支持率が落ちている朴政権にとっては、下手をすれば致命傷になりかねない。まぁ、朴政権は、日本を悪者にして告げ口外交を繰り広げることで支持率を維持するやり方を取っていたのですけれども、それが逆に仇になっているというわけですね。

それが影響しているかどうかは定かではありませんけれども、ここにきて急に「反日」の急先鋒だった、韓国大手紙である、東亜日報と中央日報が、日韓の関係悪化は「韓国にも責任がある」と論調を変化させてきています。

東亜日報は6月22日の社説で、朴槿恵大統領に対し「歴史問題とその他の問題を分けて対応するとしながらも、歴史問題の解決を前面に掲げ、韓日首脳の対話を困難にした」と批判し、中央日報も「片方だけの責任とはいい難い。軽重の差はあっても双方それぞれの責任だ。この状況になるまで放置してきた両国の指導者の責任が最も重い」と述べています。

ただ、まぁ、論調が変化といっても、まだ「日韓両方とも悪い論」から抜け出せてはいないのですね。おそらく「韓国が悪い論」だと、韓国国民から猛烈なバッシングを受けるのでしょう。ただ、それは、自分自身で散々「反日」をやってきた以上、自業自得でもあると思うんですね。

中央日報は6月21日の社説で、「国内政治と支持層を意識した末に民族主義的ポピュリズムから抜け出せないまま世論の顔色をうかがうのに汲々としたという感じを消すことはできない」と述べているそうなのですけれども、韓国メディア自身、感情的な日本叩きで売り上げを伸ばしてきた、という批判の声もあります。

2013年6月、アメリカのヴァンダービルト大学のジェームズ・アワー教授は、韓国の国家基本問題研究所で、研究所の企画委員と意見交換した際、「主要な韓国のメディア報道は、日本の沖縄タイムズや琉球新報と同水準に思われる」と指摘した上で、「韓国で会った政治家や官僚が歴史認識で一方的で、日本にたいして余りにも無知なことにショックを受けた」と述べています。

また、こちらでは、韓国識者の意見として「韓国メディアのむやみな反日報道は、青少年を誤導する」という記事を紹介していますけれども、韓国国内にも分かっている人がいないわけでもありません。

ただ、たとえ形式上であれ、民主国家では、多数意見が国政に反映することになりますから、結局は世論が変わらないと国政は変わらないということです。そのためには、正しい情報がきちんと国民に伝えられなくてはならないのですね。

けれども、韓国でそれがちゃんとできているのか、というと先にも述べたように、韓国マスコミの問題もさることながら、韓国の教育自身にも問題が潜んでいるように思います。

作家の井沢元彦氏は、韓国でのエピソードとして次のように語っています。
≪前略≫

日本が清との日清戦争に勝って、下関条約で中国に初めて「朝鮮国の独立」を認めさせた時、これで長年にわたる屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、欣喜雀躍して独立門を建てた。これが今も大韓民国ソウル特別市にある独立門だ。つまりこれは「中国からの独立」を記念して建てられたものであり、朝鮮人もそれを明確に意識していたということなのだ。

現在ある場所に建てられたのも理由がある。ここは、迎恩門といい、朝鮮歴代の王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって土下座以上の屈辱的な三跪九叩頭の礼をさせられていた場所なのである。骨の髄まで中国文化(儒教文化)に染まっていた朝鮮は漢民族の国家である明が滅ぼされ、遊牧民族が清を建てた時、「野蛮人には従えない」と明に義理立てした。

怒った清は朝鮮に「征伐軍」を送り、朝鮮の仁祖王を追い詰め「土下座(正確には三跪九叩頭礼)」をさせて服属させた。これは「神話」ではない、事実である。しかも、清国皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」と強制し、歴代国王に三跪九叩頭礼を強制した。その場所が「迎恩門」なのである。

日本が清に勝ち、朝鮮の独立を認めさせた時、まず朝鮮人たちが行なったことが迎恩門の破壊であった。そして、募金によって独立門が建てられたのだ。ところが、韓国の若い世代はこのことを知らない。「有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった」などというデタラメが学校で教えられているからだ。

独立門前で「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しつつ「日本からに決まっているだろう」と答える。しかし、そこで「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは一八九七年だ。韓国併合は一九一〇年だし、光復(独立)は一九四五年だろう。それ以前の話なんだよ」と言うと、彼等は絶句し思考停止してしまう。
このように、教育から真実を曲げているのが現状なのであれば、それを正すには相当な時間を必要とします。

それを考えると、分が悪くなったからといって、ちょっとばかり、社説の1本、2本の論調を変えたとて、劇的な効果があるとは思えない。ですから、そう簡単に状況が変わるとは期待しないほうがいいように思いますね。

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