メッキが剝がれるタリバンとパンジシール

今日はこの話題です。
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1.メッキが剝がれるタリバン


アフガニスタンを制圧したタリバン統治の実態が徐々に明らかになってきました。

8月13日、タリバン指導部は声明で、支配地の拡大は「我々に対する支持があってこそだ……心配する必要はない」と住民に呼びかけ、制圧した都市では住民財産の保護や生活の維持に気を配るよう、戦闘員に指示したことを明らかにしました。

そして17日には、タリバン幹部が支配下に置いた国営テレビに登場し、「我々は女性を犠牲者にはしたくない」と語り、「イスラム法の範囲内で」という条件を付けた上で、「女性は統治機構に参画すべきだ」と述べ、女性を公職から排除しない考えを示しました。

ところが、タリバンが10日に制圧した北部プレフムリでは、タリバン戦闘員は主婦の自宅に押しかけ、「50人分の食事を作れ」と要求され、肉や野菜、ヨーグルトなどを大量に提供させられたそうです。

その他にもタリバンが民家や学校などに放火しているとか、降伏した政府軍兵士の処刑も確認されたとか、暴虐無人ぶりが伝えられています。

一応、タリバンはアメリカと和平合意を交わした昨年2月以降、住民の取り扱いに注意するよう、指導部が戦闘員に指示してきたそうなのですけれども、まだまだ浸透していないようです。




2.アムルッラー・サーレハ


8月17日、アフガニスタンの第1副大統領として政権を支えていたアムルッラー・サーレハ第1副大統領は、ツイッターで「大統領が不在になった場合は、憲法上、第1副大統領が暫定大統領となる」と宣言しました。

サーレハ氏はタリバンが権力を掌握した後も「何があってもタリバンには服従しない」と徹底抗戦する考えを示しています。

サーレハ氏はアフガニスタン全土のうち、唯一、タリバンによって制圧されていない北東部パンジシール州に身を潜めていると見られています。

パンジシール州の住民によると、19日までにタリバンの猛攻を受けた、政府軍兵士ら数千人がパンジシール州に逃げてきたそうです。

パンジシールとはサンスクリット語やペルシャ語で「5頭の獅子」を意味する言葉で、州の中心地には、天然の要害であるパンジシール渓谷を要し、旧ソ連軍にもタリバンにも制圧されなかった唯一の地域として知られています。

既に、政府軍はパンジシールから打って出て、隣接するパルヴァーンの州都チャーリーカールを奪還したなどという噂もあります。

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3.パンジシールの獅子


8月18日、アフガニスタン政府の元国防相アフマド・シャー・マスード将軍の息子のアフマド・マスード氏が、アメリカのワシントン・ポスト紙に、「タリバンに対するムジャヒディンの抵抗が始まった。しかし、私たちは助けが必要だ」と題する文を寄稿しました。

その中でマスード氏は「私の父は、タリバン政権に対抗して戦うことを絶対に忘れなかった……2001年、タリバンとアルカイダによって暗殺されるまで、父はアフガンと西側の運命のために戦った……私は今、パンジシール渓谷で父の足跡を追う準備ができている……ムジャヒディンの戦士らと共に、タリバンと再び戦う準備をしている……私達は、父の時代から集めてきた弾薬と武器がある。私達はこの日が来るかもしれないと分かっていた……私達には司令官の降伏に嫌気がさしたアフガン正規軍もいて、元特殊部隊メンバーも加わった」と宣言しながらも、「しかし、この程度では不十分だ……私達の軍事力と軍需品では十分ではなく、西の友人が私たちに供給する方法を見つけることができないなら、すぐに枯渇するだろう……アメリカと同盟国は戦場から去ったが、アメリカは依然として『民主主義の偉大な武器庫』になることができる」と強調した上で「タリバンは単にアフガンの問題にとどまらない……タリバンの治下でアフガンは急進的なイスラムテロ主義の本山になるだろう」と語りました。

マスード氏は寄稿文の中で父であるアフマド・シャー・マスード将軍の名を出していますけれども、マスード将軍は「パンジシールの獅子」と称えられたアフガニスタンの英雄です。

1979年、旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻後は反ソ連軍ゲリラの司令官となり、旧連軍の大規模攻撃をも撃退し、「パンジシールの獅子」と呼ばました。1988年7月、マスード将軍は旧ソ連軍捕虜を自発的に解放し、ソ連軍の撤退を妨害しないことを約束するなどもしています。

その後1992年に誕生したラッバーニー政権で、国防相、政府軍司令官を務めましたけれども、ラッバーニー政権崩壊後、タリバンが勢力を拡大すると、タリバンに対抗する勢力が結集した北部同盟の副大統領・軍総司令官・国防相となりました。

マスード将軍はその人柄と軍事的才能から北部同盟の兵士達には強い信頼を得ていて、アフガニスタンでの戦乱を平和的な会話によって解決し、民主的な政権が誕生することを望んでいました。

かつてマスード司令官に密着取材した写真家の長倉洋海氏は「タリバンから直接投降を求める電話が来たときもマスード司令官は拒絶し、『選挙で国民の声を聴くことが第一だ』と反論していた」と述懐しています。

また、マスード司令官は、1996年のタリバンによる首都カブール包囲の際も、これ以上首都や民衆に被害を及ぼす訳にはいかないとして撤退しています。

このように人望厚いマスード将軍も、2001年9月9日、ジャーナリストを装った男たちの自爆テロで暗殺されることになります。一説には、タリバンと連携したアルカーイダが殺害に関与したともいわれています。

今回、その息子のアフマド・マスード氏が、タリバンに対する徹底抗戦を宣言し、パンジシール渓谷に立て籠もった訳です。

アフガニスタン憲法下で暫定大統領となるサーレハ氏と「パンジシールの獅子」の息子が手を取り合って、旧ソ連もタリバンも退けた「バンジシール」に立て籠もった。彼ら自身の大義名分を掲げたということです。

また、バンジシールにはCIAの通信傍受拠点があるともされていますから、既に、内々でアメリカと連絡を取り合っている可能性もあります。

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4.パンジシールを思い出せ、魂にも脂肪はつくものだ


一方、国外脱出したガニ元大統領は、アラブ首長国連邦(UAE)に逃れたことが明らかになりました。

8月18日、アラブ首長国連邦(UAE)外務省は、人道的見地から、ガニ氏と家族を歓迎したと明らかにしました。この日、ガニ氏はフェイスブックでライブストリームされたビデオ演説で、アフガニスタンから逃げたわけではなく、「大災害」を防ぐために出国したと主張しました。

ガニ氏は「いま私は、流血と混乱を止めるために首長国にいる……目下、アフガニスタン帰国に向けて話し合いをしている……急速に物事が進展した。タリバンと開かれた政府について協議したいと思っていた」と述べ、国外脱出について「靴も履けない状況の中」、警備チームによって避難させられたと説明しました。

ガニ氏の逃亡について、ロシア通信は16日、ロシア外交官の話として、国外逃亡時、ガニ氏は4台の車に現金を大量に積み込んで空港に逃れ、ヘリに現金を積み替えた。全ては入りきらず、一部は滑走路に残したまま飛び立ったと報じています。

ガニ氏は「まったく根拠がない」「嘘だ」と否定していますけれども、国民が一番大変なときにさっさと逃げ出してしまった事実は消えません。

ガニ氏は「流血と混乱を止めるために首長国にいる」と述べていますけれども、サーレハ氏が臨時大統領を宣言して、「パンジシールの獅子」の息子と「バンジシール」に立て籠もる状況で、遠く離れたUAEから、どうやって"流血と混乱を止める"積りなのでしょう。

当然ながら国内からは批難の嵐です。

ツイッターでは「卑怯者」と詰る投稿が相次いでいるそうです。これは政治家も同じで、2014年と2019年の大統領選でガニ氏と争ったアブドラ国家和解高等評議会議長は「国民をこんな状況に置き去りにして国外に逃れた。神が彼の責任を問い、国民も審判するだろう」と述べています。

また、アメリカのバイデン大統領も演説で、アフガニスタン政府が逃げたとして批判し、国務省のウェンディ・シャーマン副長官も「もはやアフガニスタンの主要人物ではない」と斬って捨てています。

ただ、国務省は、権力の正式な移譲がなされていないとして、表向き「ガニ大統領」と呼び続けています。

アメリカが権力の正式な移譲がされない限り、タリバンのアフガニスタンを国家承認しないというのを見越してかどうかは分かりませんけれども、いち早く、暫定大統領を宣言したサーレハ氏の言動は絶妙だったと言えます。

国家存亡の危機に逃げ出したガニ氏と祖国の英雄の息子と手を握って徹底抗戦を訴えるサーレハ氏。アフガニスタン国民にとって、その姿はまるで「魂に脂肪を付けた者」と「魂を削る者」という見事なコントラストを描いて映っているのではないかと思います。

もし、タリバンが配下の非道な行いをいつまでも抑えられないようであれば、人心はサーレハ氏側に向かっていくのではないかと思いますね。

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