伝統の値段 (六道輪廻と経済活動 再考 その3)

六道輪廻と経済活動 再考 ② の続きのエントリーです。

○伝統の値段

畜生道・修羅道を通過することは実に大変。住民のモラルが対象になるので、教育の普及、法治の徹底を行わなけいといけない。時間も金も手間も掛かる。途上国と先進国の間にある畜生道・修羅道の壁は、とても高かったりする。

日本の敗戦後の歩みは、地獄道・餓鬼道の世界になった国土からのやり直しだったにも関わらず、わずか40~60年で先進国である人間道・天道の世界まで到達した。これは日本の伝統の力が大きく関わっている。

日本の伝統は地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道の通過コストの多くの部分の肩代わりをしていた。そして、今現在も肩代わりし続けてる。

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他人への信頼で成り立つ社会が、治安維持のコストを安くする。(地獄道通過コスト)

創意工夫、譲り合いの精神がライフラインの保全コストを抑え、エネルギー消費効率を上げ、省エネ社会を維持する。(餓鬼道通過コスト)

識字率の高さが教育の普及コストを安く抑える。(畜生道通過コスト)

正直さ・誠実さを良しとする伝統が、法の尊守意識、人権意識・モラル向上のためのコストの大半を肩代わりした。(修羅道通過コスト)

伝統にも値段がある。それは、六道世界を通過するコストとして換算できる。六道世界の通過を手助けする伝統の値段は高くなるし、逆に六道世界の通過の妨げとなる伝統は安く、場合によっては、借金として見積もられる。

戦後日本では、畜生道・修羅道の通過に必要な民度の向上コストは伝統が殆ど払ってくれた。地獄道・餓鬼道を通過する以前に、正直さ、誠実さ、法の尊守精神は社会一般の規範として通用していた。日本は、畜生道・修羅道の壁を伝統という台座にのって易々と乗り越えた。

良き伝統には地獄を通過する力がある。そして、日本の伝統の値段はとてつもなく高い。

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