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1.武蔵野市住民投票条例案
12月13日、東京都武蔵野市が提出した外国籍の住民も日本国籍の住民と同じ条件で参加を認める住民投票の条例案について、市議会の総務委員会で審議され可決されました。
武蔵野市の外国人住民投票条例は、年齢や性などによらず生きやすい街づくりを目指すとして、松下玲子市長が条例を提案しました。
投票資格を3ヶ月以上、市内に住所がある18歳以上とし、実質的に外国籍の住民も日本国籍の住民と同じ要件で参加できる条例案です。
条例に基づく住民投票のため法的拘束力はなく、武蔵野市も「住民投票は意見の表明という側面が強く、請願に近いと言えると思う。あくまで参政権とは異なるが、より良いまちづくりのために必要」と説明していますけれども、外国籍の人の参加について市民以外にも国会議員が発言するなど、大きな注目を集めています。
この日、審議を行った委員会では、出席委員がそれぞれ意見を交わしました。
自民の会派からは「広い意味で参政権になると思われ、安全保障上の問題もある。日本人と同じ設定というのはどうなのか」などと反対する意見が出される一方、立憲民主の会派の議員は「議員選挙などの参政権とは違うことから、住民投票で外国籍住民を排除しないことは、多様性を尊重する武蔵野市として自然な対応だ」などと賛成の意見を述べました。
また松下市長は「パブリックコメントや意見交換会で市民からは意見をいただいてきた。市の広報でも投票資格者に外国籍の住民を含むことを目立つように掲載してきた」などと答えています。
最終的に、委員長以外の6人の議員で委員会としての採決がとられたのですけれども、賛成3人、反対3人の同数のため、委員長による判断で可決されました。この条例案は、今月21日に開かれる本会議で最終的な採決が行われる予定となっています。
2.逗子と豊中
武蔵野市の条例案と同じく、外国籍の住民に投票資格を認めるのは、常設の住民投票条例がある全国78自治体のうち、2020年12月時点で43自治体あるのですけれども、要件を日本国籍の住民と実質的に同じとしているのは神奈川県逗子市と大阪府豊中市の二つしかありません。
では、神奈川県逗子市、大阪府豊中市では条例の施行後、どんな変化があったのか。
神奈川県逗子市は、市政の重要事項について、市民の意見を聞く狙いで2006年に施行されました。
逗子市の市民協働課は「当時の市議会の議事録を見ると、外国人の方が含まれることについて、一切議論になっていません……市民のための制度ですから、当然、外国人の方も当たり前にいるということで、争点にはならなかったんです」と説明しています。
また、豊中市は2009年、自治体の主体である市民に、年齢や性別、国籍などさまざまな個性を活かして自治体を作ってほしいとの思いで条例を施行したのですけれども、制定当時は、様々な年代や国籍の市民を交え、10回以上の検討会を開き、制定にこぎつけたそうです。
このように市によって議論にバラツキがあったようです。
ただ、逗子市も豊中市も、制度が始まって10年以上が経った今でも住民投票は実施されていませんし、日本の外国人人口こそ増えているものの、どちらの自治体とも、条例制定後に外国籍の住民の割合が顕著に増加するといった変化はないとのことです。
もっとも、今回の武蔵野市の条例制定に向けた報道を受け、最近は全国からさまざまな意見が寄せられているようです。
3.無作為抽出市民アンケート
肝心の武蔵野市の住民はどう受け止めているのか。
武蔵野市は住民投票条例案の検討段階である今年3月に市民アンケートを行っています。
アンケートは、市内在住の18歳以上の方から2000名を無作為に抽出し、509件の回答を得ています。
アンケートで「外国籍の住民も投票資格者に含めるとする市の考え方」について賛成か反対かを尋ねたところ、賛成が73.2%、反対が20.5%という結果となりました。
賛成理由で多かったのは、「外国籍の方も本市で生活している住民であるため」が41%、「多様性を認め合う必要があるため」が17%、そして、「市の考え方に同意する、説明に納得した」が15%でした。
一方、反対理由は、56%が「日本国籍市民のみに限定すべき」、15%が「在住期間や在留資格の要件を設けるべき」、9%が「今後、外国籍市民の人数が増加する可能性があるため」という趣旨の意見でした。
アンケートを見る限り、同じ市民だから投票資格があってもよいという考えが主流のようです。
4.自治基本条例の延長線
今回の武蔵野市の住民投票条例案については、ネットなどでも注目され議論されていますけれども、自治基本条例の延長線にある議論だという指摘もあります。
自治基本条例は制定推進派が「自治体の憲法」と位置づけるように、住民投票条例や地域コミュニティー条例といった関連条例を基本条例の下にぶらさげていくことで、全体で機能するよう制度設計されています。
武蔵野市の条例案も、昨年施行の自治基本条例19条に「住民投票についての必要な事項は別に条例で定める」とあり、その条文に従って今回の議案提出となっています。
麗澤大学の八木秀次教授は「自治基本条例は、国家以前に基礎自治体が存在するとし、『国家なき地方自治』を考えて、自治体外交や独自の防衛政策も想定している。今回の条例案の根本にある自治基本条例の改廃をしなければならない。住民投票には法的拘束力はないが、事実上の政治的拘束力がある。国の方針と対立するテーマで住民投票を実施することで首長や議会を拘束し、国に対し、地方が抵抗する構図が生まれかねない」と警告しています。
橋下徹元大阪市長などは、何かのテレビ番組で、住民投票には法的拘束力はなく、参考情報だなどと力説していたように思いますけれども、市議会議員にしてみれば、賛成なり反対なり住民投票で示された何某かの結果は、そのまま次の選挙に反映されると考えるのが普通です。
かつて、民主党政権時代に定住外国人の地方参政権が検討されたとき、八木教授らは下野していた自民党に「自治基本条例の『市民』にはプロ市民だけでなく、外国人も含まれる。条例は国籍を不問にしており、外国人地方参政権導入の『蟻の一穴』になりかねない」と説明したそうです。それにより自民党内に危機感が一気に広がったそうです。
従って、八木教授が指摘する「事実上の政治的拘束力がある」というのはその通りだと思いますし、見方を変えれば、自治基本条例が既に「蟻の一穴」になっているといえるのではないかと思います。
外国勢力の浸透工作に詳しい情報戦略アナリストの山岡鉄秀氏は「オーストラリアのタスマニア州ホバート市では、外国人留学生まで参政権を認めた。すると、中国系候補が立候補して、『中国の南極進出戦略のための拠点化』など、中国政府の利益を代弁するような主張を行ったことがある。日本人は善意で『外国人とも仲良くしよう』とするが、宥和的でない勢力や、外国政府の意向が反映させられる危険性がある。武蔵野市の『外国人住民投票』条例案は阻止すべきだ」と述べています。
5.日本に溶け込もうと努力する外国人があまりに少ない
中国浙江省出身のジャーナリストでタレントの周来友氏は、自身のことを34年前に来日して以来ずっと、日本社会に溶け込もうと努力してきたと述べていますけれども、彼は、「韓流の町」新大久保が最近、大きく変貌していると述べています。
なんでも、新大久保駅を出て、北側にはイスラム教徒、西側にはベトナムなど東南アジアの人々、さらにはネパール人、中国人のコミュニティーも形成されており、東側に広がる韓国系との住み分けが始まっているそうなのですけれども、多国籍化によってにぎやかさが増す一方、ゴミ出しや騒音など、独自の生活習慣やマナーの悪さを理由とした地元住民との軋轢が目立ってきていると指摘しています。
周来友氏は、個人的な見解を言わせてもらえば、単純労働者だけでなく、専門職に就いているホワイトカラーも含め、日本に溶け込もうと努力する外国人があまりに少ないと述べています。
周来友氏は地元の人達との会話でネパール人が最近増えてきたという話になったとき、85歳のお婆さんが「いろいろマナーとかあるけれど、本当に根を下ろしたいなら、徐々にでもいいから溶け込んでもらいたい。それができないから出稼ぎの人はイヤ」と語った例を紹介し、平均的な日本人よりは外国人に慣れているはずの新宿区の住民でもこういうのだから同じように思っている人は多いだろうとし、「逆に言えば、骨を埋めるつもりで努力するなら移民も受け入れたいということだ」と指摘しています。
6.人には生活がある
2016年11月、経団連は、「外国人材受入促進に向けた基本的考え方」を提言し、イノベーションの加速や競争力強化などの観点から、高い専門性や技能を有する高度人材の受入れや外国人留学生の就職支援の強化に向けた制度改善を要望し、2018年改正入管法で特定技能制度が導入されました。
これによって、14業種において、試験に合格する等により、単身で5年間の在留が認められることとなりました。
もっとも、当初は制度導入後5年で34.5万人の利用を予定していたのですけれども、20220年9月時点で9000人弱とあまり進んでいませんでした。
今年6月、政府は「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策」を改定し、「特定技能2号の対象分野追加および業務区分の整理に関わる検討」を加え、14業種のうち12業種を見直すとしています。
確かに、労働力不足を緩和するためには移民は手っ取り早い解決策かもしれませんけれども、だからといって安易に大量の移民を受け入れることにはリスクもあります。なぜなら、人には生活があり、労働力としてだけ存在している訳ではないからです。
もう10年以上も前のエントリー「移民についての雑考 後編」で日本人が移民に求めるレベルが高すぎるかもしれない、と述べたことがありますけれども、そのレベルの高さは日本社会や国を維持するための最低限のコストと考えるべきではないかと思います。
コストを別にすれば、労働力だけなら何も人ではなく、機械でもロボットでもよい筈です。企業において自動化や機械化、デジタル化をを進めるのは普通のことです。
人を単に労働力とみて、コストだけで判断し、その他の生活を無視することは、後々に手痛いしっぺ返しとなって返ってくるのではないかと思いますね。
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