

1.別の機会に検討されるべきだ
9月30日、アメリカのサリバン大統領補佐官は記者会見で、ウクライナのNATO加盟手続きについて、「別の機会に検討されるべきだ」との認識を示しました。
その時の記者とのやり取りは次の通りです。
記者:ウクライナはNATOへの早期加盟を求めている。 それは可能なことなのか、あるいは真剣に検討することなのか?実に素っ気ないというか、まるで相手にしていない感じすら受けます。
サリバン補佐官:米国は数十年前から、NATOの門戸開放政策を支持することを明確にしてきた。 NATO加盟に関するいかなる決定も、30の同盟国と加盟を希望する国々との間で行われるものだ。今、我々が考えるに、ウクライナを支援する最善の方法は、ウクライナでの実際的な現場での支援であり、ブリュッセルでのプロセスは別の機会に取り上げるべきものだ。
その他にも次のようなやり取りもありました。
記者:プーチンがウクライナに核兵器を使用した場合、アメリカは積極的に参戦するのか?プーチン大統領が核兵器を使用した場合の対応について聞かれたサリバン報道官は、ロシアには伝えてあるが、公にするつもりはないといい、これくらいにしておこう(I will leave it at that.)と打ち切っています。
サリバン報道官:以前にも行ったが、私たちはロシアに対して、核兵器を使用した場合のさまざまな影響と、米国が取るであろう行動の種類を直接伝える機会があったのだ。 また、このようなことを公に開示するつもりはないと申し上げた。だから、私が言えることは、ロシアはこの問題で事態がどのような状況にあるのかを理解しているということだ。我々はこの問題で事態がどうなっているかを理解している。このくらいにしておこう。
記者:送られる武器や物資の内容に変化があるのか? 特に戦車を米国や米国の仲介でウクライナに提供すべきかどうかについて、あなたの考えを聞かせて欲しい。【以下略】
サリバン報道官:【前略】。戦車に関しては、東ヨーロッパのパートナーからウクライナに戦車を提供し、ウクライナ軍が訓練を受けて保有するソ連型戦車と同じタイプの戦車を提供することを実際に進めた。その他の兵器システムに関しては、今週大統領が発表したのは、以前にも提供したことのあるHIMARSのさらなる提供だ。 次のパッケージでは、ウクライナ側が効果的に動かしている能力の多くを再提供することになると期待している。 それ以上の新機能や追加機能については発表していない。
記者:NATO標準戦車(エイブラムス戦車、レオパルド戦車)についてはどうなのか? ウクライナ人あるいはその擁護者が求めているのはそれだ。 あなたがそれを排除しているのか? それともNATOが排除しているのか?
サリバン報道官:私は何も除外していない。 私は今日、アメリカの戦車について何の発表もないと言うだろう。 ドイツ軍の戦車については、ドイツ軍がウクライナ側と協議していることを伝えておく。
その一方で、ウクライナに送る武器や物資の中味が変わるのかと聞かれると、東欧からソ連型戦車と同じタイプの戦車を提供し、その他にはHIMARSをさらに提供するとして、アメリカ製戦車を提供するかには言及しませんでした。
もし、ロシアの核兵器に備えるならば、SLBM搭載の原潜や、核搭載の爆撃機を派遣するでしょうから、このあたりの動きはウォッチする必要があるのではないかと思います。
2.ロシアに味方するものは制裁する
もう一つ、この記者会見で、「ブルメンタール上院議員とグラハム上院議員が、プーチンのウクライナ併合を認めた国へのアメリカの軍事・経済援助を打ち切るという法案を提出したが、これを支持するか」という質問が出たのですけれども、これに対してサリバン報道官は「法案を読む機会がなかった。このような状況では、結局細部が問題になるが大枠では支持する」と答えています。
この法案は、9月29日に前述の両上院議員が提出したもので、文字通りロシアのウクライナ併合の試みを認める国への軍事的および経済的援助をすべて停止するよう求めるものです。
法案について、ブルーメンタール上院議員は「私たちが言いたいのは、この完全に違法な行動でウラジーミル・プーチンを支援し、教唆する国は、その共謀の責任を問われるべきだということだ。この併合を認める国への経済援助も軍事援助もない……土地の奪取だ。盗みだ……これは、ウラジーミル・プーチンによる、西側諸国のウクライナへの支援を試すための、もう一つの卑劣で図々しい戦術だ。我々はそんなことはしない」と語っています。
また、グラハム上院議員は、「国際刑事裁判所の捜査官が米国に来て、ロシア人がウクライナで犯した戦争犯罪に対して私たちが持っている証拠を求められるようにしたい。……私たちが監視していたことをロシア軍に知ってもらいたい。プーチン大統領の戦争犯罪の指示に従い続けるなら、代償を払うことになるだろう」とコメントしています。
これは要するに、ロシアに味方するものは制裁するということです。けれども、その一方で、アメリカ政府はウクライナのNATO加盟には及び腰になっています。
ロシアの味方は許さないが、ウクライナに味方して一緒に戦うという訳でもない。これでは、ロシア、ウクライナ双方が疲弊していく一方ではないかと思いますし、長期戦になればなるほど周辺国にも深刻な影響が出てくることになります。
3.NATOは戦争の当事者にならない
では欧州はウクライナのNATO加盟申請についてどう受け止めているかというと、こちらも慎重姿勢です。
昨日のエントリーでNATOのストルテンベルグ事務総長がNATO加盟国は「自国の道を選ぶ」ウクライナの権利を支持すると表明したものの、加盟に関する決定には全30ヶ国の関与が必要だと述べていることに触れましたけれども、ストルテンベルグ事務総長は「権利」は支持しても、「加入」を支持するとは言っていないのですね。
ウクライナがNATOに加入したら、ほぼ確実に対露戦争に巻き込まれることになりますから、流石に安易に支持するとはいえないでしょう。
これについて、ドイツはもっとはっきりしています。
9月30日、緑の党所属のアナレナ・ベアボック外相はドイツの公共放送連盟(ARD)の番組で次のように述べています。
私達は、この戦争の勃発、ロシアのウクライナ攻撃で、ウクライナの自衛権を支持することを明確にしました……命を救うために、ウクライナをどう支援し続けるか、全力で、責任をもって取り組んできた毎日です。しかし、私達は初日から、戦争が他の国々に広がらないように、またNATO自身が戦争の当事者にならないようにする責任があることも明らかにしてきました。そしてそれは、このウクライナへの残忍な攻撃から200日後の今日にも当てはまるのです。私達は、ウクライナの自衛権について、重火器による支援も続けています。しかし、他の国やNATOがこの戦争に巻き込まれないよう、できる限りのことをしているのです。はっきりとNATOが当事者にならないようにしている、それは責任だ、とまで述べています。
これを見る限り、NATOは、少なくとも今のドイツはウクライナをNATOに加盟させる気はないように見えます。
逆にいえば、ウクライナがこのタイミングでNATO加盟申請したことは、NATO加盟国に対して、どこまで本気で支援する気があるのか、と踏み絵を迫っている側面があるのではないかという気もします。
4.エスカレーション・ラダー
そのウクライナ軍は、ロシアが4州の併合を宣言した後も進軍を続けています。
10月1日、ウクライナ軍はプーチン大統領が併合を宣言した東部ドネツク州リマンに突入しました。この日、ロシア国防省は「包囲される脅威があることからロシア軍は、リマンからより有利な場所へと撤退した」と部隊の撤退を発表しているところをみると、ウクライナ軍はリマン市内ほぼ掌握したものと思われます。
リマンは、鉄道など交通の重要拠点とされ、ロシア軍は今年5月に掌握したあと、ここを武器の補給地として、東部ドンバス地域への侵攻を続けてきました。
けれども、今回、要衝リマンを失ったことで、ドンバス地域の完全掌握は非常に難しくなったとの見方が出て来ています。
ロシアにしてみれば併合宣言した翌日にリマンを奪還された訳で、併合した街を守ることもできないことを晒された形です。
これから、プーチン大統領は、士気の低い動員兵をドンバス地域につぎ込んで人命を磨り潰しながら侵攻を続けるのか、それとも大規模破壊兵器を使って一気に戦局の打開を図るのか。
20世紀のアメリカの研究者で、軍事学における核戦略理論の発展に貢献したハーマン・カーンは、1965年に核戦争が実際に遂行される可能性について「エスカレーション・ラダー」という概念を提唱しました。
エスカレーション・ラダーとは、武力行使を伴わない脅しのレベルから双方が大都市その他の対価値攻撃そして全面核戦争に至る事態のエスカレートを、梯子を上っていくという概念によって表現したものです。
カーンはこのエスカレーション・ラダーとして44段の梯子を設定しました。
カーンのラダーでは、1~14段目までが通常戦力による脅迫あるいは紛争であり、15段目からが核兵器の使用を前提とした国家実行、そして20段目と 21段目の間に「核兵器不使用の閾値ライン」が引かれ、さらに「大量殺戮を伴う都市攻撃の閾値ライン」を経て最終的には 44段目の「痙攣し、無感覚となった戦争」、すなわち、核兵器戦争と定義しています。
このエスカレーション・ラダーについては国会でも議論されたことがあります。
2020年5月13日の外務委員会で、立憲民主の岡田克也議員からエスカレーション・ラダーについて説明を求められた、当時の茂木外相は次のように答えています。
茂木国務大臣 いわゆるラダーですから、はしごでありまして、はしごには当然段というのがあるわけであります。お互いの段が合っていれば、同じような形での抑止力が機能する。しかし、その段の例えば間隔がずれていた場合に、相手側がその中間の段階の段、そのレベルで何かのことをしたときに、こちら側がどちらの段で対応するかということによって、上の段でまさか対応することはないんであろうと。こういうことがあった場合に、これが中間の段での相手側の攻撃の余地があるのではないか、若しくはそれによってお互いがエスカレートしていく、ラダーがエスカレートしていく、こういう誤解、誤認を避けるために核攻撃の目的等々を明確にしている、このように考えております。
つまり、個々のラダーに応じた兵力・組織といった備えをしておくことで、不足の事態が発生した場合でも抑止力を働かせる。そして、相手に梯子を昇らなければならなくなった場合に背負う負担(コスト)が耐えられないものになると思わせることで、抑止とする考え方です。
カーンのエスカレーション・ラダーはもう50年以上も前の論説ですけれども、今でも十分通用する考え方だと思います。
5.紙の上に血を置いたものなど、何の証明になりましょう
エスカレーション・ラダーについては、その後も様々な研究が進められているのですけれども、紛争研究者のフリードリッヒ・グラスルは、9段階の紛争エスカレーションモデルを提唱しました。
グラスルのエスカレーションモデルは、エスカレーションのより高い段階への上昇としてではなく、ますます深く、より原始的で非人道的な紛争形態への下降として表されます。その9段階は次の通りです。
1)硬直化 :何らかの問題や不満をめぐる対立。グラスルのエスカレーション・ラダーは、梯子を下りるに従って、どこか人間から話の通じない獣を相手にしていくような印象を受けてしまいます。
2)討論、論争 :相手に強い不信感が生じる。自分の立場を押し通すために、より強力な方法を探す。
3)言葉より行動 :口頭で言われたことが信用できなくなる。行動や非言語的なコミュニケーションが支配的になる
4)イメージ、連合:相手のイメージを拒絶し、自分のイメージを相手に認めさせようとする。それぞれ積極的に傍観者の支持を得ようとする
5)面目失墜 :建設的に見える相手の動きはすべて欺瞞として片付けられ、たった一つの否定的な出来事が相手の本性を示す決定的な証拠となる
6)脅迫戦略 :退かないことを示すために相互に脅しをかける。制裁の脅しをかけることで、相手に特定の要求や規範に従わせる。
7)限定的破壊攻撃:相手はもはや純粋な敵であり、人間性を持っていない。相手の火力を無力化して、自分の生存を確保する。真のコミュニケーションはない。
8)敵の断片化 :相手を無力な断片にしたり、相手の意思決定能力を破壊する
9)双方破滅 :敵を殲滅しようとする欲求があまりにも強く、自衛本能さえもおろそかになる。自分の存在意義を破壊してでも、敵を殲滅しなければならない
グラスルは、1~3段階目迄は、WIN-WINの関係が成り立つものの、4~6段階目になると、一方が負け、もう一方が勝ち。7~9段階目では両方が負けになるとしています。
グラスルのエスカレーション・ラダー、今のロシアのウクライナ侵攻について、実にうまく説明できるように思います。

筆者の見るところ、既にロシアは、核攻撃をちらつかせる6段階目の脅迫戦略、ウクライナはロシアのいうことは何一つ信用できないとする5段階目の面目失墜にあるように見えます。最早当事者間で合意できる段階ではないように思えます。たとえ、停戦合意書に血判を押しても信用しないのではないかとさえ。
グラスルは、自身のエスカレーション・ラダーの解除モデルとして、段階別に次の方法を挙げています。
レベル 1-3: 当事者間で解決可能もし、今のロシアとウクライナが5、ないし6段階目にあるとするならば、最早、当事者間での解決は不可能で、外部の専門家の仲介が必要な段階にあることになります。
レベル 2-3: 友人、家族、または専門家による支援
レベル 3-5: 外部の専門的なプロセス サポートからの支援
レベル 4-6: 外部の社会療法プロセスのサポートによる支援
レベル 5-7: 外部の専門家の仲介による支援
レベル 6-8: 自発的または強制的な仲裁による支援
レベル 7-9: 上からの介入によってのみ支援が可能
外部の専門家が誰になるのかには色んな議論があるかと思います。現時点でアメリカやNATOは建前上は、当事者ではなく"外部"ということになるかと思いますけれども、先日のプーチン大統領の演説を聞く限り、ロシアはアメリカやNATOは外部の専門家とは見做さないのではないかと思います。
となると、それ以外に、ロシアが認める外部の専門家が必要になるのですけれども、果たして今の世界にそんな存在がいるのか。
それがないとなれば、更に深い段階である「自発的または強制的な仲裁」、あるいは「上からの介入」ということになりますけれども、世界でそんなことができるのは、おそらくアメリカくらいでしょう。けれども、アメリカはウクライナをがっつり支援する側ですから、ロシアは受け入れないでしょう。
もし、望みがあるとすれば、秋の中間選挙で民主党が負け、2024年の大統領選挙でロシアに中立的な大統領が出てくるしかないのかもしれませんね。
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