憲法9条と殉教

昔テレビで森永卓郎が「憲法9条守って滅びてもいい」発言しているのをみたことがある。
びっくりというか。。。公共電波で言うか。それ。

もしかしたら、イエスのように殉教しよう。理想に殉じるならば、磔にあっても構わない。
なんて思ってんじゃないか。貴方、自分に酔っているだろう。

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本気で考えているとしたら、イエスみたいに自分は立派な人間だと思っているか日本が滅びた後、その遺志を汲んで、平和を希求する国が増えていってやがて世界が憲法九条をもつ国だらけになって平和になる、と考えているかのどちらかだ。

イエスは12大弟子がいても守れなかった。
日本はひとりの弟子すらいない。

現実は槍を向けている輩が隣にいる。
サヨクが磔に会うのは勝手だけど、まきぞえは御免だ。

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この記事へのコメント

  • 私はかつて、「憲法九条ナショナリズム」という記事を書きましたが、彼らにしてみれば、「戦争をしない日本は素晴らしい国であるっ! 九条がある日本は最高だっ!」という感覚なのでしょう。それは非現実的ですが、「国の方針」と言う意味である種はっきりしたものがあることは確かです。
    だから、憲法九条を破壊したい保守は彼らのその理念構造を解体する必要があると思うのです。彼らを引き込むぐらいの「国の方針」を提供する必要があると思うのです。
    つまり、「平和の憲法九条」よりも、「守りたい祖国」とかね。
    2015年08月10日 18:19

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