エリザベス女王の国葬と招かれざる客

今日はこの話題です。
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1.エリザベス女王国葬


9月19日、イギリスのエリザベス女王の国葬がロンドン中心部のウェストミンスター寺院で営まれました。イギリスメディアによると、アメリカのバイデン大統領やフランスのマクロン大統領ら約200ヶ国・地域から500人規模の外国の元首、王族らが参列しました。

イギリスで国葬が行われるのは、1965年のウィンストン・チャーチル元首相以来のことで、君主としては女王の父ジョージ6世以来、70年ぶりとなります。イギリス全土から1万人以上の警官が動員され、厳しい警備態勢がとられました。

この日、ウェストミンスター宮殿のホールに安置されていた女王の遺体を納めた棺は王室の伝統に従い、イギリス海軍の砲車で運ばれ寺院に到着。国葬には、国内からチャールズ国王ら王室関係者、現職と歴代の首相、女王ゆかりの知人らが参列し、武漢ウイルス対応に尽力した医療関係者やボランティアも招待されました。国葬の様子はテレビやインターネットで生中継され、正午前にはイギリス全土で2分間の黙祷が行われました。

国葬終了後、女王の棺は、沿道に集まった大勢の市民が見守る中、ロンドン中心部を行進。夜にはロンドン郊外のウィンザー城に埋葬されました。




2.在位70年


エリザベス女王は、父のジョージ6世が1952年2月に死去したのに伴い、25歳で即位しました。在位期間は2015年9月に高祖母ビクトリア女王の63年216日を超え、イギリス君主として最長記録を更新。今年2月には即位70年を迎え、存命の国家元首としては在位が世界で最も長く、最高齢でした。

在位中のイギリス首相は、現在のトラス氏まで実に15人を数えたのですけれども、こちらのサイトでその15人を写真付きで簡単に紹介されています。

一部引用すると次の通り。
リズ・トラス:2022年、エリザベス女王はリズトラスを首相に任命し、彼女の治世で3人目の女性首相となった。

ボリス・ジョンソン:ボリス・ジョンソンが2019年7月24日に女王と会談したとき、彼は英国君主が協力した14番目の首相になった。

テレサ・メイ:メイ氏は2016年に任期を開始し、2019年に辞任した。

デビッド・キャメロン:キャメロンは、2010年から2016年まで英国の主要な役職を務めた。

ゴードン・ブラウン:ゴードン・ブラウンは、2007年にセント・パンクラス国際駅が正式に開通したときにエリザベス女王と一緒に笑っていた。彼は2010年に在職期間を終了した。

トニー・ブレア:2002年、エリザベス女王は、ダウニング街10番地でのゴールデンジュビリーディナーを含む一連のイベントで、英国の現君主としての50周年を祝った。彼女はここで、1997年から2007年まで首相を務めたトニーブレアとの晩餐会で写真を撮っている。

ジョン・メジャー:1999年の外交会議で、エリザベス女王はジョンメージャー首相に栄誉を贈った。少佐は1990年から1997年まで勤務しており、2年前に在職期間を終えた。

マーガレット・サッチャー:エリザベス女王とマーガレットサッチャーは、サッチャーが就任した最初の年である1979年に連邦会議のためにザンビアを訪れた。彼女は1990年まで首相を務めた。

ジェームズ・キャラハン:ジェームズ・キャラハンは、1976年から1979年まで英国の首相を務めた。

エドワード・ヒース:エドワードヒースは、1970年から1974年まで首相を務めた。彼は、リチャードニクソン大統領が妻のパットと一緒に訪問した際、女王に同席していた。

ハロルド・ウィルソン:ハロルド・ウィルソンは、1964年から1970年までと、1974年から76年までの2期にわたって首相を務めた。

アレック・ダグラス・ホーム:アレック・ダグラス・ホームは、1963年から1964年まで首相を短期間務めた。彼は故ジョン・F・ケネディ・ジュニア大統領を称える1965年の式典に出席した。

ハロルド・マクミラン:ハロルド・マクミランの任期の途中(1957年から63年)に、エリザベス女王がオックスフォード大学でマクミランを訪問している姿が見られた。

アンソニー・エデン:アンソニー・イーデンは、1955年から1957年まで英国の首相だった。1955年、彼と女王は、ポルトガル大統領の公式訪問を記念して開催されたロイヤルオペラハウスでの公演に一緒に出席している様子が撮影された。

ウィンストン・チャーチル:チャーチルは1940年から45年まで首相を務め、その後1951年から55年まで首相を務めた。1952年に王位に就いた後、エリザベス女王は最初にチャーチルと仕事をした。
なんと一番古いのはウィンストン・チャーチルです。歴史上の大宰相と同じ時代に生きていたとは如何にエリザベス女王の治世が長かったのか分かろうというものです。

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3.コモンウェルスを優先した席次


19日のエリザベス女王の国葬に出席した人々の席次も注目されたポイントの一つです。

女王の棺に近い最前列には、チャールズ国王ら親族が着席。その後ろにイギリス連邦でチャールズ国王を国家元首とする英国以外の14ヶ国の総督や首脳らの座席が続きました。

中央付近には、旧植民地の国々が緩やかに結びつく国家連合「コモンウェルス(英連邦)」諸国の参列者の座席が割り当てられ、その後ろには、イギリス連邦とは関係のない国の参列者の席が割り当てられたようです。

イギリスメディアによると、アメリカのバイデン大統領は14列目に着席。イギリスは、アメリカを「特別な関係」と位置づけていますけれども、国葬ではイギリス連邦の関係性を優先させたようです。

棺を挟んで向かい側には各国王室からの参列者が座り、日本の天皇、皇后両陛下は6列目に着席され、隣はマレーシアのアブドゥラ国王だったようです。

エリザベス女王の国葬参列について、岸田総理が、国葬への参列を見送る方針を固めた云々とさも招待されていたかのように報じられていました。

招待状は、グレート・ブリテン&北アイルランド連合王国の「外務・英連邦・開発省」から各国の駐英大使館を通じて各国外務省に送られたそうですけれども、警備上の都合を理由に各国には「一国お一人、現国家元首、大統領、閣僚とその配偶者のみ」と通告していたようです。

これについて、外務省大臣官房報道課は、「今般のご訪問は英国王室の招待を踏まえ、英国王室と我が国の皇室とはかねてから親しいご関係にあり、ことにエリザベス女王は70年に及ぶ在位の間、昭和天皇、上皇陛下、天皇陛下と三代にわたり、ご交流されてこられました。また、令和になってからも新型コロナウィルスの関係で延期となっておりましたが、女王陛下ご自身より、天皇皇后両陛下の英国ご訪問のご招待をいただいていたことなど、さまざまな要素を勘案して、政府として両陛下に女王陛下の国葬へのご参列をお願いすることにしたものです」としていて、もともと招待が2人分だったのかということについては「英国との関係もあるので差し控えさせていただきたいと思います」と回答を避けました。

日本の国家元首はいうまでもなく、今上天皇陛下です。それと一国お一人といわれては、もとより、岸田総理はお呼びでなかったことになります。


4.招かれざる客


それでも国家元首級として呼ばれた国は良い方で、最初から「招かれざる客」扱いされていた国もあります。

今回イギリスは以下の6ヶ国を「招かれざる客」として招待しませんでした。

ロシア
ベラルーシ
アフガニスタン
ミャンマー
シリア
ベネズエラ

例のウクライナ侵攻のロシアを排除したのみならず、親ロシア路線を堅持しているベラルーシも排除しました。残り4ヶ国のうち、アフガニスタン、ミャンマー、シリアとは外交関係を結んでおらず、ミャンマーとは2021年2月の軍事クーデター以後、大使館員規模を縮小しています。要は「親しくない国」は呼ばなかったということでしょう。

また、次の3ヶ国は「出席していただいてもよいが、元首ではなく大使級のみ」と、注文を付けました。

北朝鮮
イラン
ニカラグア

これらの国も、特に親しくはない国扱いしたということかと思います。

「招かれざる客」の筆頭として挙げられたロシアは、この対応に激怒。9月15日、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は「イギリス外務省は、ロンドンのロシア大使館にエリザベス女王の国葬に同大使館員を含むロシア政府高官を招かぬと通告してきた……これは、世界中の何百万人もの人々の心を動かした国家の悲劇を弔う行事をわが国に対する恨みを晴らすための地政学的な目的に利用しようとするイギリスの試みである。これは極めて不道徳なことである……イギリスは、ロシアが今ウクライナで展開している特別軍事作戦に関する回答だとしているが、これほど皮肉な言いがかりは納得しがたい……なぜなら、当時親王妃だったエリザベス女王は第2次大戦時、英陸軍女性部隊『補助地方義勇軍』(ATS)に入隊し、ナチスおよびウクライナ人協力者であるステパーン・バンデーラ(ウクライナ民族解放運動指導者)やロマン・シューへヴィチ(ウクライナ反政府軍指導者)に立ち向かった……今のイギリスのエリートたちはナチス的な連中の側に立っている。だが、われわれは第2次大戦での勝利に貢献したすべての戦士たちの記憶を追悼し続けている」と怒りの声明を発する一方、「エリザベス女王の逝去に対する思いに変わりはない」と付け加えました。

イギリス政府はボロクソにいう一方、エリザベス女王は批判せず、今後の逃げ道というか含みを持たせるあたり、ロシアもイギリスと完全に敵対しないよう配慮を示しています。


5.ウェストミンスターの屈辱


テーブルの下で足を蹴上げながら、テーブルの上では握手の手を差し伸べるというやり方は、「外交」ならではのことかと思いますけれども、似たことはイギリスもやっています。

イギリス政府は、女王の国葬に中国を「招かれざる客」とはせず、中国の習近平国家主席に招待状を送り、お一人様以外何の注文も付けませんでした。

ところが、イギリス議会は訪英する中国代表団について、女王の棺が公開安置されている建物への立ち入りを認めない方針を決めたのですね。

イギリス議会は中国の新疆ウイグル自治区の人権弾圧を巡り、駐英中国大使に議会立ち入り禁止の制裁を科しているのですけれども、棺が置かれたウェストミンスター・ホールは議会の管理下にあります。

従って、三権分立、政府と議会は互いに独立ということで、こんなことが出来るという訳です。

国葬自体は教会管理下のウェストミンスター寺院で行われるため、中国政府代表団の参列に問題はないようですけれども、招待された各国の弔問客がウェストミンスター・ホールで女王にお別れを告げている間、彼らを外で待たせていたのでしょうか。

もっとも、中国は弔問に習近平主席ではなく、共産党序列第8位の王岐山国家副主席を弔問に送ったようですけれども、他の民主国とのあからさまな扱いの違いは、中国にとって、「カノッサの屈辱」ならぬ「ウェストミンスターの屈辱」なのかもしれません。


6.世界は不安定化する


ただ、エリザベス女王の崩御で今後世界は不安定化するという意見もあります。

自民党の青山繁晴参院議員は、代々王朝が変わってきたイギリスでは、王室とはいえ、国民の支持がないとやっていけないところがあると指摘。スコットランドが独立を目指しながらも、独立していない理由として、経済的問題もさることながら、エリザベス2世の存在が大きかったと述べています。

そのエリザベス女王が亡くなり、かつてナチスドイツに立ち向かったイギリスが分裂するようなことがあれば、ヨーロッパの足元が崩れるような話だとし、中国は一帯一路戦略で、そこを突いてくると警戒感を示しています。

そもそもEUとて、ヨーロッパの小国が小国のままでは経済競争で不利になるからと纏まった経緯があります。

それがまたバラバラになってしまえば、各個撃破の格好の餌食となってしまいます。

実際、今でもスコットランドは独立への望みを捨ててはいません。

6月28日、スコットランド自治政府のニコラ・スタージョン第一首相は、スコットランド独立の是非を問う2度目の住民投票を来年10月19日に行う意向を示しました。

スタージョン第一首相は、住民投票で問う内容について、2014年の前回投票と同じ、「スコットランドは独立国となるべきか?」にすると述べ、当時のボリス・ジョンソン首相に書簡を書き、投票実施の正式な承認を求めています。

スタージョン第一首相は、当時のジョンソン首相への書簡の中で1998年スコットランド法30条について交渉したいと要請したとしています。スコットランド法30条は、住民投票の実施権限をイギリス議会からスコットランド議会に移譲する内容で、2014年の住民投票の根拠となりました。

スタージョン氏は、今回も同様に、住民投票の法的根拠は疑いの余地のないものになるとし「スコットランドの民主主義がボリス・ジョンソンや他の首相の下でとらわれの身になるのを許したくはない……賛成、反対、未定にかかわらず、スコットランドの人々が合法かつ合憲の住民投票で意見を表明し、公正かつ民主的に大多数の意見が確立されるようなプロセスを確保したいと思っている」と述べています。

果たして、イギリスが「グレート・ブリテン&北アイルランド連合王国」のままでいられるのか、そしてヨーロッパの未来にどう繋がっていくのか。要注目です。




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