今日はこの話題です。


12月15日、安倍総理は東京・汐留の共同通信本社で地方紙の幹部らを前に講演しました。
その内容は総理官邸のサイトで公開されていますけれども、ソフトな語り口ながら皮肉交じりのかなり手厳しい批判をしています。
例えば、過去三回の総選挙の中で連立与党が今回一番得票率を得たことを余り報道しないとチクリとした上で、「今ファクトを申し上げているところでございます」と駄目を押している。これは裏を返せば、「フェイクニュースは許さない」ということですからね。やはり相当腹に据えかねるものがあるものと思われます。
2014年、朝日新聞社の新入社員の中で東大卒がゼロになったと報じられ話題になりましたけれども、安倍総理は若者にはチャレンジの場が必要だとして次のように述べています。以下引用します。
現状は、就職活動を行う若者たちにとって、近年にない売手市場となっています。この春、高校・大学を卒業した皆さんの就職率は過去最高水準であります。こうした中で、買手である企業にとって重要なのは、やっぱりわくわく感なんだろうと思います。安倍総理は「若い人の目線で自由に記事を書かせ、余り指導もしないと。思い切って記事を書かせていく。新しいチャレンジの場を与えるぐらいの斬新な編集方針を掲げるのも一案だ」と、従来のマスコミをステレオタイプだと、ばっさり斬っていますね。
この企業に就職すれば、きっと新しいことにチャレンジできるという、そういう感覚であります。昔ながらのステレオタイプの仕事しかないと思われたら、なかなか若い人たちは応募してこないんではないかと思います。
本日お集まりの皆さんの会社は、地域でも大変人気が高いですから、恐らくそういう心配はないだろうと思いますが、ただもし万一この皆さんの中で、最近学生が集まらなくて大変だという会社があるなら、それは恐らく政治や経済のニュースが、従来型のステレオタイプに陥っているからではないかと、こう思うわけであります。
私は別に皮肉で言っているのではなくて心配をしているわけでありますが。本日も後ろで、総理番の若い皆さんが取材していますが、来年は働き方改革が最大のテーマでありますが、若い記者たちが夜遅くまで夜回りをするという習慣はこの際捨ててしまう。彼らの真実を探求する意欲、そして若い人の目線で自由に記事を書かせ、余り指導もしないと。思い切って記事を書かせていく。新しいチャレンジの場を与えるぐらいの斬新な編集方針を掲げるのも一案ではないかと、こう思うわけであります。
もっとはっきり言えば、マスコミ界は「老害」に侵されていると言っているわけです。革新を旗頭にしていた筈のマスコミ自身が既得権益に雁字搦めの老害保守だと断じた訳です。
これに対して、マスコミがどう反応するのか。まともに反論してくるのか。ちょっと興味のあるところです。
また、安倍総理は、年代別の投票先を例に挙げ、次のような指摘もしています。
若者たちは上の世代に影響されることなく、自分たちの意見をしっかりと持っているということであります。SNSやユーチューブなど、インターネットがこれだけ発達した時代にあって、若い世代は自分で多様な情報を集め、自分で判断するということなんです。だからこそ今、年代別の意識の違いが注目を集めているのではないかと思います。安倍総理は、若者は上の世代に影響されない、と言っていますけれども、これは言い換えれば「老害」に侵されたマスコミの意見に影響されることはない、ということです。
マスコミはともすれば、ネットはアテにならないだとか嘘ばかりだとか言って、自分達の存在意義を守ろうとしていますけれども、既にそうした行動自体が若者に関しされ、検証されるということをどこまで自覚しているのか。
12月12日、TBS系の『教えてもらう前と後』という番組でキャスターの池上彰氏のある発言を巡ってネットを中心に炎上しました。
それは、安倍内閣に失言があると、決まって北朝鮮からミサイルがとんでくる、結果そちらの報道のほうが強くなり、失言などの印象は薄れるという発言で、安倍内閣と北朝鮮が何か通じているのではないかという陰謀論めいた含み有り気なコメントをしたのですね。
ある事件報道が行われた時に、それを上回る大な事件が報じられるとそちらの方に注意が向けられるのは、極普通のことです。そうでなくても、モリカケのように、北朝鮮問題よりも遥かに小さな、今となってはどうでもよい問題を針小棒大に取り上げて、北朝鮮問題を薄れさせようとしているのはマスコミ自身です。
自分達のことは棚にあげて、この言い分では、炎上するのも無理からぬことです。
今の若者は権威ではなく、事実と説得力で判断しています。それはたとえ、世間で人気があり評価されている人であっても変わりません。その都度、是々非々で判断しているのですね。
時代はどんどん変わっています。マスコミが自身の害毒を排除できないでいるのは勝手ですけれども、それは次の時代の人々に捨て去られることを意味することを自覚しないといけないと思いますね。
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戦時は便依兵