恐れと許し

慰安婦問題に関する米議会調査局の報告書の一文にアメリカの日本に対する深層意識が読み取れる。

報告書では決議案の日本側へのこれ以上の謝罪要求に懐疑を示した上で、諸外国が日本にいま公式の賠償を求めれば、「日本側は戦争中の東京大空襲の死者8万人や原爆投下の被害への賠償を求めてくる潜在性もある」とも指摘している。

誤解があるにせよ人権問題として慰安婦問題を考えた場合、アメリカは少なくとも東京大空襲と原爆投下を、人権に対する罪として捉えていることを示している。

実はアメリカは日本に対する罪の意識に苛まれているのではないかとさえ思える。深層心理的に。

それを誤魔化すために、東京裁判史観を押し付ける。
戦前の日本を悪鬼であったと決め付けることで、原爆投下も止むを得なかったと誤魔化す。

でも、それではいつまで経っても、罪の意識は消えない。

そこに「許し」がないから。

「許せる」のは、日本だけ。

東京裁判史観を正視し、日本国としての判断・主張を行った上で、日本はアメリカを許すと宣言すればいい。

日本はイエスの許しを知っている。
広島・長崎は確かに悲しい出来事ではあったが、日本は人類の罪を背負った。
背負った罪は日本が復興したことで贖った。
日本はアメリカにブローバックしたりはしない。
日本と日本人はアメリカを許しており、これからも許し続ける。
同盟国として世界秩序の維持と発展に共に貢献しよう。

こう宣言すればいい。

日本に対する深層意識内の恐れを解かせることが大切。表向きに謝罪しなくともよい。深層意識内で懺悔させる。
この言葉を首脳だけではなく、合衆国民に届けることができれば更に効果的だ。

実際はこんな宣言で核も戦争もはなくなりはしない。

でも、この宣言によってアメリカの日本に対する深層意識が変わる。
特亜のプロパガンダも効力を失う。

従軍慰安婦問題はアメリカにとっては他人事。
しかし原爆の罪を許すという宣言はアメリカには直接届く。

その前提として、東京裁判史観に対する日本としての判断と見解を主張しなければならない。

善悪判断をしないうちに許すというのは禁物。
東京裁判史観に対して何も反論しないことは、アメリカ側の善悪判断を受け入れていることと同じ意味になる。
でも、それが逆に、アメリカから贖罪の機会を奪っている。

アメリカ側に善悪があったように、日本側にも善悪はあった。それをお互い認めた上で、互いの善悪を超えて許すといえばいい。日本から。
アメリカを人類に対する罪から救えるのは、実は日本なのだ。 


人気blogランキングへ

この記事へのコメント

  • 江戸屋

    (続き)
    アメリカ人が流す血を一滴でもなくすためなら、5割以上の国民が核の使用を肯定すると言うことです。
    ですから、広島・長崎における原爆投下に対する罪の意識はあったとしても、自衛のための必要悪までは否定しないだろうというのが、彼らの認識ではないかでしょうか。
    (ちなみに、私は、日本を降伏させるために、焼夷弾で市街地を焼き払う必要も原爆投下をする必要もあったとは思っていませんが)
    私としましては、日比野さんの提案には、大いに共感致しますが、それは、私が日本人であり、日比野さんと同じ日本的な精神を持っているからではないかと思いました。
    2015年08月10日 18:19
  • 日比野

    江戸屋さん、長文コメントありがとうございます。

    私は、日本の「水に流す」という考え方が「許す」に近い思想ではないかと考えています。
    ただし、善悪判断をしないまま「水に流して」しまう悪い傾向が日本にはあるように思っています。善悪判断をしないと歴史から学ぶことはできません。

    江戸屋さんのコメントのとおり、「自らを自らで守っていこうとするアメリカ的精神が、原爆投下に対する罪の意識より勝っているだろう」というのはそのとおりかと思います。

    もともと国の成立ちが独立から始まっています。ただその考えが全てではない。そのことを知らず、他国や他文明を尊重せず衝突させてしまうことで罪を重ねているのではないかと。

    誰かが許しを与え、懺悔させないと気づかないのではないかとさえ思います。
    2015年08月10日 18:19

この記事へのトラックバック