伝統の値段


さらにつづきです。


日本は「地獄・餓鬼・畜生・修羅」領域を解消しているといったが、これらは一端解消すれば未来永劫なにもしなくて良いと言う訳じゃない。

外敵の存在や価値観の変化など、様々な要因があるため、解消のための経済活動は常に必要とする。

「地獄」領域解消のための 「治安維持機構と軍の保持」のコスト
「餓鬼」領域解消のための 「ライフラインの確保とシーレーン防衛さらには資源確保」のコスト
「畜生」領域解消のための 「教育設備と制度の充実、インフラ・法体系のメンテナンスと更新」のコスト
「修羅」領域解消のための 「法の尊守意識、人権意識・モラル向上」のコスト

これらのコストは常に必要だし、国が政策として行う部分。

治安が悪い国や、世界警察を名乗る国は「地獄」領域解消のためのコストは莫大になる。
資源のない国や食料自給できない国は「餓鬼」領域解消のためのコストは絶対必要。

「地獄・餓鬼」領域の解消はどこの国でも行うけれど、「畜生・修羅」領域の解消は容易じゃない。

人種差別や特権階級が残る国では、「畜生」領域解消のためのコストは特権階級向けにしか払われない。
そんな国では、「修羅」領域解消のためのコストは主に弾圧かメディア操作による愚民化政策に向けられる。
真実を知られては困るから、知らせない。法を犯したら厳しく処断することで見かけ上のモラルを維持する。

民主主義が健全に機能するためにはこれらの領域を解消して、「人間・天」領域まで国民全体を押し上げないといけない。
政府首脳の心根が試される。

利益誘導に走れば、特権階級向けの政策になるし、権力にしがみつこうとすると、弾圧かメディア操作による愚民化政策になる。

結果いつまでたっても、「畜生・修羅」領域は解消されない。

政治家に私心があってはならないと言うのはそういう理由。


最近の動きは別として、これまでの日本は「畜生・修羅」領域の解消を上手く行った。国民総中流意識を持つまでに解消した。
実に大きな成功だ。
そこには「日本の伝統」が大きく貢献している。

伝統にも金額がある。

伝統は「地獄・餓鬼・畜生・修羅」領域の解消コストとして使われている。

他人への信頼で成り立つ社会が、治安維持のコストを安くさせる。
創意工夫、譲り合いの精神がライフラインの保全コストを抑え、エネルギー消費効率を上げる(=省エネ)
識字率の高さが教育の普及コストを安く抑える。
正直さ・誠実さを良しとする伝統が、法の尊守意識、人権意識・モラル向上のためのコストの大半を肩代わりする。

他の国だとなかなかこうはいかない。
「地獄・餓鬼・畜生・修羅」領域、とりわけ「畜生・修羅」領域の解消に莫大なコストを必要とする。

伝統には、地獄を解消する力があり、日本の伝統の値段はとてつもなく高い。



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