憲法に書いてあることがそもそも反日

 
今日も雑談です。

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3月19日、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が盛岡市のマリオスで「公判でわかった朴槿恵政権の素顔」と題した講演を行いました。

この中で、加藤氏は、韓国大統領府が「民事と刑事で徹底的に追及する」と恫喝する一方、駐日韓国大使館が「日本には遺憾という便利な言葉がある」と誘導するなど、圧力と懐柔を繰り返していたことを明かした上で、「韓国には三権分立が通用しないのが現実。価値観が違う。……長い目で、中期長期で見たときに、韓国をどういう存在と­して見ていくか、つきあっていくか、非常にいい検討材料になった」と述べています。

講演には約300人の聴衆が押しかけ、講演後の質疑応答で、「韓国はなぜ反日なのか」の素朴な質問に加藤氏は「国家の基本法である憲法に書いてあることがそもそも反日」とバッサリ斬って捨てました。

この加藤氏の「憲法からして反日」というのは、おそらく韓国憲法前文のことを指しているものと思われます。次に引用します。
大韓民国憲法 前文

悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して、正義、人道及び同胞愛により民族の団結を強固にし、すべての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を基礎として自由民主的基本秩序を一層確固にして、政治、経済、社会及び文化のすべての領域において各人の機会を均等にし、能力を最高度に発揮させ、自由及び権利に伴う責任と義務を完遂させ、内には国民生活の均等なる向上を期し、外には恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することにより、我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを誓いつつ、1948年7月12日に制定され、8次にわたって改正された憲法を、ここに国会の議決を経て、国民投票により改正する。

1987年10月29日
公布が1987年と随分と最近ですね。この当時日本はバブルが始ったばかりの時期です。韓国が自国の憲法を公布したのはこの時代でした。

もう前文を読んで直ぐわかるのですけども、韓国の憲法では三・一運動を建国の基としています。

三・一運動とは、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった日本からの独立運動のことですけれども、当時の朝鮮総督府当局による鎮圧の結果、運動自体は約2ヶ月で収束しました。運動を主導した活動家たちの一部は外国へ逃亡、上海等で臨時政府を名乗ることになります。

けれども、これだと、大日本帝国も終戦後のアメリカによる軍政をも「正統ではない」ということになります。反日のみならず、反米であるともいえなくもないですね。

1948年8月15日に初代大統領の李承晩が独立宣言を出していますけれども、こちらとの整合性はどうなるのかという問題もあります。

まぁ、こちらでねずさんこと小名木善行氏が記事にしていますけれども、当時アメリカは朝鮮半島の日本からの独立を認めず、アメリカ軍の占領地域にしました。

アメリカは3年余り半島を占領した後、北朝鮮の建国の動きを牽制するために、李承晩を大統領にたて、大韓民国の建国を宣言させています。流れからいけばアメリカから独立したということですね。

ところがそれを李承晩は日本からの独立にすり替えた、ねずさんは指摘しています。

このように韓国は、建国の初めから「嘘」から始まっているところがあるのですけれども、この1987年公布の韓国の憲法では、その李承晩の独立宣言をもなかったことにしている。

唯一揺るがないのは、「日本から独立した」ということですね。

確かにその意味では、韓国憲法がそもそも反日というのはその通りでしょう。史実を無視してでも「日本から独立した」ことにしなければならないのであれば、日韓友好など虚しい絵空事です。やはり"用韓"までに留めておくのが賢明だと思いますね。

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