昨日の続きです。
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「ロシアンルーレットで異世界へ行ったら最強の魔法使いになってしまった件」連載中!
1.WHの歴史とコア技術
ウェスティングハウスはその沿革にまで遡ると、アメリカの軍事技術と密接な関係があります。
1953年に原子力潜水艦「ノーチラス」の原子炉を製造納入。1960年には原子力空母「エンタープライズ」用の原子炉A2W炉を製造・納入しています。
この原子力潜水艦「ノーチラス」の原子炉開発をしたのが、原子力海軍の父とも呼ばれたウィリアム・G・リッコーヴァーです。
リッコーヴァーが開発したノーチラス号の加圧水型核反応炉STRマーク2は正式名称をS2Wと改名され 原潜炉の原型となりました。
当初、原潜の原子炉はウェスティングハウスが独占していたのですけれども、1970年代末から、 GE社の開発した加圧水型動力炉Sシリーズが参入し、徐々にシェアを奪われていきます。
現在では、原子力空母はウェスティングハウス、原潜はGEという棲み分けになっているようです。
このように軍事産業と密接に絡んだウェスティングハウスなのですけれども、1990年代に入り、身売りを繰り返しながら解体されていきます。
1996年、防衛産業部門のウェスティングハウス・エレクトロニック・システムズをノースロップ・グラマンに30億ドルで売却。続いて1997年には、原子力以外の発電部門をシーメンスに売却。そして、1998年、最後まで残っていた商業用原子力部門を英国核燃料会社(BNFL)に売却され、ウェスティングハウスは原子力関連の広範な製品の販売とその関連サービスを行う多国籍原子力関連企業として存続することとなりました。
大雑把にいえば、軍事産業としての原子炉はノースロップ・グラマンに、商業用原子炉は英国核燃料会社へと分裂した訳です。ただ、英国核燃料会社が商業用原子炉を手掛けるといっても、元のウェスティングハウスからの分裂はたかだか10年前の話ですし、軍事とも共通な技術ノウハウはまだ残されているのではないかと思われます。
2.WH買収には経産省が絡んでいた
東芝が買収したのは、この英国核燃料会社(BNFL)です。2005年7月、「商業的リスクが税金で保有される企業としては大きすぎる」という理由で英国核燃料会社が売り出されました。この時の買収には経産省が絡んでいたようです。
2006年、経産省は原子力立国計画を策定しました。これは2005年に閣議決定された「原子力政策大綱」実現のための具体策として資源エネルギー庁が纏めたもので、次の五つを柱とするものです。
1.中長期的にブレない国家戦略と政策枠組みの確立週刊誌報道によると、買収が行われた2006年当時、経産省は原発輸出などを官民一体となって推進する為、産業界の利害調整をしたようです。東芝もこれに飛びついて買収に奔走、当初は三菱が買収の最有力候補だったらしいのですけれども、結局東芝が買収することとなりました。なんでも当時の経産省幹部は「東芝に買収させたのは自分たちだ」と周囲に豪語していたようです。
2.個々の施策等については国際情勢や技術の動向等に応じた「戦略的柔軟さ」を保持
3.国、電気事業者、メーカー間での建設的協力関係を深化。このため関係者間の真のコミュニケーションを実現し、ビジョンを共有。先ずは国が大きな方向性を示して最初の第一歩を踏み出す
4.国家戦略に沿った個別地域施策の重視
5.「開かれた公平な議論」に基づく政策決定による政策の安定性確保
東芝は国策に乗ることで、業績の拡大を図ったのかもしれません。東日本大震災後の2011年8月の「編集長インタビュー 原発の世界需要揺るがず」では、「(原発市場は)縮小というより、増えるのではないですか……原発事業がなくなるとは思っていません。当社の原発関連売り上げの7割は海外向けです。国内でも、原発のメンテナンス売り上げが減って、3割のうち3分の1がなくなるとしても、海外も含めた全体で見れば10%減少にもならない」と海外展開を続ける事を表明しています。
しかし、良かったのは買収迄でした。東芝はウェスティングハウスの経営を上手くできなかったようです。どこまで本当か分かりませんけれども、ウェスティングハウスは買収後も独立した企業のように振舞い、東芝もウェスティングハウスの経営には口をださなかったとも言われています。
……今日はここで力尽きました。さらに続きは次回へとさせていただきます。
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