今日はこの話題です。
ブログランキングに参加しています。よろしければ応援クリックお願いします。
「妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え」連載中!
1.史上最大級の台風
10月12日に上陸した台風19号は大変でした。
亡くなられた方の御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
筆者は、水害こそ免れたものの、停電に遭ってしまい、難儀しました。電気がないというのは相当に厳しいですね。これが真夏や真冬だったらと思うとぞっとします。
台風19号による大雨は各地で年間降水量の3~4割にあたる雨がわずか一日、二日で降るという記録的なものでした。各地の48時間の雨量は、神奈川県箱根町で1001ミリ、静岡県伊豆市市山で760ミリ、埼玉県秩父市の浦山で687ミリ、東京 檜原村で649ミリと観測史上1位の記録を更新。
年間降水量の3~4割というと、一季節分が丸々振ったということです。
台風19号の大雨は物凄く、7都県で河川が氾濫しました。
12日夜からの長野・上田市付近の千曲川で氾濫。福島県の阿武隈川も郡山市などで氾濫しました。また、宮城・仙台市でも七北田川が氾濫。関東でも12日夜、田川が栃木・宇都宮市付近で氾濫し、多摩川も東京・世田谷区などで氾濫しました。
2.堤防がない箇所から氾濫した多摩川
多摩川の氾濫は、世田谷区の東急二子玉川駅付近なのですけれども、元々、堤防がない場所で、国土交通省関東地方整備局や世田谷区が土嚢を積んでいたのですけれども、隙間から川の水が溢れたようです。
周辺の住宅の1階部分や車が水につかるなど大変な被害が発生しています。
今時、一級河川で堤防がない所があるなど、ちょっと吃驚なのですけれども、この辺りは1907年に多摩川電気鉄道が開通してから行楽地として栄え、1911年頃には十数件の料亭がありました。
1918年には多摩川の改修工事が始まったのですけれども、この辺りは料亭の反対を受け、その後ろ側に堤防を作ることになります。料亭はそのまま残ることになったのですけれども、料亭業が衰退すると、ここの土地は売られ、民家に変わっていきました。
1973年にまた堤防を作る話が出たのですけれども、住民の反対を受け頓挫。再び2004年に堤防を作ろうとしたのですけれども、住民の中で、安全を求める賛成派と眺望・治安の悪化を嫌がる反対派で対立。計画高水位までの暫定堤防の築堤までは合意したものの、実際の工事は反対派の妨害活動もあって、一部しか完成していませんでした。
つまり、今回の多摩川の氾濫は起きて当然の場所で起こった訳です。
本当は、料亭が立ち退くタイミングで、行政が買い取るなりして、堤防を作っておくべきだったと思うのですけれども、元々、最初の堤防を造るとき、そこにあった料亭は、洪水が起こったら立ち退くことを条件に残ることを許されたという経緯があります。
けれども、料亭が土地を売買する時に、そうした情報が引き継がれることなく宅地にしたことが問題なのだと思います。もっとも、洪水に成り易い土地だなんていったら、買い手なんて誰も付かないでしょうから、料亭にしてみれば、聞かれない限りは言わないなんてこともあったのかもしれません。
それでも、1973年、2004年の新堤防を造る計画は次善の策だったと思いますけれども、住民側の反対で流れてしまったのは残念だと思います。
今回の冠水で、二子玉川付近の住民の間で、この堤防の話がクローズアップされるのではないかと思いますね。
3.有事は天災だけとは限らない
日本列島に大きな爪痕を残した台風19号ですけれども、筆者にはどことなく、政府に対しても、国民に対しても、有事の練習というか、有事の備えをしておくように促す面もあったのかなという気もしています。
今回、台風19号については、上陸前から、気象庁は「観測史上最大級」だとか「今まで見たこともないような」といった表現を使って、十分な警戒と準備を呼び掛けていました。
筆者も、食料品を買い込んでおこうかと前日にスーパーに飛び込んでみましたけれども、棚の多くがスッカラカンになっていました。まぁあれほど呼び掛けたのですから当たり前といえば当たり前かもしれませんけれども、有事となったら、何日続くか分かりませんからね。
たとえ、洪水にはならないにしても、発電所への爆破テロや、主要幹線を封鎖するなどで、ライフラインが止まる事態は十分に考えられます。
政府は、先般の台風15号を教訓にしたのか、防衛省は自衛官17000人の即応体制を取りましたし、東京電力も台風15号の時の2300人の7倍超の規模である17300人態勢を取りました。
また、JRなどの各種交通機関や店舗も計画運休や休業を決めるなど、事前から相当備えていました。結果は、被害を完全に食い止めることはできず、各所で停電も発生しましたけれども、そうした準備がなければ、迅速な救助活動も素早い電力復旧もないわけで、有事はそうしたものなのだ、という認識を国民に与える切っ掛けになったのではないかと思います。
特に、安全より景観をとった結果、何十年かに一度の災害で被害を受ける。それを自業自得だというのは簡単ですけれども、前々から危険だと分かっている事について、国民自身ももっと敏感なってもよいのではないかと思いますね。
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント