最適化されていく書体の未来

 
今日はこの話題です。

画像

 ブログランキングに参加しています。よろしければ応援クリックお願いします。
画像「妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え」連載中!


1.令和と書体

新元号「令和」ですけれども、令和の「令」の書き方が話題になっています。

「令」の字は、印刷物や手書きなどによって字形が変ります。

印刷物によく使われる明朝体は3画目が横棒、5画目が縦棒なのですけれども、手書きでよく使われる楷書体では、3画目、5画目ともに斜めの点のように書かれることが多いです。

新元号発表で、菅官房長官が掲げた「令和」の文字は、内閣府の「辞令専門職」で、書家の茂住修身氏が書かれたと報じられています。こちらは隷書のデザイン性を多分に取り入れた結果の書体ではないかとも指摘されています。

隷書とは約1900年前の後漢時代に使われていた字体です。隷書での「令」は3画目が横棒、5画目は縦棒になっているのですけれども、時代が下って、南北朝時代から隋時代への移行期には3画目が少し斜めになりました。

そして、唐時代に確立した楷書で、3、5画目が共に斜めの〈丶〉へと変化していきました。これは、手書きで書きやすいように書体が発展をしてきたからだとされています。

日本で書道が急速に発達したのは奈良時代です。これは聖徳太子や聖武天皇によって写経が盛行し、国家事業として写経所が設けられたことや、遣隋使や遣唐使により、中国文化が直接日本に入ってくるようになったのが大きく影響していると言われています。特に、唐は、中国書道の黄金時代とされ、日本でも東晋の王羲之や初唐の三大家を中心とした晋唐の書風が流行りました。
画像

手書きしやすいように最適化された楷書体に対し、印刷用に最適化されていった書体があります。それが「明朝体」です。

明朝体は木版印刷や活字による活版印刷における印刷用書体として成立しました。当初、木版印刷は、楷書で文字を彫っていたのですけれども、楷書は曲線が多く、彫るのに時間がかかるという欠点がありました。

唐代に勃興した印刷事業は宋代に最高潮に達したのですけれども、彫り易いよう直線を増やした書体として「宋朝体」と呼ばれる書体が生まれました。
画像

そして時代が下り、明代の木版印刷に「明朝体」が現れます。

明朝体は、太い縦線と、細い横線、そして横線につけられた「ウロコ」と呼ばれる三角形、そして毛筆楷書を水平垂直に構成し、点や曲線の形を定型化する特徴をもった書体です。

日本は、明代や清代に仏典や四書などを輸入したものを再版した頃から、一緒に明朝体も入っていたのですけれども、それが広まったのは、金属活字が導入された明治期になります。

1896年(明治2年)、日本に金属活字印刷を導入すべく、活字政策と活字印刷の習得に腐心していた長崎の元オランダ通詞の本木昌造は、印刷技師で上海の美華書館を中国一の印刷所に発展させた6代目館長ウィリアム・ギャンブルを招聘します。

本木昌造は、ウィリアム・ギャンブルから印刷の講習を受けるのですけれども、そのときギャンブルが持っていた明朝体を本文書体として使い続けました。明治10年ごろには活字を供給する体制が整い始め、明朝体は新聞等の印刷に常用されるようになりました。

書きやすさから最適化された楷書体。印刷し易さから最適化された明朝体。書体の違いには歴史と合理性があるのですね。
画像



2.弱視とロービジョン

それぞれの成り立ちから最適化していった書体ですけれども、書体の違いでも見え方が違う人がいます。いわゆる弱視とかロービジョンと言われる方です。

「弱視」とは、眼鏡やコンタクトレンズで矯正しても視力がでない目のことを言います。 裸眼視力が0.1以下であっても、眼鏡やコンタクトレンズで矯正して1.0以上の最大矯正視力がでれば「弱視」の定義には当てはまりません。

また、「ロービジョン(Low Vision)」とは、何らかの原因により視覚に障害を受け「見えにくい」「まぶしい」「見える範囲が 狭くて歩きにくい」など日常生活での不自由さをきたしている状態を指します。

次の図は弱視やロービジョンの見え方の例です。
画像

慶應義塾大学経済学部教授で、視覚障害、ロービジョンの障害をもつ人の支援に携わっている中野泰志教授は「弱視やロービジョンの子ども達の場合、どんな書体を用いるか、どのぐらいの文字サイズするかによってアクセスできたりできなかったりが決まってしまう特性を持っている」と述べています。

日本政府は弱視やロービジョンの子供達に対する教科書への配慮を行っています。

現在、日本の教科書には三つの種類があります。

一つは、いわゆる多くの人が教科書と呼んでいる「文部科学省検定済教科書」です。二つ目は、点字の教科書に代表される「文部科学省著作教科書」です。点字教科書は検定教科書とまったく同じではなく、その中から重要な部分を取り出して、文部科学省の著作教科書として製作されています。

そして最後は、学校教育法附則9条一般図書(第107条図書)に基づくもので、特別支援学校及び特別支援学級並びに中等教育学校の後期課程、高等学校において教科書として使用することができるように指定された市販の一般図書です。

点字教科書は視覚障害者の教育ではずっと使われてきたのですけれども、弱視やロービジョンといった、ある程度見えるが通常の視力や視野は持っていない子供でも、通常の文字を読むのが難しいなら点字を読むしかないという状況が続いていました。

そこで、1963年頃から、点字ではなく通常の文字を拡大することでアクセスできるようにできないかという取り組みが行われ、1963年に日本初の拡大教科書が作成されました。

弱視の子どもたちは軽度の全盲ではなく、全盲の人とは違うニーズを持っています。拡大しなくてはいけないというニーズもさることながら、単純に拡大するのではなく、拡大の効果があるような見え方もあれば、白黒を反転しないと見えにくいという見え方を持っているとか、視野が狭いときは探索が難しいという課題があるのだそうです。
画像

こうしたことから拡大教科書にもニーズが生まれ、通常の教科書を単純に拡大する、ストレッチアウトという単純拡大様式以外に、レイアウトを変更して新たに作り直すレイアウト拡大(リフォームド)と呼ばれる方法や、眩しさがある場合、白黒反転させるような配慮も行う必要が出てきました。

中野教授によると、現在の日本の拡大教科書は文字の大きさが18、22、26ポイントと3つのサイズあり、世界を見渡しても中々なく、 26ポイントでも足りないとか、白黒反転等の特別な配慮が必要な場合、ボランティアが製作した拡大教科書も、教科用特定図書として認定されるようになっているなど、世界一だと述べています。

そんな拡大教科書ですけれども、まだまだ課題が残されています。

中野教授が拡大教科書を使っている全国の約1500人の子供達たちの調査を行ったところ、拡大教科書の問題点として、重くて、厚くて、分冊が多くて困るということや、拡大教科書のコストが非常に高いために、教員に拡大教科書が配布されていないことや、補助教材やプリント類やテストは拡大されていないことが分かりました。

特にコストの壁は非常に高く、高校の盲学校では全国約70校で同じ教科書を使うため一定数の需要があることから、ある程度コストを抑えているものの、それでも1冊当たりの価格は3~4万円程度。ただ、盲学校の場合は公費の「就学奨励費」で賄うことができる為、保護者の負担はゼロで済みます。

けれども、一般の高校は違います。学校によって使う教科書はまちまちで1点当たりの需要は少なく、例えば需要を10冊として試算すると価格は1冊12万円を超えるのだそうです。
画像



3.デジタルと書体

こうした問題解決に、近年期待されているのがデジタルツールです。iPadとかタブレットの教科書への導入です。

タブレットであれば、好きな箇所を好きに拡大できますし、何より多くの教科書が一つで収まり、持ち運びが楽です。拡大教科書のようにランドセル一つに全部は入らないということがありません。

デジタルツールの登場で、拡大教科書の弱点も段々補えるようになる一方、弱視やロービジョンの子供達にとって、書体そのものにもハードルがあることが分かってきました。

現在、教科書で使われている書体は文部省の学習指導要領で提示されている「教科書体」と呼ばれている書体で、小学校の教科書で使われる筆書きの楷書体に近いものとなっています。

下の図は明朝体と教科書体の比較ですけれども、通常の明朝体と教科書体で比較すると、左の明朝体は、文字の懐・大きさが幅いっぱいに作られているのに対して、右の教科書体は余裕がある作りで、比較的に小さめに見えます。

また、「はね」や「押さえ」「とめ」なども、より筆記体に近いのは教科書体です。
画像

教科書体は、筆記体に近いため、漢字を覚えるには適しているとされています。けれども、視力が弱い人にとっては教科書体の線が細い部分が見えにくいとか、縦横の線の太さの違いや「はね」や「とめ」が刺激となってしまう。あるいは、発達障害の子どものなかには、教科書体の細いところ、太いところが、文字が躍っているように見えて読みにくくなってしまうということもあるようです。

そうした理由で、様々な障害のある子ども達にも読みやすい、新たなフォントの開発が必要になると指摘されています。

これらを受けて、近年注目を集めているデジタルフォントがあります。「UDデジタル教科書体」というフォントです。

この書体は株式会社「モリサワ」が10年に渡って開発し、提供している「デジタル教科書をはじめとしたICT教育の現場に効果的なユニバーサルデザイン書体」で、学習指導要領に準拠し、書き方の方向や点・ハライの形状を保ちながらも、太さの強弱を抑え、ロービジョン、ディスレクシア(読み書き障害)に配慮したデザインとなっています。

次の図はUDデジタル教科書体の例ですけれども、柔らかく温かみがあって、読みやすい書体に見えます。
画像

タイプデザイナーで「UDデジタル教科書体」を開発した株式会社「モリサワ」公共ビジネス推進課の高田裕美氏は、弱視やロービジョンの子供達や、彼らを支援する先生方の助けとなるような手の動きを重視した読みやすい書体をつくれないかという思いから開発を始めたと述べています。

高田氏は、「UDデジタル教科書体」について、訪問した支援者の方から聞いた話として次のようにツイートしています。
今日、訪問した支援者の方から「UDデジタル教科書体」に変えたら、今まで文字を読めなかった子が「これなら読める!オレはバカじゃなかったんだ……」と言って、皆で泣いてしまったという話を聞いた。

その話を聞いて、書体が手助け出来たことの嬉しさよりも、その子が今まで背負ってきた辛さ、…(続

自分をバカだと思ってしまうほどの切ない体験をどれだけしてきたのかと、今まで放置されてきた書体環境に胸が締め付けられ、タイプデザイナーとして申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

きっと書体を変えただけでなく、支援者の方が子どもに寄り添い、その子が読みやすい組版を提供したのだろう。

支援者の方が沢山の書体の中から「UDデジタル教科書体」を見つけ、うまく役立ててくれていたことに頭が下がる。
「障害は人がもっているのではなく、社会にある」ということを実感した話だった。その子が、これをきっかけにこれから一つ一つ自信を取り戻してくれたら嬉しいな。
前述の中野教授は「手話が公用語だったら、手話をしらない人は 障害者になる」と述べていますけれども、確かに「障害は人がもっているのではなく、社会にある」のかもしれません。今の環境を当たり前と思ってはいけないですね。

筆者も書体がこんなに奥深いものだとは知りませんでした。

「UDデジタル教科書体」は2017年に「Windows 10 Fall Creators Update」で標準採用されていますけれども、今後、デジタルツールに最適化された書体としてどんどん広まっていって欲しいものですね。
画像

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック