安倍総理は全方位ポピュリズムの罠に墜ちるか

 
今日はちょっと趣向を変えて…

先週末あたりから、ツイッターやフェイスブックを何気なくみていましたら、先日の安倍談話について、保守の間でも賛否が分かれているという指摘がありましたので、これについて少し…
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報道記事やいくつかのサイトを覗いてみましたけれども、確かに保守と呼ばれるサイトでも、安倍談話を批判する書き込みがありますね。日比野庵でも「安倍談話が中国を包囲する」のエントリーのコメ欄で、あきつしま様から「村山談話・河野談話を破棄できなかった今回の安倍談話は意味が無い」とのコメントを戴いています。

保守系サイトで安倍談話を批判している内容をみると、どうやら、歴史認識というか、歴史観の部分で批判が集まっているように感じられましたので、これについて考えてみたいと思います。

1.安倍談話は村山談話を長くしただけの代物

安倍談話についてサヨク以外からの批判として、例えば、漫画家の小林よりのり氏が次のように批判しています。
安倍談話は日露戦争までを肯定する司馬史観で、満州事変を否定するが、わしの歴史観とは違う。

当時の国際秩序への「挑戦」という言葉を使っているが、当時の国際秩序は西欧列強の植民地「既得権益」の維持の秩序であり、こんなものへの「挑戦」は当然である。

日本の失敗は支那事変からだ。

パール判決にあるように国際法上は合法なのだが、万里の長城を越えてからのビジョンが何もない。

だが、大東亜戦争にはアジア解放の側面もあるのである。

安倍談話は村山談話を否定する予定だった安倍首相が、戦勝国の監視に委縮してしまい、なおかつ安保法制を通すために妥協した村山談話の冗長版である。

国内の左派と戦勝国向けに、「侵略」「謝罪」などの村山談話のキーワードのすべてを入れ、かつ右派向けに主語を省いただけの子供だましである。

これなら村山談話で良かったのだ。

≪以下略≫
このように、小林よしのり氏は、安倍談話は村山談話を長くしただけの代物だと指摘していますけれども、要は、これは安倍談話の歴史観が先の大戦の「戦勝国史観」のままであるからだと言っているんですね。

筆者はかつて村山談話について解析した、シリーズエントリーをしたことがあります。
村山談話を解析する その1 「田母神論文と村山談話
村山談話を解析する その2 「過去の反省
村山談話を解析する その3 「独善的なナショナリズム
村山談話を解析する その4 「日本という縦糸
村山談話を解析する その5 「現在の評価と未来の指針
村山談話を解析する その6 「日本の器
村山談話を解析する 最終回 「究極の徳利
ここで、筆者は村山談話の中身は「戦前の日本と戦後の日本は違う国なのだということを対外的に認めた談話」と述べました。つまり、戦前の日本は悪かったけれども、戦後は生まれ変わったのだ、というロジックですね。これは要するに「戦勝国史観」を認めるということです。

その観点から安倍談話を振りかえってみると、国策を誤ったのは当時の国際秩序に歯向かったからだと述べています。「安倍談話が中国を包囲する」のエントリーでも述べましたけれども、国策を誤った原因を明確化し、謝罪の連鎖を断ち切ったという面で村山談話を超えたと思います。その一方で、村山談話そのものを否定または撤回できなかった以上、「戦勝国史観」をひっくり返したとまではいえないと思うんですね。

その意味において、「安倍談話は村山談話を長くしただけの代物だ」という小林よしのり氏の指摘は当たっていると思います。




2.安倍談話は行間を読め

勿論、そうではない、と主張する人もいます。

例えば、評論家の宮崎正弘氏は自身のメルマガで、安倍談話は「行間を読む」べきだと述べています。次に引用します。
(読者の声3)安倍談話が発表され、保守陣営から不評の声を聴きますが、ともかくさまざまな反応を国内外に巻き起こしています。先生のコメントを是非お聞かせ下さい。

(宮崎正弘のコメント)安倍談話は有識者会議の議論や、直前までの予測報道から、それほどの期待をしておりませんでした。ところが、この談話、極めつきに良いですね。なぜなら「行間を読む」べきです。そこにはアジア侵略は欧米列強だったことが示唆され、また日本のお陰でアジア諸国の独立が達成されたことをやんわりと示唆しています。
「謝罪」の項目も次世代の日本の若者が何時までも、し続けることより未来志向で歩もうと、全体的に中国、韓国への配慮もありますが、村山談話と継承するという表面看板とは裏腹に日本の正しい歴史認識の回復という意味が深く込められている。
 まさに安倍談話は「行間を読む」べきです。
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成27年(2015)8月15日(土曜日) 通算第4627号
このように宮崎氏は、安倍談話の行間に「日本の正しい歴史認識の回復」の意味が入っていると述べています。

まぁ、これは談話が主語を抜いた文章だということも関係しているかと思います。要するに、人によっていくらでも解釈の余地がある文章だということですね。

けれども、公式文書では、誰も「行間」なんぞ読んではくれません。なぜなら、行間はあくまでも行間であって、あぶり出しがあるわけでも透明インクで書いているわけでもないからです。公式文書はそのまま受け取るのが"建前"です。行間はただの"空白(ブランク)"にしか過ぎず、何も読み取れないし、読み取ってはいけないのですね。

従って、今回の安倍談話を"建前"で読む限り、そこから導き出される一つの結論は「戦前の日本は悪かった論」です。この意味において、中韓は相変わらず、日本の過去を責め、"抗日なんとかパレード"を続ける手形を手にしているといえるでしょう。ただ、安倍談話では、次の世代に謝罪の連鎖を引き継がせないとしていますから、今後おそらくは、中韓の「戦前の日本は悪かった論」と日本の「謝罪は終わった論」同士の押し問答が繰り広げられるようになると思いますね。


3.安倍総理は全方位ポピュリズムの罠に墜ちるか

安倍談話について、小林よしのり氏は、「国内の左派と戦勝国向けに、『侵略』『謝罪』などの村山談話のキーワードのすべてを入れ、かつ右派向けに主語を省いただけの子供だましである」と批判しています。要するに、右からも左からも批判されないようにした談話である、という指摘です。まぁ、これは裏を返せば、左右どちらからも批判を浴びる談話である、ということですね。

筆者は「安倍談話が中国を包囲する」のエントリーで「サヨク、保守の両方から批判を浴びるということは、逆にいえば、それだけバランスが取れていた談話だったということの証左だといえるかもしれませんけれども、これは同時に世論のバランスの中間点がどこにあるのかを示しているともいえるわけです」と述べましたけれども、そのバランスのとり方が絶妙になればなるほど、あらゆる所に目を配り、細かく配慮しなければならなくなってきます。要するに総花的になってしまうのですね。

確かに安倍総理には、少しそういったポピュリズム的な傾向が見受けられます。

筆者は2013年10月のエントリー「安倍総理の野党殲滅戦略」で、当時安倍総理が打ち出した政策が、野党の案を悉く取り入れたものであることを指摘した上で次のように述べたことがあります。
全方位型ポピュリズム戦略は、眼前の敵を消し、野党を壊滅させることはできるかもしれないけれど、日本を良くする方向に導けるかどうかは未知数。タグボートで船を四方八方から同時に引っ張っても、船は少しも進まない。

もしかしたら、安倍総理はこの全方位型ポピュリズムで政権を安定させ、野党を壊滅に追い込んだ後、最後の任期の1年で、憲法改正などの本当にやりたかったことを矢継ぎ早やにやってしまう気があるのかもしれないし、それを期待したいところではあるけれど、政治の世界は一寸先は闇という。

安倍総理の野党殲滅戦略」2013.10.17 より抜粋
巷では、安倍総理は、右翼だの、タカ派だの言われていますけれども、その政策や政権運営をみる限り、結構ポピュリズム的な動きをしていると思うんですね。最近でも、新国立競技場の建設白紙撤回が人気取りのためだという指摘もありましたね。

確かにポピュリズム政治が上手くはまると、支持率は落ちる事なく長期政権も可能になります。けれども、そのポピュリズムが余りにも全方位になってしまうと、互いに打ち消し合って、結果何もできなくなる。そういった危険性が出てくることになります。

ただ、全方位型ポピュリズムによって身動きが取れなくなるというのは、各方位それぞれ力が拮抗しているということでもあるわけですね。つまり、安倍談話でいえば、サヨクと保守、或はサヨクと保守A(安倍談話支持)、保守B(安倍談話不支持)、または、日本と諸外国という具合に二者、三者、あるいはそれ以上の複数の勢力同士の綱引きの結果、バランスが取れた点が、今回の安倍談話の立ち位置だといえるのではないかと思いますね。

まぁ、こちらのサイトでは「安倍談話が政治的立ち位置のリトマス試験紙と化している」と述べていますけれども、安倍談話の立ち位置が世論の中心点(バランス点)であるとすると、そういうことになると思いますね。

もちろんそれでいいかどうかは別の問題です。

小林よしのり氏は別の記事で「あの安倍談話がアメリカの認めるギリギリの線であり、国際社会で認められるギリギリの線だという認識は本当なのかもしれない」と述べていますけれども、リアリズムでみるとそうだと思います。それを打ち破るには、残念ながら、憲法改正もできず、国防軍も持てない現状を見る限り、正直、力不足だと思います。

まぁ、そもそも論として、ポピュリズム政治の是非を問うという観点もあるのですけれども、では、今の日本で独裁政治ができるかといえば、多分できないと思うのですね。まぁ、民主党政権時代に、ややそれに近づこうとした気はあったのですけれども、民主党自身にその力がなくて、頓挫しましたからね。

ということで、現実を見る限り、ポピュリズム的政治は続いていく可能性は高いと思います。となれば、その"大衆"の意識あるいは認識から変えていくことで、世論の中心点をズラしていく方向性を考えるべきだと思いますね。

安保法制も、政府が丁寧に説明する方針に切り替えた結果、世論調査で法案が必要と答える人が増えてきています。"衆愚"という言葉がありますけれども、いつまでも"愚"のままであるとは限らない。正しい情報を適切な時に流布することで正しい判断ができるようになる。それが民主主義の基本の筈です。

ですから、手間も時間もかかりますけれども、正しい情報に基づいた、自由で多様な議論を行うことを尊重して、もしもそれを妨げる勢力があるならば、それを排除していく、そうした不断の努力が大切だと思いますね。

この記事へのコメント

  • 白なまず

    安倍総理は談話を何のために出したのか?が重要だと思います。政治の道具としての意味合いが強いのなら、その道具で何をするのか、、、例えば、日比野さんのご主張の「世論のバランスの中間点がどこにあるのかを示している」が判るとなんの役にたつのか?小林氏の記事の下りでの「リアリズムでみるとそうだと思います。それを打ち破るには、残念ながら、憲法改正もできず、国防軍も持てない現状を見る限り、正直、力不足だと思います。」と書かれていますが、このとおりならば、安倍総理の歴史認識や日本の立ち位置を従来に比べて詳しく述べただけで、特に米国、支那の主張を正すところまでは行ってないと言う事ですよね。しかし、実はこれは囲碁の定石「天元」(囲碁は全く出来ないので適当でないかもしれませんが)の様に、最初に打つべき所ではなく、しかし、原点を定めると様々な展開で最終的に意味の有る手(石)になるのかもしれません。例えば、この石をバランスの中間点とする場合、世論ではなく、米国、支那、韓国、その他関連国の主張のバランスだとすると、有る方向へ少しずらせば、米国だけが困り、別の方向へずらせば支那が反論し、さらに別の方向へずらせば韓国が火病を起こすと言う具合に出来るならば、このバランス点をプローブとして連合国捏造の歴史認識の蟻の一穴を探しだして其処を攻めると、米国は反論できない状態で、支那朝鮮のみが激怒して、さらに反日工作を強めて、支那朝鮮が日本へ軍事侵略を開始する事になれば、日本の世論は一気に憲法改正し、マスゴミですら歴史認識の主張を戦前へ一気に巻き戻して宣伝し、国民は平和ボケから戦前の世界情勢を知っていた国民のレベルまで学習が進めば、安倍首相が出来ない事は無いのかもしれません。
    2015年08月19日 02:29
  • 八目山人

    アメリカで 日本はシナ・朝鮮にひどいことをしたと言われて、完璧に反論できる人は、高山正之氏や渡部昇一氏ぐらいじゃないかな。
    大半の日本人は 薄ら笑いを浮かべて すみません なんていっているのじゃないか。

    それで安倍さんだけに ああだこうだと言っていてもしょうがない。
    アメリカにいる日本人の80%ぐらいが 日本語でもいいから歴史事実を時系列的に示して相手を論破しなきゃ。
    2015年08月19日 07:02
  • kazuasa

    こんにちは。
    村山談話は大筋では間違ってはいないと思います。
    ただし、抽象的で憲法と同じようにいろいろな解釈が出来るために中韓や、左翼界隈の人たちの都合の良いように史実を無視して左寄りに解釈されていたのが実情かと思います。
    その左に傾いた解釈を真っすぐにするためにある程度具体的に表現したものが安倍談話だと思います。
    それ故に長文になったのだと思います。
    ですから村山談話と同じことを述べているという指摘は正しく、左に解釈していた人たちから見れば村山談話から後退している、誠意がない、何を言っているのかわからないとの批判が出るのだと思います。
    2015年08月19日 08:12
  • opera

    前回のコメントでも述べましたが、今回の安倍談話は歴史談話ではなく、現時点における歴史研究を前提にした政治的談話でしかないのです。

     そもそも中韓のように政治によって歴史観を確定させるドグマが支配する国(もしくは欧米のようにナチス等一部の問題ををタブー視して歴史研究を封殺する国)でない限り、政治によって歴史問題を確定することはできませんし、すべきでもありません。
     小林氏の言う支那事変以降の失敗にしても、その発端となった盧溝橋事件等については、エリツィンの時代にコミンテルンの関与を示すソ連側の文書が流出していて、今後はどう解釈が変化するか分かりませんが、それを歴史的事実とするには、中国や日本側の資料と突き合わせた詳細な研究が必要です。それを先走って書いてしまったのが田母神論文でした。

     村山談話がなぜ出鱈目なのかと言えば、その動機が左翼内部の不満を宥め、自己満足的な意味しか無かったとしても、一国の首相が歴史問題に言及すれば、国家としての責任が生じるからです。
     村山談話以降、アメリカや日本で中国系や左翼による日本企業を対象にした訴訟が頻発したことを覚えている人もいるでしょう。幸いにも、日本でも、アメリカでは最高裁でいわゆる門前払いの判決が確定しましたが、政治が歴史問題に関与する場合には、常にこうしたリスクがあることを忘れてはいけません。

     したがって、今回の安倍談話の評価は、歴史認識の内容だけでなく、今後の国内政治や外交に与える影響を勘案して判断すべきで、できれば今後は政治による歴史問題への関与を極力減らしていくべきだろうと思います。
    2015年08月19日 17:04
  • 泣き虫ウンモ

    国内のイデオロギー対決の中で、産み出されたということですかね。

    国外を意識している部分があると思いながら、実を言うと国内問題であったということでしょうか。

    国外ではなく、国内を何とかしないといけない状況なのでは?
    2015年08月19日 20:47

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