更に昨日の続きを極々簡単に……

7月16日、トルコのユルドゥルム首相は記者会見し、「国民の意思として民主主義を貫き通すことを世界に示すことができた。反乱軍に対して勇敢に反対の声を上げた国民の一人一人に感謝したい。……反乱軍のメンバーはすでに司法の手の元にあり、司法の裁きを受けることになる」と述べました。そして、クーデターの試みにはイスラム組織、「ギュレン教団」が関わっていたとの見方を示し、「指導者であるギュレン師は相応の罰を受けることになる」とクーデターに関与した人物には断固とした対応を取る姿勢を示しました。
このため、トルコ政府は現在、アメリカに亡命中の「ギュレン教団」の指導者ギュレン師の引き渡しを求めています。
これに対し、ギュレン師は「トルコの人々への私のメッセージは、軍事介入を建設的なものと見てはいけないということだ……軍事的介入では、民主主義は達成されない……このような企てに関連があると責められるのは侮辱的だ」と、クーデターを非難する一方でエルドアン政権を「人々の資産を職権で差し押さえている。……政権は完全に支配できないものを許容できていない」などと批判しています。
ギュレン教団とは1970年代後半に設立された組織ですけれども、これはヌルスィー(1873・76―1960)を創始者とするトルコ最大のジェマート(サークル的なイスラーム団体)であるヌルジュ教団の分派に当たります。
ヌルジュ教団は、ヌルスィーの言葉・書簡を集めた『リサーレイ・ヌル(光の書簡)』を信仰上の指針とし、1950年代以降、トルコで飛躍的に勢力を拡大しました。
ところが、1960年にヌルスィーが没すると、その基本理念を同じとしながらも、考え方の違いからヌルジュ教団は八つに分かれます。
1970年後半に分派したギュレンの一派は、経済活動の自由を強調し実業家たちの支持を集め、90年代以降、急激に勢力を伸ばします。
その活動は慈善基金の設立、雑誌の出版、児童向けの学校と同じだけの比重が置かれる私塾の開設、更には金融機関バンク・アジア(Bank Asya)を所有し、今ではアジア・アフリカ併せて 200校以上の学校を所有し、トルコ国内に総合大学も開設するまでになっています。
このように、ヌルジュ教団の流れを組むギュレン教団なのですけれども、ギュレン師がヌルスィーの弟子であることを公言しないことからヌルジュ教団とは別物であるという見方もあるようです。
ギュレン教団は、自前の学校機関での質の高い英語教育の提供などを通じトルコの様々な層に浸透していく戦略を進めていたのですけれども、その甲斐あって、今ではギュレン教団の支持者は、人口7800万人のトルコで650万人に上るという推計もあるようです
ギュレン教団は、トルコの国是である世俗主義を認めながらもイスラム教の価値観を重んじるといった主張を展開し、トルコの政財界に大きな影響力を持ってきました。
このため、エルドアン大統領とは、長年、協力関係にありました。
ところが、2013年のトルコでの反政府デモの際、ギュレン師がエルドアン大統領の対応は強硬的だと批判。政府との対立が始ります。
2013年12月にはエルドアン政権を巻き込んだ汚職疑惑が発覚したのですけれども、エルドアン大統領は汚職の捜査の背景にギュレン師がいると名指しで批判。警察の一部がギュレン教団の影響下にあるとして、捜査を担当した警察官らを大勢更迭するなど更に対決姿勢を強めた過去があります。
更に2014年12月には、トルコ検察が、ギュレン師がテロ活動に関わった疑いがあるとして、逮捕状を取り、今年になると「ギュレン教団」を正式にテロ組織と指定しています。
トルコ政府が今回のクーデターの背後に「ギュレン教団」がいるとしたのも、こうした背景が影響しているものと思われます。
トルコ政府と軍には多くのギュレン派がおり、今回のクーデター失敗を機に、エルドアン大統領は権力基盤を固めるうえで邪魔な存在であったギュレン派を一掃する大義名分を手にしたという指摘があります。
実際、今回のクーデターでトルコ政府は、軍高官を含む兵士2839人を逮捕。裁判官2745人の職権を一時停止していますけれども、これによって反エルドアン勢力は一層されたのではないかという見方もあります。
これで少なくともエルドアン大統領は益々権力基盤を固めると思います。
ただ、トルコ人口の一割近くを占めるというギュレン支持者を抱えて強権を発動しつづけると、その反動が起こることは十分に考えられます。
果たしてトルコは何処に向かっていくのか。
この記事へのコメント
sdi
泣き虫ウンモ
漁連運動ではなくて、ギュレン運動のことですかね。
イスラム教そのものは、軍事的な側面も強いものなので政治とは関係ないとは言えないでしょうね。
解決策は、神学論争を止めさせるような神学が必要かなぁと。