わだつみは語らない
今日はこの話題を極々簡単に…
ブログランキングに参加しています。応援クリックお願いします。
戦艦「大和」を海底から引き揚げるというプランが囁かれているようです。
これは、戦後70年の節目に不戦の誓いを新たにするのにふさわしいとの理由から。今年5月に自民党の中川俊直衆院議員(広島4区)の呼びかけで、自民党有志による調査研究会が発足。初会合では若手議員ら約10名が集まりました。
研究会は「大和」を日本の「産業遺産」と位置付け、7月16日には呉市の大和ミュージアムの館長や政府関係者からのヒアリングを行い、引き揚げについての技術的な実現可能性を探るため、大和の画像データ収集に関する調査費を政府に求めていくとしています。
「大和」は鹿児島県坊ノ岬沖の海底水深345メートルに沈没しているのですけれども、過去には1985年、1999年の2回にわたって潜水調査が行われています。その際、一部遺品が引き揚げられ、2009年には、呉市の商工会議所などが中心となり「戦艦大和引き揚げ準備委員会」を立ち上げ、資金収集のための基金開設などを盛り込んだ計画書をまとめています。当時、準備委員会は引き揚げ費用を20億円前後と見積もり、主砲塔や装甲鈑、スクリューなどを展示することなどを検討していたようなのですけれども、その後活動は休止し、事実上解散状態となっています。
けれども、政府は引き揚げや遺骨収集について慎重論が強く、戦没者の遺骨収集を取り扱う厚生労働省は「航行中の死亡者は水葬に付すことが広く行われてきており、『海がお墓』との認識に基づき、収容は原則的には行えない」とし、また、引き上げを所管する文化庁は、沈没地点が領海外のため、文化財保護法を適用した調査などはできないとの立場を取っています。
また、遺族の中でも引き揚げを望む声がある一方で、「墓荒らしと同じ」「戦死者の墓標として扱うべきだ」といった反対意見もあり、まだまだハードルが高いというのが実情です。
では、過去に帝国海軍の戦艦が引き上げられたことがなかったかというと、そうでもありません。「『艦これ』をプロパガンダに利用したTBS」のエントリーで取り上げたことがありますけれども、瀬戸内海柱島泊地で謎の爆沈をした戦艦「陸奥」が引き上げられています。
「陸奥」の引き揚げは1970年に行われたのですけれども、当時は、遠隔操作無人探査機などもなくダイバーが直接潜っての人力作業に頼る他ありませんでした。「陸奥」引き揚げの現場海域は潮の流れが速く、ダイバーは随分と苦労されたそうです。
「陸奥」は水深42メートルの海底に沈没していたのですけれども、その水深でも作業後は一気に浮上せず、途中の水深20メートルなどで水圧の変化に体を慣らす、いわゆる"減圧"作業を1~2時間行ったそうです。
「陸奥」は水中電気切断機と火薬発破によって水中で切断され、1000トン以下に分割してから引き揚げられたのですけれども、引き揚げの際に使用されたクレーン船の名前はなんと「長門」だったんだそうです。
無念の爆沈で沈んだ「陸奥」は、姉妹艦の名を冠したクレーン船「長門」に引き揚げられることで、少しは気が安らいだかもしれませんね。
そして、更にいうなれば、「陸奥」が引き上げられた前年の1969年には原子力船「むつ」が進水しているんですね。まぁ、ただの偶然といえば、それまでなのかもしれませんけれども、こういうことを知るにつけ、英霊の魂を乗せた艦は、引き揚げられるにしても、それなりの"時"を得ないと駄目なのではないかという気さえしてきます。その段でいくと、「大和」の引き揚げも、それなりの条件が整ってからということになります。
では、その"条件"とは何か。
日本人にとって、戦艦「大和」はある意味、日本の象徴の一つではないかと思われます。「大和」は、"大和の国"として、今の奈良県のことを指すこともありますけれども、日本そのものを表わす言葉でもありますからね。
ゆえに、「大和」の引き揚げは、心情的に"日本の復活"を意味するものになると思いますね。
確かに、戦後の日本は経済大国として復活はしましたけれども、精神的な面においては、時に「自虐史観」だと指摘されるように、十全な復活を遂げているとは言い難い。今、安倍総理が戦後レジームからの脱却を目指してやっていますけれども、まだ達成したとはいえないと思われます。
今年、就役した、いずも型護衛艦22DDH「いずも」の命名に当たっては、「ながと」を推す声もあったそうです。けれども、「ながと」は、日本国内外で波紋を呼ぶ可能性があることから見送られたという経緯があります。
「やまと」どころか「ながと」さえも、遠慮して命名できないのが現実なのですね。このような状況では、まだまだ「大和」を引き揚げるだけの日本にはなっていないのではないかと思います。
ですから、今後「大和」が引き上げられる時がくるとしたら、それは、憲法改正して、戦後レジームから脱却しているのは勿論のこと、護衛艦「やまと」が進水し、クレーン船「武蔵」か「信濃」の手によって行われるのかもしれませんね。
ともあれ、今の日本には「大和」引き揚げはまだ早い。
海神(わだつみ)は語らない。
この記事へのコメント
日比野
ナナシ
だって大和は単なるモノじゃないんですから。
船の残骸そのものが言わば遺骨であるわけで、引き揚げなんぞ故人の死体を謂れもなく弄り回す事に変わりありませんよ。
そんなに大和を拝みたいなら本気で超精巧な原寸大の動く大和を製作する方がずっと良いと思いますけれどね。
ついでに旭日旗も非理法権天旗も掲げさせたりとかして。(笑)
戦後の三笠の扱いを考えたら、どうせ引き揚げに賛成する日本人の倫理観じゃあ大和の遺物を見てもなんの感慨も湧かないだろうし。