今日から3回に分けて「テレビと民意」をエントリーします。1回目です。
テレビ局には自浄作用・市場原理が働いていないというとき、顧客が視聴者を指す場合のみ正しい。
生産者と顧客の関係を売買契約で考えるとこの定義は間違っている。お金を払ってくれるのはスポンサー。スポンサーが顧客。
テレビ局はスポンサー商品の委託宣伝業者。スポンサー商品のCMを流すのが本来の仕事。スポンサーに視聴率を売って、お金を貰う。
視聴者は客じゃない。ただの群集。群集をどれくらい集めらるかが、スポンサーからの評価。
だから、群集を集めるためにあの手この手で、芸人やら何やらを雇って、パフォーマンスを行う。
うなぎの蒲焼をパタパタやって匂いで釣ってみたり。万国びっくりショーをやって、人を集めてみたり。
群集って移り気だから、つまらないと寄ってこないし、最初は面白くてもマンネリになったら離れていく。いつまでも群集を集めたいから、パフォーマンスもどんどん過激になってゆく。たまに怪我人も出たりして。
金の流れだけを考えるとテレビの番組は全て、パフォーマンス番組しか流せない。スポーツ番組もその範疇。
でもなぜか、パフォーマンスの間にニュース番組が入る。ニュース番組には公共性があるから、スポンサーだけでなく、群集も顧客になる。公共サービスであっても、料金は払うのが普通。葉書一枚だすにも金を払う。
でも、民放ならニュース番組もタダで見ることができる。群集から金を貰ってないから、群集のいうことを聞く必要がない。好き勝手できる。スポンサーが群集の意見を代弁しているならいいけれど、必ずしもそうじゃない。
ニュース番組の質を保証するのは、テレビ局のモラル。
モラルが無くなると電波公害を垂れ流しても気にしない。いくら群集が蒲焼が腐っているぞ、といっても耳を貸さない。
モラルは利権が絡んだり、金を積まれたり、時には脅されたりして無くなってゆく。番組は誰かの宣伝になったり、都合の悪いことやイメージが悪くなることは絶対流さない。これって、CMそのもの。
ニュース番組とCMの名前と中身は逆。ニュース番組が特定の誰かのCMで。CMがスポンサーの番組で。
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