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1.ニューカレドニア独立否決
12月12日、南太平洋のフランス領ニューカレドニアで、フランスからの独立の是非を問う住民投票がありました。
選管がこの日の夜に発表した暫定開票結果によると、独立賛成票はわずか3.5%で、反対票は96.5%。約18万4千人の有権者のうち、投票したのは約8万1千人で、投票率は43.9%でした。
この結果を受けて、フランスのマクロン大統領は演説し、「棄権者が多数いたが、ニューカレドニア住民は独立を否決した。フランスの一部であり続けることが決まった」と歓迎する一方で「住民の間に深い溝が残ったことを無視するわけにはいかない。関係構築のための移行期間に入る」と述べ、仏領統治のあり方について今後も特別自治体と対話を続ける考えを示しました。
フランス政府は地元の主要政党との間で今後の統治システムに関する新たな住民投票を23年6月までに行うことで合意しています。
ニューカレドニアはオーストラリアに近い群島で、人口は約27万人。住民はカナクと呼ばれる先住民が41%、欧州系が24%などです。
リゾート地であるニューカレドニアは、希少金属で電気自動車(EV)のリチウムイオン電池にも使われるニッケルの世界有数の生産地です。
首都ヌメア郊外には大規模なニッケル精錬工場があり、フランスにとって重要な資源供給・生産地となっています。
2.ジャン=マリー・チバウ
オーストラリア東方に位置するニューカレドニアは、1774年、キャプテン・クックによって発見されました。
植民地時代には、イギリスのオーストラリア、ニュージーランド領有に対抗するため、フランスのナポレオン三世はオーギュスト・フェウリエ=デポワント提督をニューカレドニアに派遣しました。1853年9月4日、デポワント提督は、現在のヌメアに総督府を設置し、ニューカレドニア島の領有を宣言しました。
その後、1922年頃まで、流刑地として重罪犯約22000人が流されるなどしたのですけれども、19世紀後半にニッケルが発見されたことで鉱業の島となりました。けれども、その裏で、原住民のカナクは不毛地帯へと追いやられることになります。
1953年にキリスト教が、島内のリベラル派白人とともに民主自治を目的とした政党カレドニア同盟(UC)を結成。白人穏健派やカナク人から広範な支持を得るようになります。
1969年にはエドワッシュ・ネスリンが分離独立を目指すグループを結成し、1980年年代に入ると、急進独立派のジャン=マリー・チバウ率いるカナク社会主義民族解放戦線(FLNKS)が独立国家「カナキー」の樹立を主張し、独立運動が激化していきます。
こうした中、1984年に、カナク社会主義民族解放戦線(FLNKS)の活動家が警察官によって殺害されると、大規模な暴動が発生し、フランス政府は、ニューカレドニア全土に非常事態宣言を発しました。
さらに、1988年4月、独立過激派によるフランス国家憲兵隊員27人および裁判官1人を人質にとってロイヤルティ諸島ウベア島の洞窟に監禁し、4人を殺害する事件が発生するなど更に情勢が悪化します。
その年の6月、独立派のジャン=マリー・チバウと体制維持派のジャック・ラフルールとの間で、対立の鎮静化を目的としたマティニョン合意が取り交わされ、自治拡大が約束されました。ところが、翌1989年には合意を結んだジャン=マリー・チバウが"敵との妥協"を理由に独立過激派に暗殺されるなど、混乱が続きました。
その後も自治への運動や協議が行われ、1998年にヌメア協定が結ばれます。
この協定では、ニューカレドニア市民権の導入や、ニューカレドニア「国旗」の制定とニューカレドニア特別共同体に段階的に権限を譲渡し、外交、国防、司法権、通貨発行以外の権限は最終的に全面譲渡する取り決めが為され、独立の是非を問う3回の住民投票を2022年までに実施すると約束されました。
そして、2018年に最初の投票が行われ、賛成44対反対56で否決。2020年に行われた2回目の投票では賛成47対反対53といずれも僅差で独立が否決されました。
そして今回行われた選挙では賛成3.5対反対96.5と圧倒的差で否決された訳です。
3.移民は独立なんか支持しない
前回、前々回と独立について賛成反対が拮抗していたことから、今回の住民投票の行方がどうなるか注目されていたのですけれども、結果は大差の否決。どうしてこうなったのか。
その原因の一つに独立派の投票ボイコットが挙げられます。
ニューカレドニアは2021年9月から武漢ウイルス感染拡大を受けて外出規制が導入されていました。この月からの犠牲者数は280人に上り、独立賛成派が多い先住民カナクは、12ヶ月間の服喪期間にあることや、外出規制により十分な活動ができなかったことを理由に住民投票の延期を求めていました。
10月には独立派を纏めるカナク社会主義民族解放戦線(FLNKS)が「12月12日に行われる住民投票には参加しないよう呼びかける」との声明を出し、延期しなければボイコットも辞さない姿勢を示しました。
けれども、フランス政府は12月12日の投票を堅持し、多くの独立派が投票をボイコットする結果となりました。この投票日の設定は、間隔が空けば独立派が勢いを増すと仏政府が懸念したためとの見方があるようです。
これについて、独立派指導者であるニューカレドニア議会のワミタン議長は、現地の服喪の慣習を尊重して3回目の住民投票を来年9月に延期するよう求める声をフランス政府が退けたのは遺憾だとし、「我々にとって、これは3回目の住民投票ではない。合法的な住民投票は18年と20年の2回のみだ。今回の住民投票はフランスの投票であり、われわれの投票ではない」とコメントしています。
ワミタン議長のいうように、独立派の多くが棄権した今回の住民投票がフランスの投票であるとするならば、独立派の殆どは、現地の服喪の慣習を維持するカナクの人々か、その慣習を尊重する人達であり、裏を返せば、独立を支持しない人々の多くは、ニューカレドニアに移民してきた人達だということになります。
確かに、フランス国籍を持っていれば、本国からのさまざまな経済的支援もあるでしょうし、ニューカレドニアやフランスは勿論のこと、EUのどこでも自由に行き来できます。けれども、独立してしまえばそんなメリットもなくなってしまいます。
人口27万をニッケルと観光だけで支えるのは流石に限界があります。そう考えるとニューカレドニアに移民してきた人達が独立を支持しないというのは合理的な判断だといえます。
4.忍び寄る中国とCPTPP
独立派にしてみれば、独立後の生活をどうするのかという弱点がついて回る訳で、これを克服しない限りそう簡単に独立を勝ち取ることは難しいと思います。
ただ、逆にいえば、その経済的問題を克服できるのならば、独立の可能性もうんと高まることになります。
今回、独立派がボイコットする可能性がある中でもフランス政府がこの日に投票日を設定したのは、間隔が空けば独立派が勢いを増すと懸念したことや、太平洋での勢力伸長を目指す中国の動きも警戒したとの見方もあります。
フランス国防省傘下のシンクタンク「フランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)」は9月に発表した「中国の影響力作戦」という報告書で在外華人を使った共産党の宣伝工作、国際機関への浸透、インターネットの情報操作などの事例を分析しています。
報告書は、ニューカレドニアの中国系住民らで組織する「中国・カレドニア友好協会」の幹部が独立派指導者のもとで働いていた経歴にも言及し、中国がアメリカやその同盟国の影響力をそぐために、独立運動を支援しているとの見方を示唆。ニューカレドニアを独立させて中国の影響下に置き、中国包囲網を打破する拠点とすることで、オーストラリアを封じ込められるという計算があるとみているようです。
オーストラリアの東1500Kmに位置するニューカレドニアは、オーストラリア東岸のブリスベンと米領サモア、ハワイを結ぶ線上にあります。
周囲にあるフィジーやトンガ、パプアニューギニアなどの島嶼国では、中国が急速に影響力を強めており、独立すればオーストラリアは太平洋で孤立する事態ともなりかねません。
事実、2019年にパプアニューギニアのブーゲンビル自治州が独立を問う住民投票を実施した際には、自治州の幹部が中国系ビジネスマンと接触したことを認めています。
オーストラリア国立大学のデニース・フィッシャー客員研究員は「独立派が不参加のまま投票を実施すれば、FLNKSは結果の正当性を争うだろう」と述べ、ニューカレドニアで「緊張と不確実性が高まる」と指摘しています。
また、「FLNKSが国連などに訴え出た場合、中国が支持する可能性は高い」とみる向きもあり、まだまだ予断を許しません。
とりあえず、ニューカレドニアはフランスということになりました。今のうちに、ニューカレドニアをCPTTPに迎え入れるように働きかけるなどして、対中包囲網を破られないよう動き出す必要もあるのではないかと思いますね。
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