これからのデザインは本物が残る
今日はこの話題を極々簡単に…
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9月1日、東京2020組織委員会が記者会見を行い、佐野研二郎氏デザインの東京五輪エンブレムを使用中止とすると発表しました。
まぁ、あれほど、パクリが指摘され、五輪エンブレムだけでなく、後から後からどんどん出てくるパクリと思しきデザインの数々に驚きを通り越して、呆れた方も多いのではないかと思います。
エンブレム使用取り下げは当たり前だとしても、騒ぎが拡大して、パクられた側から訴えられるに及んでの取り下げは、ちょっと対応が遅すぎるように思いますね。
佐野氏のデザインがあちこちからパクったものから作られているのではないかと指摘し、それらを発掘したのは、多くのネットユーザー達でした。
佐野氏も変な言い訳をせずに、謝罪と取り下げをもっと早い段階で行っておけば、氏の過去の作品がここまで検証され、暴かれることもなかったと思いますね。勿論、暴かれなかったら良かったというわけではありません。
今回の五輪エンブレム騒動については、既にいろんなところで取り上げられていますから、改めて指摘はしませんけれども、佐野氏はエンブレムについて、模倣ではないと主張しています。
今回騒動となった、東京五輪2020のエンブレムは、ベルギーのリエージュ劇場のエンブレムと酷似していると指摘を受け、騒ぎが大きくなったのですけれども、このデザインは当初案から2度修正されているんですね。
8月28日に、大会組織委員会がその当初案を公表したのですけれども、今度は、これがヤン・チヒョルトのデザインに似ているのではないかと指摘されました。
これまで、佐野氏側は五輪エンブレムは、作成の過程が違うから、ベルギーのリエージュ劇場のエンブレムの模倣ではないなどと主張していましたけれども、原案からパクりだったとすると、いくらコンセプトが違うといったところで説得力に欠けます。
この原案がヤン・チヒョルトのデザインのパクりではないか、という指摘に対して、エンブレムデザイン審査委員代表の永井一正氏は会見で「デザイン界では佐野の9分割はドット・ピリオドではない。…デザイン界では別物として理解される、佐野オリジナル。…しかし、一般国民がこの説明を納得することは難しい、問題あり。…専門家の間では通用してわかりあえる、一般国民は残念だが理解しない」と述べています。
けれども、「一般国民は理解しない」などいう言い方は、かつて、ルーピー鳩山元首相が辞任する際に言った「国民が聞く耳持たなくなった」という台詞を彷彿させる、少々傲慢な発言のように聞こえます。
そもそもオリンピックという"世界の祭典"で、専門家にしか分からないようなデザインを使う必然性が分からない。その時点で既にオリンピックのエンブレムとしては相応しくないと思いますね。
こちらに選考課程と基準についての解説がありますけれども、選考委員会は、街中に掲出されたとき、テレビ、Webではどう見えるのかといった「展開力と拡張性」を重視したようです。
つまり、街中の色んなところでエンブレムが使われたときに、どのような見栄えになるかを重視したということです。
けれども、佐野氏のエンブレムについては、ネットで、沢山並べると葬式みたいだ、と指摘されていました。確かに数を並べてみると佐野氏エンブレムは、弔旗のようにもみえ、楽しい気分にはならないですね。これなら、オリンピック招致につかった桜エンブレムのほうがずっといい。
選考委員会は「展開力と拡張性」を重視してエンブレムを選んだ筈なのですけれども、いざ展開してみると、葬式になるというのでは、オリンピックで一体何を展開したいのかと疑問を抱かざるを得ませんし、デザインを理解していないのは、一般国民ではなく、選考委員会の方々なのではないかと思ってしまいますね。
今回のエンブレム取り消しに至らしめた、最大の力は、名もない一般のネットユーザー達の検証と追及でした。本来はマスコミらジャーナリズムが行うべき仕事を、一般国民が行ったのですね。
その意味で、今後、新たに選考されるエンブレムに、一般国民の目が大きな影響を与えることはほぼ間違いないと思いますね。
まぁ、選考委員も下手なものを出せば叩かれまくることが分かった筈です。ですから、今度は、一般国民を納得させるだけの何らかの対策を立てる他ありません。
次に選ばれるエンブレムには、本物が残ることを期待しています。
この記事へのコメント
おじさん
然るに今回の一件、多方面から類似性やパクリ疑惑を出された時点で作品としては陳腐で独創性に欠けクリエイターの才能や誇りといったものが感じられないと受け取られるのは当然だと思います。
日常の用に供する物では機能性を損なわないという制約のため或る方向(形状や意匠デザイン)に収束せざるを得ない面もありますがエムブレムのような象徴的なものであれば「わかりやすい、印象的である、紛らわしくない」ことが重視されるべきでしょう。
それすら叶えられないとは所詮佐野氏は二流以下のデザイン屋だったのかなと思います。
組織委員会の面々も見る目がないというか何にごまかされたのか知りませんが、それにしてももっと早く決断できなかったのかなという気がします。
あと個人的には佐野氏のご面相がどうも気に入らなくてですね、あまり綺麗じゃない心の持ち主なのかなと思ったり。
ちび・むぎ・みみ・はな
身内贔屓に見えること. 電通関係者が入った時点でアウト.
時勢的にも, 我々は支那や半島の人達のやり方に辟易している時.
選考委員会のやり方は全く「あちら流」である.
審美眼が無く, 身内を贔屓するしかない選考委員会が問題の始まり.
身内でうまくやる. こんな半島・大陸的なことばかりが多い.
やはり知事が...と言うことなのだろうか.
佐野氏のデザインだが, あれはどう見ても日本人のセンスではない.
ロゴ候補の中でこのデザインに似たものが一つもないことでも分かる.
それではユニークで素晴らしいのかと言えば,
アルファベットの形を主要なモチーフとしている点で
ヨーロッパではありふれたデザインであるように思える.
日本人にはアルファベット一文字に愛着なぞ生じようがなく,
どうしても文字列, あるいは, その内容に注意が行く.
だから, 我々から見てヨーロッパのデザイナのロゴは大したものに見えない.
国際的に見れば, 我々が以下にも日本のデザインと考えるものが評価されよう.
その辺の国際性も選定委員会に不審がある理由である.
普段はRom専
「オリンピック利権に集る在日チョソ集団」
ってことじゃないでしょうか。
かせっち
「伝わらなければデザインじゃない」
http://www.amazon.co.jp/%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84-%E4%BD%90%E9%87%8E-%E7%A0%94%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/4416113420
泣き虫ウンモ
支持者の選定に、どういう経過を得たのかは、はっきりさせて欲しいかなぁと。
まぁ、相変わらず数千万かかったなどと抜かしているマスコミには分かるまい。
ポール
●新たに作り直した場合
大会後の記録、記憶に、招致時マーク、パクリマーク、本大会用マークの3種類が残ることになります。
一つのオリンピックに3つものマークはどう考えても多すぎでしょう。
●招致時エンブレムを使用した場合
大会後の記録、記憶に残るのは招致時マーク、パクリマークの2つです。
しかし、パクリマークは忌まわしい記憶として記録的な扱いは少量となるでしょう。
結果、招致時の喜びの様子、本大会の華やかさと共に記録、記憶に残るのはただ1つのマークということになるでしょう。
後者の方が後の世代のためにも良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。