ひろゆきの辺野古座り込みツイート

今日はこの話題です。
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1.座り込み抗議が誰も居なかったので


ひろゆき氏の辺野古座り込みツイートが話題になっているようです。

10月3日、「2ちゃんねる」の創設者のひろゆき氏はが沖縄県辺野古のゲート前を訪れ、「座り込み抗議3011日」の看板の横で笑顔を浮かべる画像とともに「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」とのツイートがバズりました。

10月9日朝現在、3.7万件のリツイート、28.3万件の「いいね」がついています。もっとも、ひろゆき氏のフォロワー209.7万から比べると「いいね」でも13.5%程度ですから、ひろゆき氏のフォロワーの多くが賛同している訳でもなさそうです。

もちろん、この投稿をきっかけにSNSには賛否の渦が巻き起こりました。

10月5日、脳科学者・茂木健一郎氏は、自身のYouTubeチャンネルで、「言葉というのは曖昧なものなので、"座り込み"という解釈においては、ひろゆきの考え方もあるだろうし、活動されている方々の解釈もあると思うんです……ただ結果として、この騒動で辺野古の問題に関心が向けられたのではないかと。そういうことに関しては意味があったのではないかなと。一概にひろゆきのやり方を否定するのも、どうなのかなとも思います……座り込みをされている方々の思いも受け止めたらいいと思うし、ただ沖縄の民意も一つではないのかもしれない。そこは難しいところではあります」とひろゆき氏のツイートを評価しました。

一方、日本共産党の吉良よし子参院議員は、同じく5日、「#沖縄の人々への侮辱を許さない」とツイート。続けて「24h現場にいないから『座り込み』ではないなどと、上からジャッジする姿勢はあまりに傲慢……選挙で示し続けている民意を力でねじ伏せようという暴挙に、たとえ何時間であろうと、毎日、抗議の意思を示し続けている不屈の思いを侮辱する行為は断じて許せません」と憤りを見せています。

更に沖縄の玉城デニー知事は那覇市内で報道陣の取材に対し「現場で3000日余り抗議を続けてきた多くの方々に対する敬意は感じられない。残念だ……投稿は見識の違いだと理解している。ただ投稿に対する波及は、日頃ネットメディアを使っている方なら十分考えられたのではないか」と批判しました。

また、愛国者団体・一水会は「西村博之氏が辺野古の『座り込み』現場をひやかしたTwitter投稿が20万以上のいいねを集め、議論を読んでいる。冷笑はやる側が知的優位に立てたと一瞬の錯覚を齎す作用があるが、実際何の解決にもならない。中学生レベルだ。大人のウィットとはほど遠い冷笑がウケるのは、社会の病理とでも言うべきか」と述べています。




2.冷笑的なツイート


ひろゆき氏のツイートを批判する人の意見の多くは「抗議活動を馬鹿にしている」といったものが多いように見えますけれども、これについて、評論家の石平氏は、「誰かが『抗議を続けた』からと言って、ひろゆき氏は彼らに『敬意』を持たなければならない理由はどこにもない。「敬意」を求めてくること自体はバカバカしい」と至極普通の見解を述べています。

また、7日、ひろゆき氏自身が玉木デニー知事のコメントに対し「事実陳列罪で怒られました」とツイートし、一水会の批判についても「『1日に1時間座り、土日は休み』という実態を『座り込み』と誇張する。事実を誠実に伝えるのではなく、誇張して騙される人が居る状況を問題だと思わない大人が多く居る事が社会の病理だと思うおいらです」と反論しました。

10月4日、3日のひろゆき氏のツイートを受けて、ジャーナリストの大袈裟太郎氏がひろゆき氏本人に直撃インタビューを行っています。

大袈裟太郎氏は、件のツイッター投稿について尋ねても、「ひろゆき氏は『辞書的な意味での座り込み』という持論を展開したとして、彼は『目的が達成されるまで座り込む』という文言にこだわる。その『目的』とは工事車両を止めることなので、毎日その『目的』が達成されて人々は帰路に就く。そんなこちらの主張は無視され、この『座り込み』定義論は平行線に終わった」と述べています。

大袈裟太郎氏は「この論点に時間を使うこと自体が基地反対運動の本質からそれる」と感じ、「辺野古を訪れるにあたり、その背景である沖縄の基地被害、また日米地位協定などについてどのような書籍などで勉強されましたか?」と話題を変えると、ひろゆき氏は「一般的なものです……今回は辺野古の取材ではないので」と答えたとのことで、大袈裟太郎氏は「曲がりなりにも言論人とされる彼が辺野古を訪れながら、沖縄に関する一冊の書籍の名前も挙げられなかったことには驚かされた」と述べています。

この大袈裟太郎氏の文章を細かくみていくと、件のツイートを「冷笑的なツイート」とか、ひろゆき氏の回答に「持論を展開した」とか、「という言葉を放ち」とか、若干感情的な表現がちらちら見受けられます。これを見る限り大袈裟太郎氏もひろゆき氏に批判的なスタンスであるように思います。






3.ズレた戦略の階層


大袈裟太郎氏が「平行線に終わった」と言っているように、ひろゆき氏の"主張"と批判する人達の"反論"は、殆ど嚙み合っていないのですけれども、その原因は互いの「戦略の階層」が違っているからです。

戦略の階層については、これまで何度も取り上げ、紹介してきましたから、説明は省略させていただきますけれども、ひろゆき氏の件の「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」というツイートは「いつどこで戦いをするのか」という「作戦」階層(下から3番目)に対し、「誰もいない」のに「座り込み抗議3011日」という看板を掲げることは、「勝つためにどう戦うか」という「戦術」階層(下から2番目)と矛盾しているとツッコミを入れているだけのことです。

だからこそ「0日にした方がよくない?」と、「戦術」階層との矛盾を修正するべきだと意見している訳です。

要するに、ひろゆき氏のツイートは、戦略の階層では下の階層(枝葉末節)での言説に過ぎません。

ところが、これに対し、反対派の人達は「敬意がない」とか「侮辱している」とか、戦略の階層の最上位の「世界観」あるいは上から二番目の「政策」階層(だから、こうしよう)を否定されたと受け取り、「世界観」や「政策」といった上の階層で、反論しているように見えます。

これでは話が噛み合う筈もありません。

話を噛み合わせるためには、ひろゆき氏と同じ程度の下の階層で反論しなければなりません。

10月7日、琉球新報は、辺野古での座り込みの抗議に参加している沖縄平和運動センターの山城博治顧問を取材した記事を掲載しました。

その中で山城氏は、ひろゆき氏のツイートについて「作業があるときに座り、ないときは座らないということだ。なぜ『私が見たときにいなかったから0日』という議論になるのか」と答え、座り込みの意義について「『抵抗する沖縄』『中央へのあらがい』への可視化された象徴として辺野古がある。司法や国と県のいびつな関係への、住民側の抗議でもある。座り込みにはたくさんの意味が付与されてきている」と述べています。

この「作業があるときに座り、ないときは座らない」というのは、「いつどこで戦いをするのか」という「作戦」階層でのコメントですし、「座り込みにはたくさんの意味が付与されてきている」というのは、その一つ上の「軍事戦略」階層(仕事の種類、戦争の勝ち方など)に当たります。これならば、まだ話が噛みあう可能性が出てきます。

もっとも、ひろゆき氏はこれに対しても、ひたすら「作戦」階層と「戦術」階層の矛盾を指摘し続けて、それで終わる気がしないでもありません。

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4.それってあなたの感想ですよね


ひろゆき氏は、自身の著書「論破力」で、議論において「絶対」とか「必ず」とか「明らかに」といった言葉は、自分で弱点をつくってしまい、逃げ道をふさいでしまうことから、使うべきではないと指摘し、自分は「絶対」のような断定的な言葉はほとんど使わないと述べています。

ひろゆき氏によると、2ちゃんねるの管理人時代にしばらく裁判所通いをしていた経験がそうさせたというのですね。

何でも「1週間に2、3回は裁判所に行っていて、法廷トリプルヘッダーというのもありました。その中で、事実確認というのがあって『それは間違えていました』と訂正すると、裁判官の印象が悪くなるわけですね、『あっ、こいつ証言をひるがえしたな』と。つまり裁判では、基本的に間違ったことは一切言わないほうが有利なのですね。なので、「じつは何も言っていない言葉」を使う習慣が身についたわけです」と述べています。

要するに、ひろゆき氏の議論は、常に「逃げ道」を用意しておくというものであると自分で白状している訳です。

ということは、ひろゆき氏と議論するときには、ひろゆき氏の指摘したことが、本当なのか、いちいち「確認」する作業を行うのが有効な反撃策となります。

ひろゆき氏自身「じつは何も言っていない」と言っていますから、それに対して、ひたすら事実を並べていけば、ゼロと事実の積み重ねという議論になりま。その時、傍で聞いている人の印象がどうなるかはいうまでもありません。

ひろゆき氏が「辺野古の座り込みが辞書の定義と違う」と発言したことに対して、現地で「どの辞書の何処に乗っているんだ」とひたすら突っ込まれて答えられなかった一幕がネットに上がっていますけれども、ああいうやり方が有効だということです。

沖縄で活動をしている芸人で「せやろがいおじさん」として一部で有名な、榎森耕助氏は、10月5日、自身の動画で、辞書の文言は出版社によっても違うと述べています。

例えば「座り込み」についても、「三省堂国語辞典では目的を遂げるために1か所に長い間座るとあって座り続けるとは書いてない」と指摘。辞書の文言は変わっていくのに、「この文言に則ってたら座り込み認定です、なんて基準はそもそも限定的かつ恣意的すぎるし安定性にも欠けまくっとる」から辞書を座り込み認定の要件にはならない、にも関わらず、それを論拠に展開するひろゆき氏の論理は破綻している、と鋭く指摘しています。

その意味ではひろゆき氏がツイートした「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」というのは、解釈の問題であり、いきつくところは「それってあなたの感想ですよね」になるのではないかと思います。

ただ、今回のひろゆき氏のツイートで、辺野古反対派の過剰反応を引き出し、その実態を明らかにしたのは事実ですし、注目を集めたことは評価できると思います。

一方、そのツイートを巡る喧々諤々については、元ツイートが戦略の階層の下から2番目に過ぎず、その指摘も「座り込み」の定義を元にしたものであり、議論そのものが重要なものだとは思えません。

実業家の堀江貴文氏は、今回の騒動について「面倒くせぇ……あの人ってさ、そういうくだらないこと茶化すの好きだよね…どうでもいいよ」とバッサリ切って捨てていますけれども、筆者もその辺りが結論になるのではないかと思いますね。




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