今日は軽い話題から…

香港のネット上で、ある一枚写真のツイート(FB)が話題になっているそうです。
こちらで取り上げられていますけれども、「漢字文化を真に継承したのは日本国だ(究竟誰是漢文化的繼承者?當然是日本國)」という題でツイートされた画像は、左に安倍総理の揮毫、右に習近平主席のサインが並べられていて、全然違うと多くのコメントが寄せられています。
まぁ、安倍総理が達筆であることは、日本人ならある程度周知だと思いますけれども、習近平主席のサインは確かにある意味"衝撃的"ではありますね。中国は書の本場である筈なのにこれはどうしたことかと思わなくはありませんけれども、習近平主席のはサインペンによるサインで、毛筆ではありません。
そこで、習近平主席の毛筆をググってみたのですけれども、そちらは下手ではない。いや上手い方だと思います。ただ、習近平の署名があっても、筆跡が異なる画像がちらほらあって、どこまでが本物なのか今一つ判別がつきません。
それでも、習近平の"習"の字の"羽"の崩し方と、"近"のしんにょうの払い方に特徴があると睨んで、同じような書き方をしている揮毫を拾ってみると、次の画像がではないかと思います。
書の専門家からみたら違うのかもしれませんけれども、これを見る限りでは、上手いといっていいように思いますね。まぁ、サインペンだと毛筆のように"抜き"や"払い"はしにくいでしょうから、今回話題のツイートに関しては、偶々ぐらいに思っていたほうがいいかもしれません。
この両者の比較について、当然色んなコメントがついているのですけれども、その中に「日本の特色は、量など気にせず、精巧さにこだわる。中国の特色は、ただ量だけにこだわる。(Tony Tam/日本特色是専而精 不計較數量 強國特色是濫而劣 只以數量)」というのがあったのですね。
これは「質の日本」と「量の中国」という風に読み替えてもよいと思いますけれども、中国の問題は須らく"量"に還元できるのだ、という指摘があるようです。
これについて、常日頃、参考にさせていただいている「丸幸亭老人のシナにつける薬」とか「制作日誌/深森の帝國」で考察されていますけれども、それによると、要するに、人口を始めとして、食糧や資源、領土保持のための警察・軍事など国家を維持するために必要な"量"が余りにも多すぎて、中央政府の手当(政策)が間に合っていないのが根源にあるのだということのようです。
それゆえに、中国は、自身を支え続けるために、常に"量"を欲し、"量"を確保するために拡張を続ける、というわけです。
このように質と量という切り口でみたとき、日本は間違いなく質を求めていったといえると思います。なぜなら、自らを支えるために"量"を必要としなかったからです。
日本は四方を海に囲まれ、自然に恵まれていました。中国程の人口もなく"量"が必要とされることはありませんでした。植林やリサイクルなど、循環型社会を形成することで、必要量は確保できたのですね。
その反面、海の外に出ることが困難であったこと相俟って、富の創出はその"質"に求めることになりました。外界から珍しいものを持ってきて富とするのではなく、今あるものに手を加えることで富とする。いわば希少価値より付加価値に重点が置かれたわけです。
そう考えると、日本と中国との「質と量」の考え方には大きな隔たりがあり、それは多分に、自然環境や地政学的特性に依拠したものであるといえるのかもしれません。
もしも、現代中国人にも、この"量"だけを求めるメンタリティが脈々と受け継がれているのであれば、例えば、情報産業のように"質"を求める産業、労働集約的な第三次産業中心の産業構造への転換は意外とハードルが高いのかもしれませんね。
この記事へのコメント
白なまず
質はその物の中身であり、生まれつきであり、物が成り立つ元として考えられるものであるから、質が所属する場所が質を保つのに都合が良いし、其処にはそれが生まれる必然があるので、其処に存在している。つまり、その場所が変化しない事こそが質を保ち続けるのに都合が良く、これを理解して継承する組織であれば、個人から大企業へコピーされて行ったとしても存在できるだろうが、大体に於いて質を生み出す人材が希少で、まして大きな組織では多数派は無能であり、有能な継承者の質を保全する活動を妨害する。これで質は破壊されるのだ!!!つまり、場を保つことが質を生み、守り、育てるのだから、巨大組織思考の強い支那や米国には難しい話である。従って米国は常に有能な人材なり後術を集めることに必死となり、支那は盗む事で追いつこうとするが、、、日本人はただ普通に自分の生活を続ける事が質を保持する事に繋がるので、その成り立ちは全く異なる。
ちび・むぎ・みみ・はな
支那では習近平におもねって彼の述べたことを書にすることが
流行っているそうである. 石平氏はこれもそうだ言っている.
立派な書が本当に彼のものなら, 青年時代を下放で過ごした彼に
高度な教養を積む時間をどうやって作ったのか
教えてもらいたいくらいのものだ.
ミモロン
軍事費の割合=国富のうち、少なくとも50%以上が、多い時は実に80%強が軍事関係に使われていたというデータがありました。
残りは官僚の給料・その他だけど、それでステークホルダー全員分の給料や需要をカバー出来る筈が無く、ピンハネや収奪を始め、様々な汚職が横行したという事です(汚職ではあるのですが、便宜供与を図るのは悪い事では無いという考え)。
王朝工芸品などを見る限りでは質に対する感度は良いのだとは思いますが、「希少性=質」とか、微妙な認識の違いは確かにあるようですね。
ポール
人口が多いのだから量が必要という理屈は一見もっともらしいが、それは単に共産党幹部が自分の私服を肥やすためにもっと必要だと言っているのと同じことだろう。