

1.カブール空港爆弾テロ
8月26日、アフガニスタンのカブール空港で爆弾テロが発生しました。
アメリカのFOXニュースによると、アフガン人の死者は60人以上、負傷者は数百人に上るとしています。
現場は、カブール空港にある3つのゲートのうち、滑走路南東の通称「アビー・ゲート」の外側と、そこから約200メートル離れたバロン・ホテル付近の2ヶ所です。
ゲート前では徒歩で近づいた実行犯が自爆したほか、ホテル付近の自爆テロでは爆弾を積んだ自動車が使われたとされ、爆弾テロの直後、武装勢力の戦闘員とアメリカ兵との間で銃撃戦も起きたようです。
また、バロン・ホテルは外国人の利用が多いとされ、アメリカ軍は19日にヘリコプターを使ってこのホテルから169人のアメリカを空港に移動させていました。
アメリカのマッケンジー中央軍司令官は海兵隊員ら少なくとも12人(11人の海兵隊員と1人の海軍衛生兵)が死亡し、15人が負傷したと発表し、実行犯についてはアフガン国内で活動するイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」系の武装勢力、「ISホラサン」であるとの見方を明らかにしました。

2.犯行声明を出したイスラム国
ロイター通信によると26日、ISは公式メディアを通じて犯行声明を出し「タリバン戦闘員を含む約60人を殺害、100人超を負傷させた……アメリカ兵や彼らに協力した通訳やスパイどもの集団に、爆弾を仕掛けた車を突入させた。アメリカ兵20人を含む160人以上が死傷した。我々は今後も戦いを続ける」と主張しました。
この爆弾テロについて、タリバンは声明を出し「人々の安全に注意を払ってきた」と強調し、爆発事件を非難しています。
ただ、実行したとみられるIS系列の「イスラム国ホラサン州」は、タリバンとは表面上は敵対しているものの、一部の専門家は「アメリカを標的とした攻撃であれば、タリバンは妨害しない可能性」があると警告しています。一方、完全撤収したいアメリカと、空港を掌握したいタリバンは、お互い共通したゴールを持っていて、限定的とはいえ、ある程度連携しているともいわれています。
現在、カブール空港は31日の撤退期限に向け、多くの人が依然と空港周辺に殺到し、現場の混乱は頂点に達しています。
アメリカのマッケンジー司令官は、IS系武装勢力がロケット弾や自爆用車両による「さらなる攻撃を仕掛けてくる極めて可能性が高い」と述べ、次なる爆弾テロの阻止に向け警戒態勢を強化していくと表明し、テロを実行した勢力に「対抗措置をとる」と報復攻撃を行うことを示唆する一方、アメリカ民間人とアフガン人協力者の国外退避については「このような攻撃を受けたとしても継続させる」と、期限である8月31日までに民間人らの退避と駐留米軍の撤収を進める方針に変更はないと強調しました。
また、イギリスのジョンソン首相は「我々の進捗を妨げることはない」として退避活動を続ける考えを強調し、ドイツのメルケル首相も、退避への支援を続けると表明。フランスのマクロン大統領も「アメリカと協調する」などと述べています。
3.ワッハービー
タリバンは、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を切っ掛けに生まれました。
ソ連に侵略されたアフガニスタンを助ける、という「反ソ・ジハード」の旗印の下、アラブを中心にイスラム社会全体から義勇兵がアフガニスタンに集まりました。
タリバンは、1990年代に軍閥同士の衝突で混迷を深めていたアフガニスタンに秩序や平和をもたらそうとしてムッラー・ムハンマド・オマルを中心に成立しました。
タリバンは、パキスタンのアフガン難民キャンプで育ち、パキスタンのスンニ派の神学校で学んだ若い世代のパシュトゥーン人たちを中心とする組織でした。1996年9月、タリバンはカブールを制圧し、北部の一部地域を除くアフガニスタンのほぼ全土の支配を確立しました。
規律や秩序の確立を唱えるタリバンの訴えは、対ソ戦争やムジャヒディン同士の内戦で疲弊したアフガニスタン人の間で広がり、アフガン社会で伝統的に影響力がある長老たちもタリバンを支持していきました。
1996年から2001年までのタリバン政権時代、タリバンは、テレビや音楽、インターネットや衛星放送用のアンテナを禁止し、女性の隔離や女性のベール着用を強制、またイスラム的行動を遵守させるために宗教警察を設置していったのですけれども、それらは厳格なイスラム主義を奉ずるサウジアラビアの影響を受け、サウジアラビアの施策そっくりのものでした。
サウジアラビアはワッハーブ派というイスラムの原点回帰志向の厳格なイスラムを奉じていたため、タリバンも国際社会の一部から「ワッハービー」とも呼ばれていたそうです。
現代イスラム研究センター理事長の宮田律氏は、アフガニスタン社会について「日本の戦国時代に存在した在地領主と長老を重ね合わせればアフガン社会の構造も理解しやすいかもしれない。長老が日本の在地領主のように、直接農民を支配し、タリバンは長老を介して住民たちを統治する。支持する長老たちを増やすことによってタリバンは支配地域を拡大していった」と述べていますけれども、筆者にはそこに更に、幕末維新も重なっているように思います。
4.国衆と幕末
タリバンとIS、そしてアルカイダは、それぞれ共に厳格なイスラム主義を標榜していますけれども、その方法論に違いがあります。
先の宮田律氏は、タリバンはその厳格なイスラム主義の実現をアフガニスタン国内で果たそうとし、ISは実際にイスラム国家創設することで実現しようとしている。そして、アルカイダは欧米の影響力をイスラム世界から排除することで実現を目指しているのだと述べています。
この方法論の違いが幕末維新での各派にかぶっているようにも感じるのですね。
例えば、厳格なイスラム主義を天皇に置き換えれば、タリバンは主に精神的なものを中心とした尊皇派と、より具体的な行動を行う勤王派が一緒になったもののようにも見えます。
一方ISは、具体的なイスラム国家樹立を目指していますから、倒幕派に近い気がします。また、イスラムから欧米を排除しようとするアルカイダは攘夷派に当たるでしょう。
更に、政権を追いやられた旧アフガニスタン政権は、欧米の支援を受けていたことから、さしずめ開国派といったところではないかと思います。
つまり、アフガニスタンは藩にまでなっていない地域領主、戦国でいう「国衆」を基板とする社会の上で、幕末の志士よろしく、それぞれの派が互いに争っているのだとイメージ出来るのかもしれません。
そう考えていくと、今後、タリバンによるアフガニスタン統治が安定すると考えるのはまだ早いのではないかと思えてきます。
仮にタリバン、あるいはアルカイダが尊王攘夷を果たしたとしても、ISがイスラム国を建国しろと迫ったり、民主主義の味を知った開国派が抵抗するかあるはアフガニスタンから脱出して捲土重来を狙うかなど、火種はそこら中に埋まっているように見えます。
これらの問題を根本的に治めるためには、天皇の御言葉、すなわち、ムハンマドが復活して、西欧社会とも折り合いを付けられる「新しいコーラン」を預言していただくしかないのではないかとさえ。
アフガニスタンはまた動乱と混乱の時代に入ってきたように思いますね。
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