

1.タリバンの勝利宣言
8月15日、アフガニスタンの旧支配勢力タリバンは首都カブールを制圧し、勝利宣言をしました。
タリバン政治部門トップのバラダル師は、首都カブールを制圧したことに関連してビデオ声明を発表し、「主要都市が1週間で陥落した予想外に迅速で比類のない勝利だ……人々の期待に応え、課題に取り組む」と述べました。
また、同じくタリバンのムハンマド・ナイーム報道担当者もカタールの衛星放送局アルジャジーラに対して「戦争は終結した……私たちは、追い求めてきた国家の自由と人々の独立を手に入れた……私たちは誰かを傷つけることを望んでいない。誰かを標的にするために私たちの国土を使わせることは許さない……外国勢力もアフガニスタンで同じ過ちを繰り返すことはしないと考えている」と政府軍との戦闘終結と、アフガン政府要人の安全を保障し、対話していく用意があると説明しました。
これについてアフガニスタン政権のガニ大統領はフェイスブックで「流血の事態を避けるために国を出た。タリバンが勝利した」と表明。ガニ政権が崩壊したことを認めました。
ガニ氏の脱出が報じられた後、「略奪を防ぐ」との名目でタリバンの戦闘員がカブールの市街地に入城。タリバン幹部によると、タリバンの軍事委員会のメンバーが大統領府に入ったとのことで、市街地では大きな戦闘は起きていないようです。
もっとも、タリバンのカブール進攻を受け、駐在するアメリカの外交官はヘリコプターで大使館を脱出し、空港に向かって退避を開始。既に、全てのアメリカ大使館員の退避が完了した模様です。
更に、ドイツやカナダなどアメリカ以外の各国でも、大使館の一時的な閉鎖や職員らを退避させる動きが相次ぎました。フランスは退避を支援するため大使館を空港に移転する一方、タリバンと良好な関係にあるロシアは、タリバンが安全を保障しているとして、職員の退避は考えていないとしています。
また、アフガニスタン住民の中にも国外への退避を図る人が大挙してカブールの空港に殺到しているようです。
2.アフガニスタン情勢の変化
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、アメリカはアフガニスタンに介入してきました。その情勢の推移はざっと次の通りです。
2001年10月: 9月11日の米同時多発テロを受け、ブッシュ米政権主導によるアフガニスタン空爆開始これをみると、アメリカ軍がアフガニスタンから撤退するや否や、タリバンが進攻を開始したことが分かります。
2009年2月: アメリカはさらに兵士1万7000人の増派を決定。NATO加盟国もアフガニスタンへの増派などを約束
2009年12月: バラク・オバマ米大統領(当時)は、アフガニスタン駐留軍を3万人増員し、計10万人に拡大すると決定。一方で、2011年までに撤退を開始すると表明
2014年10月: アメリカとイギリスが、アフガニスタンでの戦闘作戦を終了
2015年3月: オバマ大統領が、駐留軍の撤退延期を発表。アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領の要請を受けたもの
2015年10月: オバマ大統領が、2016年末までは兵士9800人をアフガニスタンに残すと述べた。これ以前は、1000人を残し全軍を撤退させると約束していた
2016年7月: オバマ大統領は「安全保障上の不安定な状態」を理由に、2017年には米兵8400人が駐留すると発表。NATOも駐留を継続することに合意したほか、2020年までアフガニスタン政府軍への資金援助を続けると強調した
2017年8月: ドナルド・トランプ大統領(当時)が、タリバンの勢力拡大を受けた増派表明
2019年9月: アメリカとタリバンの和平交渉が決裂
2020年2月: 数カ月におよぶ交渉の末、アメリカとタリバンがドーハで合意に至る。アメリカは駐留軍撤退を約束
2021年4月: ジョー・バイデン大統領、9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると表明
5月: 米軍とNATO各国軍の撤退開始
5月: タリバン、南部ヘルマンド州でアフガニスタン軍へ大攻勢開始
6月: タリバン、伝統的な地盤の南部ではなく、北部で攻撃開始
7月2日: カブール北郊にあるバグラム空軍基地から、米軍やNATO加盟各国軍の駐留部隊の撤収完了
7月21日: タリバンが半数の州を制圧と米軍幹部
8月6日: 南部ザランジの州都をタリバン制圧。タリバンが新たに州都を奪還するのは1年ぶり
8月13日: 第2の都市カンダハールを含め4州都がタリバン支配下に
8月14日: タリバン、北部の要衝マザーリシャリーフを制圧
8月15日: タリバン、東部の要衝ジャララバードを無抵抗で制圧。首都カブール掌握
3.弱かったアフガニスタン政府軍
アフガニスタンの政府軍は陸軍、空軍、警察部隊合わせて公称30万人。アメリカなどはアフガニスタンの治安部隊に計880億ドル(約9兆6000億円)をも費やし、政府軍は資金や武器は、タリバンよりも豊富でした。
ところが、タリバンは次々と主要都市を陥落させ、数では圧倒していた筈の政府軍が易々と敗北しました。
これについてイギリスのBBCは、政府陸軍と警察は長年、高い死亡率や脱走率、横行する汚職などの問題を抱え、「幽霊兵」と呼ばれる、名前だけ水増しされ実在しない兵士の給与を横領する司令官などもいたと報じています。
実際、アメリカのアフガニスタン戦略を監視する「アフガニスタン復興特別監察官(SIGAR)」によるアメリカ連邦議会への最新報告は、「はびこる腐敗の悪影響を深刻に懸念」し、「実際の兵力のデータは正確性が疑わしい」と指摘していました。また、イギリスの王立防衛安全保障研究所(RUSI)のジャック・ワトリング博士は、当のアフガニスタン陸軍でさえ、実際の兵が何人いるのか正確に把握していたことはないと話しています。
BBCは、それに加え、兵士たちはしばしば、部族的にも家族的にも何のつながりもない地域へ派遣され、士気が維持できなかった可能性も指摘しています。
では、陸軍や警察がダメなら空軍ならどうかというと、こちらも空軍が擁する221機の整備と乗務員の維持に常に苦労していました。更に、タリバンは意図的にパイロットを標的に攻撃していたそうで、実際に有効な戦力としてどこまで運用できたか疑問が残ります。
こうしたことから、今週になって、アメリカ情報機関は、タリバンが数週間の内に首都カブール攻撃を開始し、政府が3ヶ月以内に倒れるかもしれないという分析をしていたのですけれども、現実は3ヶ月どころか1週間やそこらでで倒れた訳です。

4.タリバンは裏取引していた
それ以外にも、タリバンは、アフガニスタン政府軍と裏取引していたという情報もあります。
アフガニスタン政府高官とアメリカ政府高官によると、昨年初め、地方の村々でタリバンとアフガニスタン政府の下級官僚らが「停戦合意」の名の下に、タリバン上層部がアフガン軍の兵士らにカネを渡して彼らの武器を没収するという取引が行われていたそうです。
この"停戦合意"取引は、その後1年半かけて、地方から州都へ向かって急速に拡大。アフガニスタン軍は次々と降伏していったのだそうです。
先述したとおり、アメリカ政府とタリバンは2020年2月にドーハにて停戦合意を締結。アメリカは、タリバンの合意履行を条件にアメリカ軍の撤退を約束しました。
この合意を受け、アフガニスタン軍の一部には、タリバンとの戦いでもはやアメリカ軍に頼れなくなる日は近いとの認識が広がりました。タリバンはそうした不安につけ込んで調略していったという訳です。
アフガニスタン特殊部隊のある隊員は、タリバンとの取引に乗ったアフガン兵士らについて「カネがほしかっただけの者も一部いる」としたうえで、その他の者たちの動機は、アメリカ軍撤退によりタリバンの復権を「確信」し、どうせなら勝つ側につきたいと判断したからだと指摘しています。
アフガニスタン事情に詳しい元イギリス軍将校マイク・マーティン氏はBBC放送に、アフガニスタン政府当局者は生き残るため敵方に寝返る戦乱の歴史を繰り返してきたと指摘。
アフガニスタンでは、伝統的に宗教指導者や地域の長老が力を持っているのですけれども、タリバンは戦闘停止を持ちかけて彼らを懐柔していきました。実際、陥落した西部の主要都市ヘラートでは、州知事をはじめ高官がタリバン側に寝返ったとまで報じられています。

5.タリバンは孤立より承認を求めている
タリバンは1996年から2001年にかけて「アフガニスタン・イスラム首長国」としてアフガニスタンを5年間統治したことがあります。当時、タリバンは、イスラム法の厳格な解釈に基づいた政治を行い、女性は男性の同伴者がいなければ外出できず、公共の場では頭から足まですっぽりと体を覆うことが求められるなど、女性に対して大きな制約を課すなどしていました。
統治期間中、タリバンとその同盟国はアフガニスタンの民間人に対して虐殺を行い、16万人の飢えた民間人に対する国連の食糧供給を拒否。広範囲の肥沃な土地を焼き、何万もの家屋を破壊する焦土作戦を行っています。
また、2001年3月にアフガニスタン中央部のバーミヤン渓谷にあった古代の巨大石仏2体をタリバンが破壊したことを覚えている方も多いかと思います。
CNNによると、タリバンは国内の複数の女性ジャーナリストを脅迫するなどしていると報じています。
そんな中、8月16日、タリバンのシャヒーン報道官は、ツイッターに声明を出し「住宅に許可なく侵入してはならないと改めて指示した。人々の生命や財産、名誉は侵害されることはなく、タリバンの戦闘員によって守られる」と強調しました。
これは、タリバンが、かつてのように、イスラム教を厳しく解釈した政権運営を進め、女性や少数派の人権を侵害するのではないかという国際社会が懸念しているのを払拭する狙いがあるのではないかと見られています。
これについて、東京大学公共政策大学院の鈴木一人教授は「タリバンは大人になったかのように振る舞っている。戦闘員に暴力や略奪を禁じて市民や国際社会の反発を招かないようにするなど、国内外から承認を得ようとしている。外交や政治的交渉を通じて現実と折り合いをつけつつ、イスラム主義国家を作ろうという意思が強くうかがわれる……極端なイスラム主義に軸足を置きつつ、現実的な戦略を身につけた彼らは、国際社会からの孤立より承認を求めている」と述べています。
6.タリバン統治下の人々
では、タリバンの過去のアフガニスタン統治がそれほど酷かったのかというと、そうでもなかったという意見もあります。
アフガニスタンで長年、支援活動を長年続け、2019年12月に凶弾に斃れた中村哲氏は、2001年当時、タリバンについて次のように述べています。
日本の報道で一番伝わってこないのが、アフガンの人々の実情です。北部同盟の動きばかりが報道されて、西側が嫌うタリバン政権下の市民の状況が正確に伝わらない。日本メディアは欧米メディアに頼りすぎているのではないか。このように故・中村哲氏のコメントは、マスコミ等で流されているものとは大分違います。
【中略】
タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。
例えば、女性が学校に行けないという点。女性に学問はいらない、という考えが基調ではあるものの、日本も少し前までそうだったのと同じです。ただ、女性の患者を診るために、女医や助産婦は必要。カブールにいる我々の47人のスタッフのうち女性は12~13人います。当然、彼女たちは学校教育を受けています。
タリバンは当初過激なお触れを出しましたが、今は少しずつ緩くなっている状態です。例えば、女性が通っている「隠れ学校」。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している。これも日本では全く知られていない。
我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです。我々のカバー領域はアフガン東部で、福岡県より少し広いくらい。この範囲で1000本の井戸があれば40万人程度は生活ができると思います。
【中略】
カブール市の人口は約100万~150万人。平均して3~4割は慢性の栄養失調で、放っておくと死にそうなのが1割くらい。だからこの1割、15万人が緊急食料援助の対象です。
カブールは標高1500~1600mで、11月下旬~2月が冬。雪に閉ざされるので冬ごもりします。食料を蓄える見通しがなければ、当然、難民化して動かざるを得ない。これから3~4カ月を無事に過ごせる状態にすれば、移動すらできない貧しい人も助かります。
米国の食料投下は全く役立っていない。日本時間の10月12日夜に聞いた話によると、現地の人は気味悪がって食べずに、集めて焼いたそうです。タリバンが焼いた場合も、民衆が自発的にやった場合もある。例えば干し肉が入っていたら、豚肉の可能性もあるので、イスラム教徒は食べられない。
本当は小麦を送るのが一番いいんです。今行われていることを総じて言うと、イスラム社会の都合や考えを無視して、西欧社会の都合が優先されている。ものすごい運賃をかけて物を送ったり、自衛隊を出すかどうかで大騒ぎして、結局役に立っていない。
【後略】
アフガニスタンの大地に緑を齎した中村哲氏はアフガンの人々に愛され、尊敬されていました。そして、今年2月には、アフガニスタン捜査当局がイスラム武装勢力「パキスタン・タリバーン運動(TTP)」の地方幹部でパキスタン人の男を主犯格と特定したと報じられています。
果たしてタリバンはアフガニスタンに平和と安定をもたらすのか、それとも時計の針を元に戻すだけなのか。
日本も含め西側諸国は、タリバンが統治するアフガニスタンを国家承認するとは思えませんけれども、彼らが、本当に、国際社会からの孤立より承認を求めているのであれば、それ相応の行動をしなければなりません。
しばらく様子を見ていきたいと思います。
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