シルバーウィークに入りましたね。筆者もようやく体を休めることができました。安保法案が可決したので、別の話題をと思っていましたが、もう少しだけ…。
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安保法案の採決を迎えた18日夜から、若者を中心とした法案に反対する人達が国会前に集まって「強行採決、絶対反対」とか「民主主義って何だ」などと、抗議の声を上げていました。
彼らは、参議院本会議で採決が始まると、「憲法違反」などと訴えながら、スマートフォンやタブレット端末を通じて記名投票の様子を見守っていたのですけれども、法案の成立が伝えられると、それまでの「法案反対」のシュプレヒコールが、「法案撤回」、「選挙に行こう」といった言葉に変わったそうです。
ついさっきまで、「強行採決反対」だとか「民主主義って何だ」といっていたのに、可決された途端に「選挙に行こう」なんて、漫才の「ノリツッコミ」ですか、思わずと聞きたくなる気がしないでもないですけれども、民の声を直接国政に届ける仕組みとして、選挙があるわけです。
逆にいえば、選挙制度が維持されている限り、民主主義の必要条件は満たしているということです。では、何故、選挙でもないデモという手段が使われるのかというと、もちろん、表現の自由を保証する一つの手段でもありますけれども、デモが政治的主張に使われるのは、やはり、世論を動かす力になり得るからですね。
デモの主張に説得力があり、多くの人の賛同が得られれば、それが政権への圧力となって、政治が動くことは往々にしてあります。最近では、まぁ、デモではないですけれども、トルコの海岸に横たわる幼いシリア少年の写真が公開されたことを切っ掛けに、世論が動き、ドイツなどEUが難民受け入れを表明したことなどもそれに近いかもしれません。つまり、たった1枚の写真でも国政を動かすことがあり得るということです。
民主主義におけるデモの位置づけについて、立命館大学政策科学部准教授の上久保誠人氏は、「議会の補完機能として位置づけられるべき」とした上で今回の安保反対派のデモについて次のように述べています。
国会の外で「戦争は嫌だ」「命を守れ」「戦争法案絶対反対」「今すぐ廃案」と単純に叫ぶだけで、そのリーダーがテレビ出演して、司会者から少し突っ込まれたら答えられず「これから勉強する」としか言えないような運動が、非常に充実した論戦を行っていた国会に対して「国会だけが民主主義じゃない」「選挙だけが民主主義じゃない」などと言うのは、いささか調子に乗りすぎではないかと強く批判したい。
大衆闘争が、議会制民主主義の補完機能を超える時、いったい何をするだろうか。それは、歴史的に見れば、傷害、放火、器物損壊などを伴う大規模な「暴力」である。そんなことにはならないと言うかもしれないが、それでは暴力なしで何ができるのか。何を根拠に「暴力にはならない」と言い切れるのだろうか。大衆運動が暴力となり、大衆自らが選んだはずの国会を制圧し、引きずりまわすという事態になるならば、断じて許されることではない。
…正直に言って、この先反対派には茨の道が待っているだろう。安倍政権は、安保法制成立後、「アベノミクス」に集中するとしている。「60年安保」を徹底的に研究しているのだろう。安保改定が成立し、岸信介政権が退陣した5ヵ月後、池田勇人政権は「寛容と忍耐」「国民所得倍増」を打ち出して、選挙に圧勝した。この前例に倣おうとしている。一方、反対派は「60年安保とは違う」というが、アベノミクスに対する国民の「消極的支持」を甘く見すぎていないだろうか。
…端的に言えば、経済の切実さに比べて、安保法制に対して「今すぐ戦争になる」という切実感はない。しかし、野党に、アベノミクスに代わる魅力的な経済政策はない。今のまま選挙をやれば、またもや安倍政権が「まだマシ」という消極的支持を受けることになるだろう。
…当時、サラリーマンからすれば、市民運動やデモは、暇な人間がやることだと思われていた。多忙な人や、経営が大変な中小企業の人ほど、こういう運動が嫌いだった。昔、たくさんそういう人たちに会った。今も、それほど変わらないだろう。そして、この人たちこそが、「中流」であり、日本のサイレントマジョリティなのである。
…そして、このサイレントマジョリティは、デモが広がれば広がるほど、「俺らはそんなに暇じゃない」と、シラけてしまうのだ。デモは、彼らに不快感を与えているのである。安保法制反対派は、サイレントマジョリティの票を、どうやって取っていこうとするのだろうか。…結局、次の国政選挙で、共産党が議席数を増やして喜び、他の野党は壊滅することになるのを、筆者は非常に恐れるのである。
ここで、上久保氏が指摘する「テレビ出演して、司会者から少し突っ込まれたら答えられなかったリーダー」というのは、恐らく、SEALDsの奥田愛基氏のことを指していると思われます。既にネットで話題となっていますけれども、確かに、奥田氏は、出演したフジテレビの番組でコメンテーターの田崎史郎氏にぐくの音も出ない程、論破されていました。
田崎氏といえば、その昔、中央大学の2年時に三里塚闘争へ参加して、凶器準備集合罪で逮捕、13日間留置された経験を持つ、左派の論客です。そんなバリバリの左派にさえ論破されてしまうようでは、彼の指揮するデモやSEALDsにどれ程の説得力があるのが非常に疑問ですね。
また、こちらでは、SEALDsのデモに、チェ・ゲバラの旗が掲げられていることを指摘し、「反戦活動なの馬鹿げている」とのコメントが紹介されています。
チェ・ゲバラは、キューバのカストロの右腕としてゲリラを指揮して共産革命を行った人物です。それをよりによって、反戦を唱えるデモで掲げるとは矛盾もいいところです。いや、もしかしたら、「自分達の主張を通すためには暴力革命も辞さない」という決意表明なのかもしれませんけれども、それにしては"丸太"の一本も用意していないのは不思議ですね。
これでは、田崎史郎氏に「一昨日おいで」とばかり、相手にされなくても仕方ないという他ありません。やはり、今のSEALDsでは、日本のサイレントマジョリティを取り込むことはできないと思いますね。
この記事へのコメント
野蛮人
保守革新・報道一般問わず皆無というだけでは・・
タミダ
しかしあの必死の形相での間抜けぶりでサイレントマジョリティーはドン引きです。
断言します民主党は浮動票、左派票が逃げて議席激減、民主党支持左派票の大半は共産党に流れ浮動票の殆どは自民等の保守系に流れるでしょう。
幾らお花畑の国民でも今回の騒動はドン引きするレベルですよ
ちび・むぎ・みみ・はな
最近の国立大でも下レベルであると学生に論理が通じない.
上位層はそれなりに大学で成長していくのだが,
内面的に成長せずに大学院に行くもの達が結構多い.
奥田君の大学では彼の話が普通に通じているのではないか.
少なくとも, 馬鹿とは呼ばれていないだろう.
もっとも私もASAHIが真っ赤な嘘の新聞だと
分かったのは例の竹島をやれと言う社説からだったから
彼らを完全には笑えない.
カリフォルニアから日本を想う
メディアの隠された意図がどうであれ、政治に関心がある日本の若者の存在はウエルカムと期待していた。
ところが、期待もむなしく、
フジテレビでは皮相的政治思考を論破され、国会では自分の感情や思いだけを述べる底の浅い青臭い意見の開陳、、、、
安保法制を本当に理解してますか、奥田君?
安保法制に反対なら、どこをどうすればいいか答えてよ。
対案を出す能力もない民主党や共産党に代わって、若い奥田君が対案出したら、それこそ政治は変わるかも。
国会前でヘソだしシールズ女子のパフォーマンスデモよりはるかに効果的ですよ。
来年の参議院選が狙い目ですから、グットな対案期待してます。
opera
立命館の上久保氏は「非常に充実した論戦を行っていた国会」なんてさらっとギャグを飛ばしていますが、今回、民主党や共産党を中心にした反対派は、一部の憲法学者の不見識を『神風』と称して審議拒否を繰り返しただけで、何ら実質的な議論は行なっていません。政権が外交的配慮から中国を名指しすることを避けているのをいいことに、瑣末的な事例の不合理に噛み付いたりしてはいましたが、本来そうした点を補完するはずの野党及びマスコミの役割は完全放棄です。
もっとも、今回の国会をエンタメとして見るならば、少しは楽しめたかもしれません。議会運営のルールを無視したマイクパフォーマンス・ミスター陳こと福山哲郎、委員会採決で膝蹴りとダイビングをかましたクイズ王こと小西洋之、喪服パフォーマンス・一人バトルロワイヤルの山本太郎、さらにセクハラ暴行親父・労組専従出身の津田弥太郎も加えておきましょうか。若手(?)芸人の活躍で、ベテラン芸人の存在が霞んでしまうほどでしたw
国会前のデモにしても、揉み合いから暴行で逮捕してみれば、革労協や革マル派のメンバーらがぞろぞろ。治安当局は、捕虫器に集まる虫のようだと、内心ではほくそ笑んでいたかもしれませんね。
泣き虫ウンモ
嫌いというか、本質を見抜いていたのでしょうね。
当時のデモのキチガイさを。
ただ、洗練されたデモも存在すると思うので、ひと括りにされたくはないですかね。