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「妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え」連載中!
1.即位礼正殿の儀
10月22日、天皇陛下「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿の儀」が皇居・宮殿で執り行われました。
陛下は改めて古式装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包み、玉座である「高御座(たかみくら)」で即位を宣明されました。
令和の即位礼は、平成と異なり、両陛下お出ましの経路が本来の形に戻されました。平成のときは、参列者が直接お姿を拝見できるように、天皇皇后は中庭側廊下を通って松の間に入室されたのですけれども、今回は松の間の側扉から入室され、高御座と御帳台にお上りになりました。
これは、帳が開いたときに初めて天皇皇后のお姿が現われるというのが、本来の形であり、京都で行なわれた昭和天皇のときの形に戻したということです。
両陛下がオープンカーで皇居・宮殿から赤坂御所までをパレードする「祝賀御列の儀」は台風19号の甚大な被害を考慮し延期となりましたけれども、逆にそれが即位礼正殿の儀を際立たせたようにも思えました。
即位礼正殿の儀には170を超える国や機関の首脳ら約400人が参列。国内各界から著名人1600人が参列しました。
凄かったのは、朝から雨模様だった皇居周辺が即位礼正殿の儀の始まる直前に晴れ、しかも低空に虹がかかったことです。更に、儀式終了後再び曇り、雨となりました。この即位礼に合わせて演出したかのような天の振舞いにネットでも「神話は現代も続いてる」とか「何だ、この奇跡の連続は」とか「天の祝福を感じた」など大騒ぎです。
こんなのを生で体験しまったら、古事記や日本書記の記載も、実際にあった出来事に、背ビレや尾ビレがついて、神話化されていったのではないかとさえ思えてきます。
2.陛下の御覚悟
平成から令和。令和はどんな時代になるのか。
麗澤大の八木秀次教授は、5月1日に陛下が即位後朝見の儀で述べられた言葉に極めて重い意味があると指摘しています。それは次の御言葉です。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。八木教授は、このお言葉が極めてあっさりとした表現であるがゆえに、陛下の御覚悟が窺えると述べています。
これについて、八木教授は、2017年2月、当時皇太子であられた陛下の57歳の誕生日に際した会見の御言葉を取り上げています。
会見で陛下は次のように述べられました。一部抜粋します。
私も、阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には、雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ、被災された方々から直接、大切な人を失った悲しみや生活面でのご苦労などについて伺いました。とても心の痛むことでしたが、少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。八木教授は、「こうした先人」とは、名前を挙げられた歴代の天皇を指し、それは即位後朝見の儀での「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」と同じ内容と考えてよいとし、陛下は、名前を挙げられた歴代の天皇と同じように、自らを「民の父母」と位置づけることを覚悟されたのだと述べています。
また、普段の公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております。
このような考えは、都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。
昨年の8月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の16世紀中頃のことですが、洪水など天候不順による飢饉や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。
紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にもいくつか残っていますが、そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。
災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇をはじめ、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。
私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。
3.令和時代の幕開け
陛下が御紹介された、第105代後奈良天皇(在位:1526-1557)といえば、戦国時代の真っ只中、大変な動乱の時代に在位された天皇です。
こちらのブログでは、後奈良天皇時代の朝廷目線の年表を記していますけれども、即位10年目にしてやっと即位式を終えることができたなど、確かに大変な時代です。
さぞ気の休まる時がなかったでしょうね。
八木教授が言うように、陛下が後奈良天皇を始め歴代天皇を例に出し、「民の父母」となる覚悟をされたならば、私達も陛下を深く敬愛するとともに、令和の時代を陛下と共に生きるのだという気持を持たなくてはならないと思います。
その意味では、即位礼正殿の儀は、筆者には即位を内外に示す芽出度い儀典であると同時に、時代の変わり目を迎え、気持ちの引き締まる思いがしました。
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