昨日の続きを極々簡単に…

10月20日、国連総会第1委員会で日中大使の非難の応酬がありました。
中国の傅聡軍縮大使は演説で、日本が保有する核物質は核弾頭千発以上に相当すると指摘した上で、「核セキュリティーと核拡散の観点から深刻なリスクを生んでいる。所有量は正当な必要量をはるかに超えている」と述べ、日本の原発再稼働と使用済み核燃料再処理工場計画は「世界を安心させるのではなく事態を悪化させる行動だ。…日本が国際社会で影響力を発揮できる力を持ちたいのなら、核兵器を保有すべきだと日本の一部の政治勢力が主張し、核兵器開発を要求している」と非難しました。
これに対して、日本の佐野利男軍縮大使は答弁権を行使し、プルトニウムや濃縮ウランなどの核物質は平和的に利用されると国際原子力機関が結論付けている」と反論すると、傅大使は更に、政策決定があれば、日本はごく短期間で核武装国家になる、世界はこのことを肝に銘じ、注意を払うべきだ」と再反論しました。
中国の批判はそれだけではありません。22日、傅聡軍縮大使は同じく国連総会第1委員会で演説し、旧日本軍による化学兵器使用や人体実験によって多くの中国人が殺害されたと主張、「戦後70年がたっても日本は歴史を隠蔽して逃れようとしている」と批判しました。
これに対して、日本の佐野利男軍縮大使は答弁権を行使し、日本は第2次世界大戦への深い反省に基づき、「平和を愛する国として歩んできた」と反論したのですけれども、傅聡大使は「平和憲法を変えることは平和を愛する国の通常の振る舞いではない」と再反論するなど応酬を続けています。
中国はこの委員会での持ち時間の多くを対日批判に費やしているそうなのですけれども、昨日のエントリーで述べたように、習近平主席の懐刀である劉亜州上将が日本との戦争を回避すべきだと主張する傍ら、国連でこう批判する。その意図とは何か。
これは恐らく、日本を日本国内に封じ込めておきたいのだと思います。昨日のエントリーで、筆者は中国は尖閣で日本との軍事衝突を避け、その矛先を南シナ海へ向けるよう転換した、と述べましたけれども、南シナ海およびその周辺国を我が物にするためには、日米の介入は邪魔になります。集団的自衛権行使容認を含んだ安保法制は、制約があるもののそれを可能としました。
アメリカの介入だけでも厄介なのに、日本も、となればそれだけで相当なプレッシャーとなります。
9月29日、南シナ海の西沙諸島周辺海域で、ベトナム漁船1隻が中国船とみられる船に体当たりされて沈没したと伝えられていますけれども、では、軍ではなく民間を装った工作船による攻撃ではどうかというと、これも難しくなる可能性がある。
日本は、インドネシアへ巡視船を供与していますけれども、先日もベトナムからの要請を受けて、新造巡視船供与を決めています。
中国からみれば、小国のベトナムやインドネシアなど力押しでいけると思ったところ、日本が後ろにつく訳ですからね。間接であっても日本の南シナ海への介入を止めさせることができれば、それに越したことはないわけです。ゆえに国連の場で"口撃"することで、日本の動きを鈍らせることができれば良し。憲法9条改正をさせないようにできればいうことないでしょうね。
その意味では、傅聡軍縮大使の日本批判演説は、日本に対してというよりは、その半分以上は、他国に聞かせるためのものだといえなくもないですね。つまり、日本の"危険性"を煽って、他国に日本に対する警戒心を抱かせ、南シナ海への介入を止めさせようというわけです。
けれども、中国は、南シナ海で人工島を建設して、自国領だと宣言するなど、現在進行形で侵略行為をしてますからね。そんな自らの行為を棚に上げて、日本の過去を批判しても、説得力に欠けます。
ですから、日本の国連大使も、日本は戦後平和国家として歩んだというだけでなくて、中国の現在の非道を指摘してもよいと思いますね。
この記事へのコメント
野蛮人
日本批判で誤魔化そうとするが、それが通じるのは彼ら同士の間だけだ」と
でも面と向かって嘲笑ってやればよい。
タミダ
札束と戦勝国秩序を維持したい旧列強諸国には実は自由も民主も人権も人道主義も実は如何でも良く本音は国益の為に安く犠牲に出来る物は犠牲にすると旧来の立場から一歩も抜け出せない自国中心主義云う考え方です。
AIIBへの参加、独逸や英国の自由主義民主主義陣営、引いては米国の衰退に見られる盟主としての弱さからも支那共産党に言い分に乗る可能性は否定出来ません充分有り得ると頭の片隅にでも置いといた方が良いですね。
戦勝国側に取って何より大切なのは戦後秩序の維持とお金ですよ。中狂の露骨な方針ながら戦勝国側に居る立場を侮るなかれ。