今日はこの話題を極々簡単に……
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2月29日、民放テレビキャスターの鳥越俊太郎氏、岸井成格氏らが東京都内で記者会見し、放送局への停波命令の可能性に触れた高市早苗総務相の発言について「表現の自由を保障する憲法や放送法の精神に反する。私たちは驚き、怒っている」と非難する声明を発表しました。
これは、2月9日の衆院予算委員会で、民主党の玉木雄一郎氏が「憲法9条改正に反対する内容を相当時間にわたって放送した場合、電波停止になる可能性があるのか」と質問したところ、高市総務相が「1回の番組では、まずありえない。……私が総務相の時に電波停止はないだろうが、将来にわたってまで、法律に規定されている罰則規定を一切適用しないということまでは担保できない」と電波停止を命じる可能性に言及したことを受けてのものです。
ここで、取り上げられている放送法とは恐らく第四条一項のことを指していると思われます。放送法第四条一項は次の通り。
【放送法】とあります。そして、電波法76条には次のように定められています。
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
【電波法】このように電波法76条は放送法に違反したら、停波できるとしているわけです。
第七十六条 総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、三箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。
これについて、高市総務相は、前日の8日に民主党の奥野総一郎氏の質問に答え「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない。……単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ。私が在任中に出すとは思えないが、事実に照らして、その時の総務相が判断する」と述べています。
この高市氏の答弁で、「法規範性」という言葉が出てきますけれども、これは、法としての拘束力がある規定のことです。破れば罰則がある規定のことです。それに対して「倫理規定」とは行動基準を指すものです。要するに努力目標だということですね。
高市総務相は答弁で放送法は「法規範性」を持つと発言しています。つまりで電波法を守らなけらば罰することもある、ということです。
けれども、その放送法の第一条に、「表現の自由を確保すること」とも規定されています。第一条の二項がそれにあたります。次に引用します。
【放送法】放送法第一条二項の「放送による表現の自由を確保すること」を誰が確保できるのかというと、それはもう電波の許可権を持っている政府ということになります。
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
つまり、放送法に「法規範性」があるのならば、政府は表現の自由を確保する義務があり、それに違反すれば罰せられることになります。ところが同じ放送法四条、および電波法76条で、違反したら停波できる、としています。
要するに放送法の中で第一条と第四条とで矛盾が生じている訳ですね。
これに対して考え出されたのが、放送法第一条には法規範性はあるが、放送法第一項は、倫理規定であって、努力目標にしか過ぎない、という折衷的解釈でした。
これはでは、こうした解釈を施すことで表面上の矛盾を覆い隠していた訳ですけれども、放送局がその努力目標に向かってちっとも努力しているように見えないから、高市総務相のような発言となって出てきたものではないかとも思えます。
その証拠といっていいのか分かりませんけれども、冒頭で取り上げた高市発言に対するテレビキャスターの声明について、世間は殆ど反応していません。ネットでは逆にテレビキャスター達を批判する声が多いくらいです。それだけ不信感を持たれている。
民放テレビキャスター達は「驚き、怒っている」なんて声明を出していますけれども、視聴者は、そのテレビ局の自らを少しも顧みない姿勢に「驚き、怒っている」ことを知るべきだと思いますね。
この記事へのコメント
山本関西
記事の趣旨に賛同です。
ただ一点疑問があります。
>放送法第一条二項の「放送による表現の自由を確保すること」を誰が確保できるのかというと、それはもう電波の許可権を持っている政府ということになります。
この第一条二項の表現の自由を「誰が確保できるか」は、直接的には放送事業者のことを言ってるんじゃないでしょうか?
つまり、事業者は自ら「不偏不党、真実及び自律を保障」することによって(それと引き換えに)「表現の自由を確保する(出来る)」と。 不偏不党も真実性も自律も保証するのは事業者自体でしかないわけですから・・・つまり甚だしい偏向や捏造歪曲とか公共の福祉?に反する放送においてはその自由は保障されないことを意味してるんじゃないでしょうか?
だから・・・第一条と第二条が矛盾してるとは思えないのですが。
私の誤解かも知れませんが、疑問を覚えました。
おじじ
これ自体が、かつては情報ゴロと呼ばれたやつらの実態。
マスメディアは、世論の代弁者だという錯覚を国民に与え、世論を誘導する情報テロリストの集団。
信用するな、新聞を読むな、テレビを見るな。
その代わり、ラジオの政治経済番組だけは、まともになってきたような気もする。
メディアは選びませう。
ほいほい
言い換えれば極端な偏向報道、意見の分かれる問題を一方の側だけを利する報道、捏造による詐欺的な報道は報道言論の自由の定義には含まれない、と云う事です。
考えて見れば当りまえで、放送免許と云う特権を手にした時点で重い責務が課せられるのは公共性が持つ意味を御存じな社会人大人で有れば承知でしょう。
責務を放棄し自分の好き勝手に報道出来ないと喚き散らすがサヨクの子供染みた論理で、学生運動時代から拡大解釈してはき違えた自由を喚き散らしてた頃と進歩なし。
いわば子供の儘で自己都合で何でも自分達に都合良く解釈し、考えの違う相手には極端な攻撃を持って黙らせる。
正にファシズムを地で行くサヨク。
初期設定で最初から歯車が狂って矯正不可の所もサヨクが左巻と揶揄される由縁、ダークサイドに堕ちたダースベイダーの論理と同じ。
恐怖と破壊と殺戮で銀河制服を狙うダークサイドの理屈「ジェダイこそ悪だ!」
ちび・むぎ・みみ・はな
自由だけがあり権利だけがあると言うのは
実際には共産党も信じていない.
彼らがそれを強調するのは「自由」と「権利」だけを主張すれば
かつてのフランスのように国が壊れることを知っているからだ.
現在のフランスでも自由と権利を暢気に唱えるものはいない.
(もっとも, 「今の」フランスは特にそうだが.)
泣き虫ウンモ
そこらへんを誤魔化すので、視聴者が惑わされるのです。
いわゆる、応援するなり支持をしていたということに対して責任を取らせるのです。
それでなくて、放送局の寡占があるのであれば、あまった電波を解放して健全な競争を促せばよいだけかなぁ。