今日は唯の感想エントリーです。

東アジア情勢が着々と変わっています。
7月11日、自衛隊は米豪軍事演習「タリスマン・セーバー2015」に初参加しました。
タリスマン・セーバーは、アジア太平洋地域で行われる最大規模の軍事演習の一つで、アメリカとオーストラリアが2005年から2年に1度、オーストラリアで行われてきました。
演習に関して、表向きは特定の国や脅威を想定したものではないとなっているのですけれども、ウィスラー司令官は「A2/AD戦略を打ち負かす遠征部隊の能力を誇示することになる」と述べていますから、まぁ、対中国を想定したものであることは間違いないですね。
この日は、日米豪の3ヶ国による上陸訓練が行われたのですけれども、今回の演習に参加したのは、陸自の離島防衛部隊「西方普通科連隊」など約40人です。けれども、実は日米豪の共同軍事演習は、陸だけではありません。空もそうなのですね。
今年の2月15日から2月27日まで、グアムのアンダーセン空軍基地で「コープノースグアム(Cope North GUAM15)」という訓練があり、アメリカの空・海軍、オーストラリア空軍とともに空自の第8航空団と第6航空団、航空救難団、警戒航空隊、第1輸送航空隊が参加しています。
このように今年になって、日米豪の協力が進んでいるのは確かなようで、今回の自衛隊の初参加で「日豪安保が新しい局面に入った」と見る向きもあるようです。日韓関係が"正常に"従来より悪化している影響で、日米韓の軍事協力が儘ならないのとは実に対照的ですね。
尤も韓国は、先日、軍幹部が中国にTHAAD配備検討に関する情報を漏洩したとも報じられていますから、日韓関係の悪化だけとは違うかもしれませんけれども、本当であれば、アメリカは激怒しているでしょうね。
その意味では、韓国を見切って、日米豪でアジア太平洋地域の安全保障をコミットしていこうと考えたとしても少しも不思議ではありません。
ただ、そうなると、日本は益々対中の最前線に立つことになりますから、これまで以上に機動的な動きをしていくことが求められる筈ですね。
そして、これと安保法制がリンクしていることは、いう迄もありませんね。
7月13日、自民党の谷垣幹事長はこの日の党役員会で、安全保障関連法案について、15日の衆院特別委員会で締めくくりの質疑を行い、採決する方針を表明したようです。漸く可決が見えてきました。
これについて、相変わらず"サヨク"な方々は騒いでいます。官邸前で飽きもせずデモをやっているようですし、"サヨク"メディアもバンバンそれを報じて、政府与党の足を引っ張ろうと血眼になっています。
朝日新聞は12日付の「天声人語」でとうとう「人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる」などと書いています。もう訳が分かりません。主権の行使を選挙ではなく、デモとしてしまったら、デモに参加できない人は、その時点で主権行使の機会が奪われることになります。
まぁ、逆に言えば、こんなことを書かなければならないということは、それだけ彼等が追いつめられているということです。あれだけ、安保法制反対の大合唱をしている割に、世論はそちらに靡いているとは言い難い。
6月27、28日に産経新聞社とFNNが実施した合同世論調査では、安全保障関連法を「必要」とする回答は49.0%で「必要ない」の43.8%を上回っています。
それに対し、東京新聞は、6月20、21日に実施した世論調査では「安保法案『反対』58% 前回比11ポイント増」と報じています。要するに、世論調査する所によって、出てくる結果がバラバラだということです。
これについて、埼玉大学社会調査研究センター長の松本正生氏は、特定の政策にかんして人々の態度が曖昧なのか、それとも固まっているのか、そうした傾向を掴むところに世論調査の意味がある、と述べています。その通りだと思いますね。
その意味では、今回の安保法制については、まだ世論の態度が固まり切っているとはいえない可能性があります。政府与党はもっと広報すべきかもしれませんね。
ただ、今回の安保法制を巡る報道を聞いて気になることとして、どうも憲法を"不磨の大典"扱いし過ぎるように見えるんですね。
憲法は飽くまでも人が決めた取決めです。別に永遠不変の自然法則でも何でもないのですね。朝日は憲法を護れなんて叫んでいますけれども、憲法を"天の声"として、自分達マスコミが"人に語ってやっている"という態度は違うと思いますね。
一説には、天声人語は「天に声あり人をして語らしむ」という中国の古典から取ったのだとも言われていますけれども、この文章を素直に読む限り、筆者には"預言者の言葉"という意味にしか受け取れません。
であるならば、今の日本国憲法が果たして"天の声"なのかどうかを問うべきだと思いますね。
天の声は"天"と銘打つ限り、最高、最上、至高の声であるということになります。これは「戦略の階層」でいうと、「世界観」になる筈ですね。それに対して、憲法という存在を「戦略の階層」に位置づけると、やはり、それは、生き方や方針を示す「政策」になると思います。その意味では、憲法そのものは"天の声"ではないと思いますね。
まぁ、強いていうならば、憲法の前文に、その「政策」を規定する「世界観」、すなわち"天の声"が一部現れていると見ることもできるかもしれませんけれども、その前文は、次の通りです。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。これが果たして、"天の声"なのかどうか、ということですね。もう既に色んなところで指摘されていますけれども、日本の生存と安全は、平和を愛する諸国民ばかりである、という前提ですから、その前提が崩れてしまっては、どうしようもありません。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
そして、今もその前提が成り立っているのかどうかは、昨今の情勢みれば、もう御覧の通りで言うまでもないですね。そう考えると、やはり、前文を含めても、日本国憲法が"天の声"であるとはいえないと思いますね。
筆者としては、もしも、今の日本に対する"天の声"があるとするならば、もっと素直に「日の本の神々を敬い、国を護りなさい」でいいと思うんですね。
そこまでシンプルに考えたならば、憲法がどうだ、安保法制がどうだという議論に惑わされることなくすっきり結論が出るのではないかと思いますね。
この記事へのコメント
白なまず
白なまず
ちび・むぎ・みみ・はな
「日の本の神々を敬い、天皇の下に国を守りなさい」
そうすると, 天壤無窮の神勅と, 17条の憲法, 5箇条の御誓文,
教育勅語で前文を作れば良いと言うことだろう.
ちび・むぎ・みみ・はな
正しく考えればそれ以外の結論はない.
そこから出発しなければ正しい日本には
到達できない.