

1.緊急事態宣言全面解除へ
新規陽性者の減少が続いている武漢ウイルスですけれども、現在19都道府県に出している緊急事態宣言について、政府は9月30日の期限で全て解除する方向で最終調整に入りました。
政府は当初、首都圏などは重点措置への移行を検討していたのですけれども、直近の感染状況を踏まえ「数値が改善しているなら必要がない」との見方もあり、宣言解除後に「蔓延防止等重点措置」へ移行することも見送りたい構えです。
28日に専門家による「基本的対処方針分科会」に諮り、了承が得られれば、対策本部で正式に決定する予定としています。
9月23日現在の病床使用率は、19都道府県全てで、宣言の目安となる「ステージ4(感染爆発)」の水準である50%を下回りました。また、重症者用病床に限っても、水準を超えたのは東京の52%のみとのこと。
ただ、自治体側には、飲食店の酒類提供や営業時間の制限を全解除することによる早期の感染再拡大(リバウンド)を懸念する声もあり、自治体によっては、独自の自粛要請などの制限を続けるところも出てくることもあると見られています。
2.減り続ける新規陽性者
デルタ株が猛威を振るった第5波は、8月半ばから月末にかけてピークアウトして、新規陽性者は減少を続け、現場の医療関係者からも、目に見えて減少しているとツイートされたりしているようです。
また、9月12日、NHKの日曜討論で厚生労働省の専門家アドバイザリーボード座長で、国立感染症研究所の脇田隆字所長も、「全国すべての地域で減少傾向になっている」と述べています。
脇田氏は、減少の原因について「市民の皆様が協力していただいたこともありますけど、宣言の効果であったり、あるいは今回非常に大きな上昇要因であった夏休みの人の移動がやや落ち着いてきたこと、それから天候であったり、非常に大きいのはワクチンの接種が進んできたことだと分析しております」と述べていますけれども、実際は何かが大きく変わった訳ではありません。
緊急事態宣言にしても、飲食店の酒類提供制限・時短など対策の内容はほぼ同じですし、人流にしても陽性者数が急拡大した7月下旬以降、殆ど変わっていません。
東京の夜間滞留人口は、お盆の時期を除いてさほど減りませんでしたし、大阪の夜の繁華街は、第4波の5月ごろより人出が多いくらいでした。
では、ワクチン接種はどうかというと、確かに接種そのものは進みましたけれども、8月に入ってペースが上がったわけではありません。下図は接種数の日時推移を示したグラフですけれども、8月以降はむしろ接種ペースは鈍化しています。

8月後半からの新規陽性者の減少について、説明がつかないと主張する専門家もいます。
これまで、緊急事態宣言や人流抑制の必要性を繰り返し強調してきた松本哲哉・国際医療福祉大学教授もその一人です。
松本教授は、「第5波の急激に上昇したときには、いろんな条件があって増えたんだろうという推測が成り立つわけですが、逆の急激な減少についてはあまり説明がつきません。検査数が十分じゃないんじゃないかとかいろんな推測がされていますけど、なぜここまでスムーズに減ったのかというところは、むしろ逆に不可思議ですので、不自然な減り方だと思います。逆にこの減り方に安心して順調に減っていくと思われると、本当にそれが成り立てばいいんですけど、場合によってはしばらくしたらまた上昇に転じる可能性はあるんだろうと思います」と指摘。
ワクチンの効果についても「ワクチンはある程度打たれているんですけど、ここまで急激に減らすほど接種率が急激に高まったわけではありません。まだ半分くらいということですので、多少効果はあったと思いますけど、ここまで急激な減少にはワクチンはあまり関係ないと思います」と述べています。
3.医者の話はコロコロ変わってよく分からない
8月初頭、専門家達はお盆明け、夏休みが終わると更に増える可能性が高いと警鐘を鳴らしていました。
特に、「8割おじさん」で知られる、京都大の西浦博教授は、12日には1万人を突破し、24日には2万人を超え、26日には3万人を超えると試算し、最低でも8月末には7000人を超えると述べていたのですね。
ところが現実は、3万人どころか最低とされた7000人にも達することなく、減少に転じています。人流が抑制されなかったにもかかわらずです。
結果として専門家の予測が外れたことは疑いようもありません。
これについて麻生副総理は閣議後の記者会見で、「あの医者の言う話もコロコロ変わってよう分からんね。感染症の大家って、本当にその人は大家かどうかは全然、我々は分かりませんから。今は1万6000人ぐらいだと思いますんで、だいぶ外れているんじゃないかなという感じはしますけれども」とウイルス対策に助言をしてきた専門家らの見解についてこのように述べ、その分析に疑問を投げかけました。
また、緊急事態宣言などによる行動制限について、「少なくとも外で飯を食うな、人に会うな、等々の制限をいつまでされるおつもりなのか?その根拠は何なのか、本当にそれが必要で、効果があったもんなのか。私らには、なんとなくちょっと違うんじゃないかなっていう感じはしますけれども。プロと言われる方々は正確な情報を出していただきたいと思います」と苦言を呈しています。
更に、9月20日、読売テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」に出演した橋下徹・元大阪府知事も、急激に陽性者が減少している現状に専門家らが「不思議だ」などと首をヒネっている状況に対し、「不思議だ、じゃ困る。もっと科学的な検証をして欲しい……減った理由が若者の意識が変わった、とか全て後付け」と疑問の声をあげ、専門家がいまだに感染防止策として「人流の抑制」をあげていることについても、京都大学・西浦博教授の名前をあげ「西浦さんは頑張っていたと思うけど予測は外れた。それならなぜ外れたのか説明してほしい。ボクはもう信用できません」とバッサリと斬って捨てています。
政府はこれまで、武漢ウイルス対策を「基本的対処方針分科会」に諮ってから決めてきました。確かに、分科会は政府に助言する立場ですけれども、その助言が間違っていたと明らかになった場合には、なぜ間違ったのかを政府にも国民にも説明すべきだと思います。
なんとなれば、予測を外した人は分科会のメンバーから外し、予測を当てている人に入れ替えることなどを定期的にやってもよかったのではないかとさえ思ってしまいます。
4.エラーカタストロフの限界
そんな中、最近、陽性者減少の一つの原因として指摘され始めているのが、ウイルス自身の「自滅」です。
9月21日、BS放送の『報道1930』で、児玉龍彦・東大先端研名誉教授が「エラーカタストロフの限界」について触れています。
エラーカタストロフとは、ドイツのノーベル化学賞学者・マンフレート・アイゲンが提唱した理論です。RNAウイルスが自身をコピーして増殖すると、一定の割合でコピーミス、いわゆる変異が起こるのですけれども、変異が重なることで絵エラーが蓄積され、ついには感染性やコピーが出来なくなるという理論です。
このウイルスの自滅については、他の方も指摘しています。
例えば、北里大学・感染制御センター長の花木秀明教授は「新型コロの自然減少は、1971年にEigen M(ノーベル化学賞受賞)という方が提唱した「エラーカタストロフ」の限界(自壊)が最も納得できます。SARS-CoV-2自体の変異頻度は少ないと言われていますが、自壊を起こす変異数(箇所)はウイルスによって違うのかもしれません。この理論、興味津々です!」とツイートしています。
Eigen M(ノーベル化学賞受賞)という方が提唱した「エラーカタストロフ」の限界(自壊)とは、ウイルスが変異を蓄積する事で感染性や複製(増殖)が出来なくなる理論です。正規分布で富士山のような形で増減する「波」の説明は、この理論だと私は納得できます。
— 花木秀明 (@hanakihideaki) September 24, 2021
更に、武漢ウイルス感染症の早期発見、早期治療を訴えている長尾クリニックの長尾院長も自身のブログで、次のように述べています。
細胞は、時と場合によっては「アポトーシス(自殺)」する。やはり、専門家や現場の医師からみても、今回の陽性者の急減は異常なこととして映るようです。
一方、ウイルスは「自滅」することがある、と専門家はいう。
急減な感染減少は「自滅」かもね。「自滅」して欲しいなあ。
それにしても減少速度が急速すぎて専門家も本当の理由は分からないと。
人流やワクチンや季節や湿度などいろいろ言われているが、世界的な急激な減少は「自滅」という言葉がピッタリくる。
細胞にはアポトーシスがプログラムされているように、ウイルスにも「自滅」がプログラムされていたら面白い。
【以下略】
もしも今回の陽性者急減が「エラーカタストロフの限界」によるものだとしたら、仮に次の第6波が来た時のウイルスがデルタ株なのかどうかを見ることで分かるかもしれません。
5.開発が進む経口薬
筆者としては、武漢ウイルスが変異株含めて全てが「エラーカタストロフの限界」に達し、このまま収束してくれることを望んでいますけれども、どうなるかは分かりません。
もし、次の冬に第6波が来たとしたら、またぞろ、緊急事態宣言と人流抑制の自粛が繰り返されるのかというと、今度は少し違うかもしれません。というのも、対抗策がワクチンだけではなくなっている可能性があるからです。
9月25日、菅総理は同行記者団との懇談で、「経口薬を早ければ年内にも実用化できる可能性がある……ワクチンと抗体治療薬、経口薬を使い重症化を防ぐ」と述べ、武漢ウイルスを治療する飲み薬について年内の実用化に言及しました。
軽症患者に経口投与できる治療薬の開発は、2020年春以降、世界中で進められてきました。けれども、国内では、臨床試験を実施したものの、効果が認められなかったり、安全性に懸念が生じたりして、複数の治療薬が開発競争から脱落しました。
それでも、現在、日本で近いうちに承認申請される可能性がある経口薬はいくつかありますけれども、その殆どは、既存薬を武漢ウイルス向けに転用して開発しているものです。
例えば、新型コロナウイルス感染症に対して開発・承認されたアビガン(一般名:ファビピラビル)や、駆虫薬として広く使われているイベルメクチンなどです。
下図は、2021年9月時点での開発中の主な経口薬の一覧ですけれども、第3相試験に入っている富士フィルムのファビピラビルや中外製薬のAT-527/RO7496998、メルク社のモルヌピラビル、ファイザーのPF-07321332、興和のイベルメクチンの中からは年内に実用化になるものが出る可能性はあります。

けれども、治療薬の開発には勿論課題もあります。
その最大のものはいうまでもなく安全性です。軽症患者に経口投与できる治療薬は、外来で幅広い患者層に処方され、莫大な数の患者に服用されることになります。今後、後期臨床試験や市販後により多くの患者に投与されることで、これまで把握されていなかった稀な副作用が見つかることもあり得ます。有効性はもちろんのこと、多くの患者に投与された際にも安全性を示すことができるかどうかは大きなポイントです。
6.科学は人類を幸せにするとは限らない
また、安全性という意味ではワクチンも同じです。現在国内で使われている、ファイザーやモデルナのmRNAワクチンは治験中のワクチンであり、緊急性を鑑みて特例承認を受けているに過ぎません。
ファイザーのワクチンは2023年5月2日まで治験となっていますから、それまでに何か出ないとも限りません。
もし、今年の冬なり来年春なり、武漢ウイルスが「エラーカタストロフの限界」に達するなどして、収束することになったとしたら、今度は、ワクチンなり経口薬なりの安全性に目を向けられることになると思います。
けれども、ここで忘れてはいけないことは、武漢ウイルスの起源によって、その目を向けるべき安全性の範囲が変わるという点です。
武漢ウイルスが自然発生したものであれば、まず経口薬やワクチンの安全性を確認し、また中間宿主を探し出して、人との接触機会を無くすなどの処置が必要になります。さもなくば、またパンデミックが起こらないとも限りません。
けれども、現在疑惑が持たれているように、武漢ウイルスが研究所起源だったとしたら、なぜ漏洩したのかを究明し、二度とそのようなことが起こらないよう対策を打たねばなりません。
ましてや一部で囁かれているように、武漢ウイルスが生物兵器だったとしたら、今度は、防御方法や対抗手段を考えなくてはいけなくなります。
単純に薬やワクチンが出来たから、それで万事OKという訳ではないのですね。
世界は、武漢ウイルス禍によって、大きな被害と犠牲を出していますけれども、もしそこに天意があるのだとしたら、それは「科学万能主義を見直せ」ということではないかと、筆者は考えています。
感染拡大だ、緊急事態だ、人流抑制だなどと科学者達が訴え、政府もそれに従いました。けれども、現実は彼らの予測も願望も全く当たりませんでした。
麻生副総理や、橋下氏ではありませんけれども、科学の最前線に居る筈の専門家の話もコロコロ変わって分からないとか、信用できないとまで言われている。あまつさえ、彼ら自身、陽性者が急速に減っていることを「不思議だ」などという始末です。
アメリカ国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は「科学に従え」と啖呵を切り、国民の6割だか7割がワクチンを接種すれば、集団免疫が出来るといっていました。それが、いつのまにか9割になり、今では95%でも集団免疫は獲得できないと嘯いています。彼の「科学に従え」という御託宣はなんだったのか。
要するに、万能だなどと持て囃していた科学がてんで当てにならなかったことを武漢ウイルスは見せつけた訳です。
そして、更にそこから一歩踏み込むと、頼るべきは「科学」ではないことが浮かび上がってきます。
なぜなら、科学自身が人類を幸せにする訳ではないからです。
科学は"道具"です。それを用いる人が、善なる心を持って使うときに始めて人々が幸せになる。
ダイナマイトをトンネルを掘るのに使えば善となり、爆弾にして人を殺せば悪になります。同じダイナマイトでも使う人の心で善にも悪にもなるのですね。
もしも、武漢ウイルスが研究室で作られたもので、それを"悪意"によってばら撒かれたものだとしたら、その"科学"は大きな悪を侵したことになります。
科学は道具であって、それを使う人の心が正しいかどうか。善なる心で科学を使っているのかどうか。誤った科学万能主義は我々自身を滅ぼすことになる。そうしたことを我々は教訓とすべきではないかと思えてなりません。
物事の「正しさ」や「善」を突き詰めれば、それこそ神や仏にまで行きつくのだと思いますけれども、科学を用いる人の心が何よりも大切なのだと心底気づいたとき、武漢ウイルスも"不思議"と収束するのかもしれませんね。
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