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「妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え」連載中!
2月16日、韓国外務省は康京和外相が15日に河野太郎外相と会談した際、慰安婦問題に関し天皇陛下の謝罪を求めた文喜相国会議長の発言について、河野氏が「抗議した」という日本側の発表を「事実でない。日本側の言及はなかった」と否定しました。
康外相は前日15日も、訪問先のミュンヘンで韓国記者団に対し、「そのような話はなかった」と断言。記者から「会談に同席した日本の外務省幹部の発言か」と問われても「そのようなことはなかった」と説明しています。
韓国が相手側と異なる発表をするのは、いつものことではありますけれども、そういう発表をするときは、大概自分に都合の悪い時と相場は決まっています。ただ、日本から抗議を受けたということ自体が「都合の悪いこと」に分類されるのだとすると、意見することさえできない独裁者か何かの立ち位置にいることになります。ちょっとついていけません。
けれども、今回の韓国政府の抗議否定発表は、国内向けの「火消し」ではないかと思います。
なぜなら、陛下謝罪要求発言に日本が抗議していることは、韓国で既に報じられているからです。
13日、韓国・KBSテレビは、日本の衆院予算委員会で安倍総理が韓国に不適切な発言の撤回と謝罪を要求した、と答弁したことや、河野外相が「韓国に5度抗議を行った。韓国には誠意ある対応を求める」と述べたこと、さらには菅官房長官も同様な発言をしていることを
伝え、「安倍政権は火力を全開にして韓国を砲撃している。その背後には、韓国という『外敵』によって内部の団結を図り、憲法改定の目的を達するという算段があるのだ」と報じています。
韓国国民に日本が抗議したことが広く知られてしまった後で、韓国政府が謝罪したとなれば、批判の矛先は文在寅政権に向かうことは火を見るより明らかです。
おそらく韓国政府はそれを回避する為に「抗議そのものをなかった事」にして火消しを図ろうとしているのだと思いますね。
けれどもそれは、単にあちら側の都合であって、日本には関係ありません。件の発言を撤回し、日本に謝罪しない限り、この問題は一ミリも解決しないのですね。
文喜相氏の件の発言について、韓国事情に詳しい文筆人・出版プロデューサーの但馬オサム氏は「さすがに厚顔の文喜相も、自分のしでかしたことの重大さに気づいているのではありませんか。その上で、発言を撤回することも謝罪することも拒否すると言ってます。韓国では"謝罪=相手の下位になる"ことを意味しますから、基本的にどんなことがあっても謝罪しません。これで分かったと思いますが、日本がこれまで韓国に安易に謝り続けてきたことが、彼をここまで増長させたのです……国家間の取り決めなどで、元慰安婦の恨み…もっと正確にいえば、民族の恨みは消えないと言っているに等しい。これは成熟した主権国家のとる態度ではありません。合意を受け入れた以上、元慰安婦を納得させるのは、韓国政府の仕事です。韓国では、国家よりも民族が上位の概念なのです」と指摘しています。
日本では、陛下に対し「戦争犯罪の主犯の息子ではないか」と発言したことが特に問題視されているのですけれども、文喜相氏の生の発言はそんなものではないとの指摘があります。
AJCN(Australia-Japan Community Network)代表の山岡鉄秀氏は、韓国語ができるスタッフに文議長の発言音声をそのまま訳して貰ったあと、韓国語のネイティブスピーカーにチェックをいれてもらったとして、その訳文を紹介しています。それは次のとおり。
一言でいいんです。日本を代表する首相とか…私は日本を代表する王(天皇陛下)がいいと思います。彼は間もなく退任するといいますし。彼は戦争犯罪の主犯の息子さんですし。だから、そんなおじさんが一度、(元慰安婦の)おばあさんの手を握って『本当にすまなかった』と言えば、その一言でちょうど解き放たれるのです。よりによって陛下を"おじさん"呼ばわりとは、不敬にも度が過ぎています。山岡氏によると、韓国社会では年長者や上位者には絶対に使ってはいけない表現で外国の元首に使用するなどあり得ないと述べています。
山岡氏は、韓国人を彼らが大好きな「被害者ポジション」に就かせてはならないとし、しがみつく「被害者席」から引きずり降ろさなければならないと述べています。
筆者も「韓国の被害者ポジション戦略に対抗せよ」のエントリーで、奇しくも山岡氏と同じく、韓国に被害者ポジションを取らせてはならないと述べました。
それにしても、何故、韓国はここまで日本を見下してくるのか。
これについて、こちらのブログでは、心理学において個人の個性は、「性格 character」、「人格 personality」、「気質 temperament」の3要素で構成されるモデルで記述されることを使って、韓国社会をこの心理学モデルで分析しています。
それによると、韓国のキャラクターは、権力者は悪の存在であり権力者に対峙する者は善の存在であると断定することで道徳的に優位に立って権力者を不合理に見下す「畜群 herd instinct」という本能に根差した「自己肯定」や「自尊」であるとしています。
次に韓国のパーソナリティは、大国に近接する小国の劣等感を起因とした妬み・憤慨の感情(ルサンチマン)が刺激されることで、不当な被害者意識を生み、それが反日教育を通じて「韓国は常に日本よりも高い倫理を持っている」と認識し、あらゆる局面でそれを確認したいのだ、と分析しています。
最後に、韓国の気質は、事大主義によって、強いものに対しては従い、弱い者に対しては見下す気質であると述べています。
そして、「韓国は常に日本よりも高い倫理を持っている」と認識する一方で、慰安婦財団の解散や日韓請求権協定に違反する徴用工判決、火器管制レーダー照射といった、倫理に悖る行為を自身が行うと、認知的不協和をおこし、それを解消しようと行動すると述べています。
認知的不協和については、過去のエントリーで取り上げたことがありますけれども、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語です。
このブログ主は、自身の認知を変更することが出来ない韓国は何かしらの新たな認知を加えて認知的不協和を解消しようとするのだとし、これが「ムービング・ゴールポスト」となって現れるのだ、と指摘しています。
成程、非常に納得できる分析です。
更に、このブログ主は同じ分析手法を用いて、日本社会の個性を分析。日本社会のキャラクターは「自己犠牲」であり、パーソナリティは反日教育によって植え付けられた「自虐史観」であり、それによって、東アジア諸国の主張を無批判に肯定するようになった、としています。
そして、日本社会の気質は議論を避けて安易な道を選択する「議論逃避」であり、それによって、社会が平和に運営できる反面、妥協しがちになると述べています。
ところが、ブログ主はこの日本の自己犠牲のキャラクターと自虐のパーソナリティと議論逃避の気質が、韓国の自己肯定のキャラクターと反日のパーソナリティと事大主義の気質を許容することになっているのだ、と鋭く指摘しています。
互いの個性が悪い方向にがっちりと噛み合ってしまっている、という訳です。何ともやりきれないですね。
ブログ主はこの対策として、国際法に基づいて論理的に事案を明示的に解決するべきであり、其の為には、韓国の異常なキャラクターとパーソナリティと気質を世界に知らせることが寛容で、韓国の理不尽なプロパガンダに対して、各国語で詳細に反論しなければならない、としています。
結論については、筆者がこれまで述べてきたものと同じであり、賛意を称しますけれども、逆に考えれば、これは、日本の個性に修正を掛けるチャンスでもあるとも言えます。
たとえば、パーソナリティなんかは、後天的に獲得される個性ですから、教育を変えることで、変更することが可能です。平たく言えば、反日教育を止め、真っ当な教育をすればよいということになります。
また、議論を避ける気質についても、韓国の異常なほどの対日批判と嘘にいちいち反論することで、多少は改善の余地があります。
まぁ、「自己犠牲」のキャラクターについては、中々直らないと思いますし、また無理に直すこともないかなとも思います。
なぜなら、日本の歴史、神話の時代にまで遡っても、日本には「自己犠牲」の物語で溢れているからです。
件のブログ主も、日本の自己犠牲の例として「日本武尊以降、仁徳天皇のかまど神話、楠木正成の湊川の戦い、鳥居元忠の伏見城の戦い」などを挙げ、自己犠牲は日本の美徳としています。
近年でも、昭和天皇が敗戦直後、マッカーサーと会見した際の「責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」という御言葉などもそれに当たるかと思いますね。
けれども、それ以外の2つについては、修正は可能ですし、修正することで、よりよい方向になるのではないかと思います。議論を避け続けて、最後の最後に堪忍袋の尾が切れて大爆発してしまっては、双方の被害が大きいですしね。
今回、安倍政権は「戦略的無視」とはいいつつも、韓国の嘘や主張には、都度反論しています。これによって「議論逃避」の気質が改善されるのであれば悪いことではないと思います。
韓国が自らを振り返り、自身の個性を直すのかどうかはあちらの勝手ですけれども、せめて日本は、「自虐」のキャラクタ―と「議論逃避」の気質に修正を掛けて、更に一歩前進していくことを望みたいところですね。
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