排除と贔屓と傲慢

 
今日はこの話題です。

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総選挙で敗北した野党で動きが出ています。

選挙戦が進むにつれ失速していった、希望の党は大苦戦。それを象徴するのが、小池代表の側近である若狭勝氏の落選です。

若狭氏が立候補した東京10区は、小池代表の地盤であり、2016年10月の補欠選挙で若狭氏が継承した区です。それが自民党候補に大差で敗れ、比例復活もなし。

若狭氏は落選が確定した22日深夜、事務所で「小池氏の発言を含めて希望の党に向いていた『風』をどう感じるか」と問われ、「『排除』という言葉はそういう意味では若干強すぎる言葉だった。それを受け止めた有権者が希望の党ではなく立憲民主党にいったのは否めないと思う」と発言。

翌23日には、フジテレビの「とくダネ!」に出演し、「小池さんを支持していた方々が私のところに来て、『排除』発言は引いてしまうという方が少なからずいた。その辺りから私としても『風』がだいぶ違ってきていると実感した……選挙は結果がすべて。完敗だと認める。ただ、『風』というのがいかに要因となるかを実感する選挙だった」と愚痴っています。

希望の党は、小池代表が続投を表明しており、25日に両院議員懇談会を開き、態勢の立て直しを図るようです。けれども、党内からは、惨敗への小池氏の責任を問う声が多く、党が分裂する可能性も出てきています。

今回の小池代表の「排除」発言について、名古屋工業大学名誉教授の若山滋氏は次のように述べています
「小池ブームが起きたのも、都知事選に出馬した際、自民党から排除されたからであった……大きな組織を敵にまわし、一人で都議会のドンに立ち向かった姿は、百年戦争でフランスを勝利に導いたジャンヌ・ダルクのようなイメージであった(のちに異端とされ火刑に処される)が、今回の発言以来、政敵を次々と排除して権力を掌握した清朝末期の西太后のようなイメージに一転したのだ。

小池知事による民進党員の排除に反応した個室の大衆は、一転、対抗して立ち上げた立憲民主党の枝野代表支持に向かった。SNSのフォロワー数が急増し、枝野旋風が吹く。

政策的には、左寄りで共産党にも近く、現在の日本でそれほど大きな支持を得るとも思えないが、穏健なリベラル(本来自由主義だが、現在の日本ではやや左に寄った意味)を巻き込んだのは、政策への同意というより、安倍一強による排除にも希望の党の排除にも反発する情緒的共感によるのだろう。日本人は判官贔屓だ」
このように、日本人の判官贔屓気質が小池代表の「排除」発言に鋭く反応したというのですね。これはある程度当たっているかもしれません。

若山滋氏は、今回の選挙結果を「政治家の節操への審判であり、政治家の質そのものへの審判であった」と評していますけれども、確かに、当選しやすいからと民進党から希望の党に乗り換えた候補者には厳しい審判が下りました。

また、民進党もガタついています。辞意を示した前原代表に対し、辞任の時期を明らかにしていないと、早期の辞任を求める声が上がる可能性も取り沙汰されています。

民進党、希望の党と解体・再編の可能性が出てきました。

一方、勢いづいているのは、立憲民主党です。立憲民主党は24日、両院議員総会を開き、立憲民主党を軸として、野党の結集を図る方針を確認する見通しのようですけれども、枝野代表は、日本テレビの番組で、憲法九条改正を巡る論議について「したいと言う人がいるなら、そのこと自体は否定できない。その代わりに首相の解散権制約も俎上に載せてもらわないといけない……安倍氏が首相のうちにやりたいという話であれば問題になる」と条件闘争を始めています。

ただ、先の若山滋氏が指摘する日本人の判官贔屓気質が働くのであれば、この枝野代表の勝ち誇ったような態度は「調子に乗っている」とみられる可能性があります。

伸びたとはいえ、立憲民主の議席は50そこそこであり、自民はその五倍以上です。情緒的共感によって得た支持はその情緒が失われるとともに消えていきます。枝野代表の態度はその情緒を失わせる方向に働くようにも思えます。

共産党と親和性のある左寄りの政策は今の日本で大きな支持を受けることは難しい。なぜなら民主党政権で懲りているからです。

立憲民主が今後どのような野党再編を仕掛けるのか分かりませんけれども、その姿が民主党を重なった時、国民は冷徹な審判を下すと思いますね。
 
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