クラ運河計画を巡る各国の思惑

 
今日はこの話題を極簡単に…

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5月14日、中国・広州のメディア『南方日報』が「中国がクラ地峡運河プロジェクトの覚書に署名した」と報じ、内外の注目を集めたことがありました。

クラ地峡とは、マレー半島の一番狭くなっているところで、東はタイのタイランド湾に、西はミャンマー、マレーシアのアンダマン海に面しています。

クラ地峡の一番狭いところはタイとミャンマーの国境となっているクラブリー川を溯り、下流の起点からタイランド湾に続くサウィ湾起点の間で、その直線距離はわずか40~50km程、で、最高点は75mです。

パナマ運河が全長約80キロ、スエズ運河が全長約193キロであることを考えると、ここに運河を造ろうと話が持ち上がるのも自然なことだと思われます。

このクラ運河建設プロジェクトについては、その後、中国、タイ両政府がそんな計画はないと否定し、どうやらデマだったとされているのですけれども、クラ運河建設計画は、今回だけでなく、ずっと昔から現れては消えを繰り返してきました。

一番最初のクラ運河計画は1677年のアユタヤ時代にまで遡ります。当時のアユタヤ王であったナライ王が、フランスに南部ソンクラへの貿易拠点設置を認めたのですけれども、現地調査をしたフランス人技術者のデ・ラ・マールがビルマ側まで運河建設できる可能性を見出しました。

その後、1773年、1872年と運河建設計画が持ち上がるもいずれも実現しなかったのですけれども、1882年にスエズ運河の建設者であるレセップスがこの地を訪れ、運河建設の約束を取り付けました。

ところが、クラに運河ができるとシンガポール港に優位性が失われるとして、1897年に当時の大英帝国とタイとの間で運河を造らないことで合意されました。ちなみに、1947年に結ばれた英タイ平和条約の第7条には「タイ政府は、英国政府の事前の同意なしにタイ湾の領土を横断し、運河によりインド洋とタイ湾を結んではならないことを約束する」と記されています。

その後、1914年のパナマ運河開通を受けて、再び各国企業がタイ政府に運河建設を提案したものの第一次世界大戦が勃発して中止。大戦後の1935年には、タイ独自での運河建設が模索されましたけれども、資金が集まらずこれも断念。

そして第二次大戦後の1958年に計画が持ち上がるも安全保障上の理由で却下されました。そして1973年には、アメリカ・フランス・日本・タイの4ヶ国が合同で運河開削が提案されましたけれども、同年10月の政変でこれも頓挫。更に1977年にもタイ南部の議員グループが運河建設を提案するも政権交代で流れます。

続いて1980年、軍部から「クラ運河」計画の再考が当時のプレーム首相に出されたのですけれども、国会解散でこれも流れ、1987年には国会が調査委員会を設置するなどして、運河建設の可能性を探るも、一部の国民や学者からコストが大きすぎると反対に遭い、計画は進みませんでした。

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仮にクラ運河ができると、マラッカ海峡の代替航路となり、航程は約1200キロメートル短縮され、運航所要時間を2~5日間短縮され、輸送費も大きく削減できると言われています。けれども、未だに建設されないのは、大きく2つの理由があります。

ひとつは、これまで何度も計画が頓挫した最大の理由でもあるのですけれども、シンガポールの重要性が薄れてしまうということです。

シンガポール港は世界有数のハブ港で、コンテナ取扱量は2012年当時で3165万teu(Twenty-foot equivalent unit)と上海(3253万teu)に次いで世界2位の取扱量を誇っています。そしてそのコンテナの85%は周辺諸国への積み替え貨物です。同じく、アジアのハブ港である釜山や高尾の積み替え貨物が50%に満たないことと比較しても、如何にシンガポール港がアジアのハブ港として重要な位置にあるのか良く分かります。

シンガポール港は大きく、CityターミナルとPasir Panjang ターミナル(PPT)の2つのエリアに分かれるのですけれども、PPTの方は増え続ける貨物に対応するため、現在も拡張工事がされていて、2020年には、最大貨物取扱能力が現在の3500万teuから5000万teuまで増加するとしています。

それが、クラ運河が出来ることによって、船舶がマラッカ海峡を通らなくなって、シンガポール港が廃れてしまうのではないかということですね。

尤も、一部には、独自にコンテナ港を持ち、貨物の取り出し・置き換えなどの機能を有するシンガポール港を差し置いてクラ運河が成功することは余程の事がない限り難しいという見方もあるようです。

そしてもう一つの理由は軍事的理由です。

現在マレー半島を挟んで太平洋からインド洋への移動またはその逆をするためには、マレー半島を回り込んでいくことになるのですけれども、マラッカ海峡は船舶通過の順番待ちの時間が長く、しかも多数の船舶がひしめいています。これは、軍艦をマレー半島の向こう側から、必要な時に素早く投入することを著しく困難にさせますから、軍事的にみれば致命的なことなのですね。

ですから、それに対応しようとすると、軍艦を太平洋側(タイ湾)とインド洋側(アンダマン海)と予め2つに分けてそれぞれ配備して置かなくてはならなくなります。ところが、クラ運河ができると、太平洋からインド洋へ極めて短時間で移動できるようになりますから、2つに分ける必要がなくなるのですね。

要するに、タイは、太平洋とインド洋を自由にアクセスできるようになるわけで、軍事的重要性がうんと高まることになります。けれどもこれは同時にインドにとっては安全保障上の脅威にもなるわけですね。

また、アメリカにとっては、マラッカ海峡を封鎖することによる経済制裁というカードを失うことにもなります。

そういったことから、今現在、インドとアメリカはクラ運河の建設には否定的だとも言われています。1973年の4ヶ国合同の運河建設提案のように、1970年台のアメリカであれば、クラ運河建設によるデメリットは左程気にしなくてもよかったのかもしれませんけれども、今はそうではないということですね。その原因の一つには、昨今の中国の拡張主義もあるでしょうね。

世界地図をみれば一目瞭然なのですけれども、インド洋・ベンガル湾に接している国はインド、バングラデシュ、ミャンマー、タイ、マレーシアです。中国はインド洋に面した港を持っていません。従って、中国は中東石油の輸入に当たってはマレー半島を回って、南シナ海に持ってこなければなりません。要するに、マラッカ海峡は日本の石油のシーレーンですけれども、中国にとってもシーレーンなんですね。

現在、マラッカ海峡は事実上アメリカが守っているのですけれども、アメリカは、シーレーンの重要なチョークポイントであるマラッカ海峡を抑えることで、中国をいつでも牽制することができるというわけです。

もちろん、中国は中国でそれは面白くはないでしょう。ですから、たとえ今回のクラ運河建設計画がデマだったとしても、潜在的にはクラ運河への野望というか意欲は失っていないと見ておいたがいいように思われます。

おそらく、その鍵はシンガポール辺りが握ることになるのではないかと思いますけれども、その意味では、今後如何にシンガポールを西側諸国側にひきとどまらせるかが大事になってくるかもしれませんね。

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この記事へのコメント

  • almanos

    ニカラグアの運河の話と同じで採算が取れるのか?ではないかと。取れるのならもっと前に話が進んでいる筈ですね。
    2015年07月21日 12:00

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